INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

リメンバー「INPAX」(3)

2006年07月16日 | マスコミ
(つづき)
KBCの社史からの引用のつづき。
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◇情報網の整備
KBCが開局して以来最大の改編といえる「INPAX」のねらいは情報の強化であった。そのためにKBCの屋上にインド洋上のインテルサットから外電の受信設備を整え、従来の朝日新聞ニュースと共同通信の配信に加えて、日本の民放では初めて通信社ロイターと受信契約を結び、24時間送られてくる英文のニュースを翻訳スタッフが翻訳して随時放送した。
また、朝日新聞や共同通信の海外支局、文化放送の「ワールドホットライン」の海外通信網とKBCスタジオを電話で結ぶ海外拠点は200ヵ所を超え、KBC独自の情報網を構築した。朝日新聞の論説委員、編集委員をはじめ、評論家・田原総一朗の人脈、日刊スポーツ記者・野崎靖博、芸能リポーターの梨本勝グループや音楽界、ファッション界に至るまで、コメンテーター、解説陣として幅広い人脈を整えていた。ローカル、地域情報についてはKBC報道局、朝日新聞、共同通信の支局情報網もフルに活用した。このように番組制作からキャスター陣まで、KBCラジオの持てるすべての力を投入した総力戦の新企画であった。
「INPAX」の放送開始以後、世界が激動の時期になり、平成2年8月2日のイラクのクウェート侵攻と湾岸戦争や、その翌年のロシアでのクーデターなどのニュースをいち早く放送して社内外の評価を得た。
この様に《ラジオ大変革》を掲げて華々しく登場した「INPAX」であったが、聴取率がいまひとつ低迷し、経費のかかり過ぎなどで、平成5年4月の改編で終わりを告げた。長谷川弘志は「ラジオ局あげての共同作業が必要な番組であったが、ラジオ担当者の意識改革が思うように進まなかったことや時代を先取りした仕掛けの大きさが時期尚早であった」と述べている。
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KBCの社史からの引用は以上。
(つづく)
コメント (5)
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