映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

愛に迷った時

2008年07月30日 | 映画(あ行)

(DVD)
夫の浮気を知って、実家の姉のところに身を寄せながら、自分らしい生き方を模索し、新しい愛の形を追及していくヒロインの物語。
1995年作品でありながら、もっと古い時代の話かと、思えてしまいました。
それはこの話の舞台がアメリカ南部ということと関係するかも知れません。
かなり登場人物の様子が古風というか保守的なのです。
特に、女性の立場について。
こんなシーンもありました。
料理の本に、執筆者の名前を入れる。
これまでの習慣では、ミセス○○、と、夫の姓を入れていた。
主人公グレイスは、これからはしっかりと、自分のフルネームを入れましょうと提案する。
大方の女性は、うなずいていたのですが、中には、結婚は私の人生最大の偉業だと、反対する人も・・・。
ジェーン・オースティン時代の話?と思わず疑ったのですが、現代が舞台です。
夫の浮気に反抗し、実家へ戻ったグレイスに、実家の父の視線が冷たい。
ましてや離婚などといったら不名誉な恥ずかしいこと・・・。

昨今のハリウッド映画では、考えられないですね。
10数年前といって、それほど事情が変わっているとも思えないのですが、
やはり、これは土地柄と考えた方がよさそうです。
日本も、同じかな、田舎はとかく保守的。
本筋から、それちゃいましたが、とにかく、いろいろなやりとりのうちに、
夫の浮気は必ずしも、夫の責任ばかりではないと、グレイスも気付き始めるのです。
彼女は昔、獣医になりたいと思っていたのですが、
妊娠してしまったため、やむなくその道をあきらめ、エディと結婚した。
そんな思いがあるためか、次第に、彼女は夫には無関心になってしまっていたのです。
エディは娘を大変愛している申し分ない父親。
少しづつ、お互いの本心が見えてきて、これはお定まりの元のサヤに戻ってハッピーエンド?と思いきや、
意外にも、彼女は、自分のもともとの夢を優先したんですね。
このラストがなければ、ごく平凡な恋愛もので終わるところでした。
総じて、これはあまりラッセ・ハルストレム色が感じられません。
ジュリア・ロバーツファン向きのちょっぴりユーモアを交えたほろ苦いラブストーリー、そんなところでしょうか。

ところで、グレイスの姉、エマ・レイは独身なんですね。
こんな土地なら、それこそ、いつまでもいい年で独身で・・・と、
周りからうるさく言われそうな気がするのですが。
この作中では彼女がこれまで独身の理由に触れていない。
私はむしろこのストーリーは、
妹の家出をからめた、結婚しない女エマ・レイを中心にしたストーリーにした方が面白いと思う。
エマ・レイとエディは過去に絶対何かあったと思う・・・。

1995年/アメリカ/106分
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:ジュリア・ロバーツ、デニス・クエイド、ロバート・デュバル、キーラ・セジウィック

明日から、大阪出張のため、3日ほど更新をお休みします。
何で、こんな時期に大阪で会議をするんだか・・・、
この夏、札幌は涼しいので、厳しそう・・・。

 


「バカ親って言うな!-モンスターペアレントの謎」 尾木直樹

2008年07月29日 | 本(解説)

「バカ親って言うな!-モンスターペアレントの謎」 尾木直樹 カドカワoneテーマ21

近頃話題のモンスター・ペアレント。
TVドラマにまでなってますね。見てませんけれど。
つまり、学校や教師に対して無理難題を突きつけてきたり、理不尽なクレームを訴えてきたりする非常識な親のことを言います。
こんな親が異常に増えてきている。
教育評論家の尾木氏は、アンケート調査により、その実態を調査・分析しています。

モンスター・ペアレントを5つのタイプに分類すると・・・

1 我が子中心型…何でも自分の子供中心に考える過保護・過干渉な親

2 ネグレクト型…子供に無関心で育児全般が放任状態の親。児童虐待のパターン。

3 ノーモラル型…常識と非常識の区別がつかない親。近年急増しているタイプ。

4 学校依存型…家庭でやるべき雑事まで学校に頼んでくる、甘ったれた親。

5 権利主張型…自分の要求を通すために法律や権利を振りかざす親。

具体例を見ると、本当にあきれてしまいますよ。
「自分の子供には専属教師をつけてほしい」
「校舎の色が気に入らないので、子どもを学校に通わせられない。」
「ウチの子どもとけんかした相手の子をどこかに転校させてほしい。」
このようなモンスターペアレントが急増したわけについても、鋭い考察がなされています。
★学校・教師への信頼や尊敬の念の喪失

★地域コミュニティの崩壊と格差社会の進行

★社会的モラルの崩壊

★弱肉強食的な「自己中心主義」や「誤った権利意識」を持つ人たちの台頭

★教育の構造改革による「学校の商品化」と成果主義の導入
等等・・・。

しかし、怖ろしいのはアンケート調査は保育園等にも及んでいて、そこにはさらにひどい親の実態が・・・。
つまり、親がまだ親としてぜんぜん成長していない、子どものまま、というのです。
このような親たちがもう何年かで小学校にも押し寄せてくる・・・。


さて、しかし、この本はこうしたひどい親の実態を告発するための本ではないのです。
題名に、「バカ親っていうな」とあるように、これを解決していく手立てを考えているわけです。
弁護士や精神科医を含む「学校問題解決支援チーム」を作るという案もありますが、著者はあまり賛同はしていません。
むしろよけいに学校と保護者の溝を深める恐れもある、と。
では、どうするか。
なんにせよ、教師も親も子どもの幸せを願っているところは同じなのだから、
そこを糸口としてしてはどうか、というのです。

学校を保護者や地域の人々に解放し、誰でも気軽に参加できる拘束力の弱いスクールコミュニティを構築していくのも一つの方法。
社会が「競争社会」でなく、「協力社会」へ変わらなければ・・・と、次第に著者の夢は広がっていくのですが、
世の中はそう簡単には変わりそうもありません・・・。
せめて、子育て期の人にはこの本をぜひ読んでもらいたい。
本当の子どもの幸せのための学校って、どんな学校なのか、みんなで考えたいですね・・・。

満足度★★★★★


百万円と苦虫女

2008年07月28日 | 映画(は行)

ひょんなことから、前科がついてしまった21歳鈴子。
家族の中にもいたたまれなくなり、家を出る。
彼女は人とのコミュニケーションが苦手なのです。
人と距離を置くことで自分を守ろうとする。
行く先々で、100万円ためたら次の土地に移ろうと、自分の中でルールを作る。
友人も知り合いもいない土地。
そんなまっさらなところから第一歩を踏み出そうとする、そんな気持ちはわからなくもないです。
しかし、彼女が望まなくても、次第に周りの人との関わりは生じるし、関わらなくてはすまなくなってくる。
そうしたら100万円たまって、次の町へ。
でも、これはやはり「逃げ」なんですね。

海辺の町で親しげに声をかけてきた青年。・・・ここからは完全に逃げ。
山の村で、初めはすごく怪しげで怖かったおじさんが、実はとても鈴子を理解してくれて助けてくれる。
次の町では、誠実そうな好青年と出会い、心を開く。

「自分探しなんかしたくない。イヤでも私はここにいる。」という鈴子ですが、
一歩一歩成長しているのがわかります。
中島青年は、「君はいつも困った顔をして笑う」といいます。
その鈴子が、初めて本当の笑顔で笑うのは、彼の部屋の窓辺にあったネギや唐辛子の鉢を見たとき。
本当に、この二人はいい感じですねえ。
おずおずとしていて、ドギマギがこちらまで伝わって来ます。

どうしても好きにはなれない意地悪な人もいますが、
中には気持ちが通じ合える優しい人もいる。
・・・それは、逃げているだけではわからないですからね。
自分から踏み出す勇気も、時には必要。

そしてまた、彼女の弟の存在もこの映画では大きいのです。
小学生の彼はいじめを受けていて、必死に耐えている。
なんだか見ているのもつらいのですが、最後にはついに立ち向かっていく。
このことがまた、鈴子にも最後の勇気を与えるのです。

ラストは、変にハッピーエンドにならないところがまたよかったですね。
鈴子の今度の旅立ちは、多分百万円にはこだわらない。
そういった潔さと希望の見えるラストは心地よいです。
それにしても、鈴子さんは働き者・・・。
カキ氷つくりも、桃もぎも・・・手先は器用なんですね。
あんなに、人前での会話が不器用なのに。
全体的に脱力系の蒼井優、
でも、いまどきのギャルが怖くて近寄りがたい気がしてしまう私には
なんだかとてもなじみやすくて、ホッとします。
そうでありながら、かつてのクラスメートにいじめられかけた時に
毅然とはねつけた強さ、そういうところも、すごく好きです。
ちょっと勇気が出てくる映画です。

現実的な話をすれば、100万円はそう簡単にはたまらないのではないか・・・と思うのです。
バイトをしても一人暮らしでは生活費もバカにならないし・・・、
まあ、ぜんぜん贅沢はしていなさそうですけど。
そう簡単に100万円がたまるなら、こんな格差社会にはならないでしょう・・・。

2008年/日本/121分
監督:タナダ・ユキ
出演:蒼井優、森山未來、ピエール瀧、竹財輝之助

「百万円と苦虫女」公式サイト


「ロズウェルなんか知らない」 篠田節子 

2008年07月27日 | 本(その他)

「ロズウェルなんか知らない」 篠田節子 講談社文庫

ロズウェル。
さて、聞いたことがあるような気がするけれど、なんだっけ?と、まず思うわけです。こんな私のために、巻末にちゃんと解説がありました。
ロズウェルは、ニューメキシコ州南東部にある小都市で、1947年に、UFOが墜落したとされる「ロズウェル事件」が起きた場所。
そのUFOは、ひそかに米軍に回収されたとか、宇宙人の解剖が行われたとか、いろいろなウワサが流れたという事件。

さて、この本は、そんなUFOがらみのストーリー。
でも、SFではありません。
なんと、温泉もなく名所もなく、観光客の途絶えた過疎の町、駒木野。
その「町おこし」がテーマ。
駒木野は、2030年には人口0になるという予想が出ている、どうにもならない過疎の町。
青年クラブ(といっても、メンバーはすでに、30代、40代)では、なんとか町の活気を取り戻そうと知恵を絞る。
ひょんなことから、町にUFOが出現するという評判がたち、
彼らは、これを逆手にとって、町を「日本の四次元地帯」として売り出すことを決意。ネットを駆使し、町の年寄りたちを説き伏せて、彼らの悪戦苦闘が始まる。

すっごく面白い!。これが偽らざる感想です。
しかし、時々あるんですよ。
篠田作品で、途中は、すごく面白くて、興奮してしまうほどなのに、
最後まで読んだらなんだかあっけなくて、あれ?、というのが。
この本も、そうでなければいいなあ・・・と、ちょっと心配になりながら・・・
でも、大丈夫でした。なかなか感動ものです。

青年団のメンバーはいたって現実的で、UFOなんて、信じていないのです。
まさに、ロズウェルなんて知らない。
しかし、そういうことには詳しく、アイデア豊富な変人、鏑木の思いつくまま、
民宿の部屋に、山に、廃墟の遊園地に、
いろいろな仕掛けを施して行く。
UFOも、座敷わらしも、一緒くた。
四次元地帯として、ひとくくり。
読んでいるこちらも、やらせ、作り物と、当然わかってはいるのですが、
たとえば、民宿の開かずの間に時期はずれの古い雛人形が飾ってあって、薄明かりに照らされている・・・とか、
閉鎖された遊園地にあった地下の「お化け屋敷」に作られた、宇宙人解剖のジオラマとか・・・、
思わずぞっとしてしまいます。
ここをめがけてくる人たちも、かなりのオタクというか、なにやら怪しげな人たちではあるのですが、
とにかく話題になり、宿泊客も急増。
やる気のなかった、民宿経営の老人たちも、急に意欲を見せ始め、
おまけに、地元で細々と作っていた畜産品も、人気が出てくる。
ところが、さすがにいんちきだ、やらせだ、という批判も出てきて、窮地に立たされる彼ら。
結局、これは最初から、遊びと割り切っても、楽しめるわけですね。
UFOの里。結構じゃないですか。
そういうイベント、そういう夢。
ディズニーランドとそう変わらない。

結局これはプロジェクトX並みの、町おこしの感動の記録なのでした。
そして、すべてやらせと割り切っているのに、
それでも説明のつかない何かが残るというオチも、楽しい。
こんなところが本当にあったら行きたいなあ
・・・と思ったら、現にそういう村おこしに取り組んでいるところはあるそうです。
アイデアの勝負ですねえ。
どこも、過疎化に苦しんでいるということでもありますが。

満足度★★★★★


シッピング・ニュース

2008年07月26日 | 映画(さ行)

(DVD)
家族・家、そういうことをテーマに据えることが多い、ラッセ・ハルストレム監督。
この作品にも、それが垣間見えます。

主人公クオイルは、ニューヨーク州の小さな町で印刷工をしていましたが、これまでの人生に絶望している。
極め付けに、妻は家出をした挙句愛人とともに事故死。
クオイルは遺された娘バニーと叔母アグニスと共に、父の故郷であるニューファンドランド島へ移り住むことになる。
ニューファンドランド島はカナダの東沖にある孤島で、寒さが厳しく、荒々しい自然に覆われている。
クオイルの父や叔母アグニスが昔住んでいた家がそのままになっていて、3人はそこに住むことになるのですが、
この家、思わず、「崖の上のポニョ」を思い出してしまう、そんな海辺の崖の上にぽつんと建っているのです。

クオイルはなんとか地元の新聞社に職を得て、シッピング・ニュースつまり港湾関係のコラムを担当することに。
少しずつ、地元の生活になじんでいくうちに、いろいろな事実がわかってきます。
彼の一族の先祖はこの島付近を荒らす海賊であったこと。
そのあまりの悪行のために、もともと住んでいる地を追放され、
なんと、今の場所に家ごと引っ張ってきたといういわくがあるという。
また、叔母アグニスにもこの地には耐え難いつらい過去があった・・・。
この家はそういった、一族の暗い過去が封印された家であったということ・・・。
ポニョの家とはぜんぜん違いましたね・・・。

雪原の上、大勢でその家を曳くシーンが、印象的です。
そこに挿入される音楽がまたいいんですよ。力強くもあり物悲しくもある。
日本の太鼓と笛の音にも似たなんだか懐かしい感じもする音楽です。(クリストファー・ヤング)

これらの過去は過去として、ここから、新しい歴史を刻もうとする、
これはクオイルの人生の再生の物語でもあり、
この過去から続く一族の再生でもある、ということなのでしょう。
それは、この一族の象徴であるこの「家」の運命が物語っています。
ジュディ・デンチ演じる叔母も、凄みがあります。
彼女は、多分忌まわしい思い出から逃れるために、この家を出たのです。
でも、年老いてまた、その思いに決着をつけるために戻ってきた。
強いです。
その意味では、やはり、彼女もこの一族の末裔なのでしょう。
それをいえば、クオイルの娘バニーも、その血筋を思わせるところがある。
女性が強い家系なのかも・・・。

クオイルには子供の頃、泳ぎの練習のために父親に水に突き落とされ溺れかけた過去があります。
それ以来ずっと、水底に沈みかけた惨めな人生だと思っている。
ふと、気持ちが落ち込む時、また水が押し寄せて、水底に沈んでいくシーンがあって、秀逸だと思いました。

2001年/アメリカ
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:ケヴィン・スペーシー、ジュリアン・ムーア、ジュディ・デンチ、ケイト・ブランシェット


歩いても 歩いても

2008年07月24日 | 映画(あ行)

失業中の良多が、妻と息子を連れて実家に帰り、夏の一日を過ごす、
・・・というごく平凡な風景を描いた作品です。
特別何か事件が起るわけでもありません。
・・・こんな言い方をつい最近したなあ、と思ったら、「ジャージの二人」でしたね。
全くどこにでもありそうな、のどかな日常の中から浮かび上がってくる何か・・・。
その際立て方が、腕の見せ所ということになるのでしょうね。

この良多の実家の父は元開業医。
今はもう引退していますが、住居と医院がつながった造りになっていて、
待合室だったらしい場所や、今も父の書斎となっている診察室の風景が、その名残り。
ここには後を継ごうとしていた長男がいたのですが、15年前に事故で亡くなっている。
今日はちょうどその長男の命日。
良多は多分いつもそのできの良い兄と比べられるのがいやで、家を飛び出していたのですね。
だから今でも、父親とはギクシャクしている。
妻は再婚で息子はその連れ子。
・・・そのような背景も会話を聞くうちにわかってくる仕組みです。
そこには姉夫婦と二人の子供もきていて、なんとも賑やかに。
お盆などにどこの家にもありそうなこの風景はほほえましくて、にんまりしてしまいます。
そんな中で、15年たっても、ぽっかりと抜けてむなしい長男の存在。
その空虚感がまず、胸に迫ります。

ここぞとばかりに、お得意の料理を披露する母とし子。
その料理のシーン、思わず、よだれがあふれてきます。
枝豆とミョウガのまぜ寿司。
トウモロコシのかき揚げ・・・。
てきぱきとして、世話好きで・・・、まさに実家の「おかあさん」の雰囲気そのもの。
ところが、とんでもない。
次第に、その胸の奥底にオリのようにたまっている『無念』が、ふと垣間見える瞬間があって、ヒヤリとさせられるのです。
なんといっても長男を失ったことは最大の無念。
時にはほとんど常軌を逸しているかに思えるほど。
そして、とし子自身の結婚生活についても実のところは・・・。

「歩いても歩いても」、この題名が、何をさしているのか、ようやくここでわかるのです。
私くらいの年代なら、当然知っているはずのあの曲の歌詞ではありませんか。
しかし、その曲に向けた母の思いは、歌の調子とは裏腹にひどく苦いものなのです。
娘・息子・孫たちが想像したこともない「おばあちゃん」の女としての「無念」が、そこにあるのです。
とし子を演じた樹木希林、さすが、というしかありません。
この映画は彼女無しには成り立ちません。

しかし、表面上は穏やかに一日が過ぎ、嵐が過ぎたように息子一家が帰ってゆく。
でも私たちは、この一日の描写で、父の人生、母の人生を垣間見るのです。
良質の作品でした。
ゴンチチの音楽もまたよし。

2008年/日本/104分
監督:是枝裕和
出演:阿部寛、夏川結衣、YOU、樹木希林

「歩いても 歩いても」公式サイト


「ショートソング」 枡野浩一

2008年07月22日 | 本(恋愛)

「ショートソング」 枡野浩一  集英社文庫

ショートソングとは、つまり短歌のことです。
作者枡野浩一氏は歌人。
新進気鋭といいますか、現代の5・7・5・7・7なんですね。
実は私、ほんのちょっと俳句を勉強しかけたことがあるのですが、
やはり俳句はさらに字数が少なくて、なかなか思いを5・7・5に収めるのは難しい。
季語という制約もあって、どうしても、季節感・自然をあらわすものになりますね。
もう少し自由に自分の思いをこめたい、となるとやっぱり短歌かなあ、と思います。
それで、ちょっと興味はあるのです。
さてと、でもこれは歌集ではなくてれっきとした小説。

ハーフで美男子、大学生の克夫。
ひょんなことから短歌の会合に引っ張り込まれて、
短歌を始めることになってしまった。
そこにはめがねの似合う天才歌人、伊賀がいて、
彼の指導もあって、めきめきと上達。
この本は、克夫と伊賀が交互に語り手となって、ストーリーが進んでいきます。
もちろん、中にはいろいろな歌もちりばめられていて、楽しめます。
短歌は恋の歌が多いですね。
いにしえには、万葉歌人が手紙の変わりに交わしたものですから。
なので、ここでも、いろいろな女性が登場して、ほのかなラブストーリーも進行するわけです。
とにかく、このちょっとエキセントリックな歌人枡野浩一氏の作品を知っておくのも悪くはないと思います。
しかし、克夫の妹が若芽。・・・それはないでしょ・・・。

この方の歌集をきちんと読んでみたくなりました。
ホームページも、とてもユニークです。

枡野浩一公式サイト

満足度★★★
言ってるわりに評価は低い・・・?
この作品、小説としては、特に好きな話ではありません。
・・・が、まだ見ぬ歌集は期待できそう。


カサノバ

2008年07月21日 | 映画(か行)

(DVD)

ここのところラッセ・ハルストレムを意識してみています。
一度見たものがほとんどですが、もう一度きちんとまとめておこうと思いまして。

さて、このカサノバは、かの有名な史上最大のプレイボーイとして名高い、あのカサノバその人。
ならば、かなり濃密なシーンがありそうなのに、ぜんぜんありませんでした。
18世紀のヴェネチア。
まあ、今も、ヴェネチアの街はその頃とほとんど変わっていないわけで、
そこでロケーションをしたこの映画には、その美しい風景がいっぱいです。
無邪気で、いたずら好きの少年のようなカサノバ。
その彼が、知的で剣の腕も立ち、またひそかに本を書いているフランチェスカという女性に、真実の愛を見つけます。
カーニバルの夜。
花火が打ち上げられる賑やかな夜のベネチアに浮かぶ気球。
そこで語り合う二人。
夢のように美しい情景でした。

この時代、当然TVも写真もありません。
だから、街ではプレイボーイのカサノバの名前は誰もが知っていて有名なのですが、
実のところ、その顔を知っている人はそう多くない。
それは、カサノバに限らず誰もがそうなのですが。
そんなわけで、別人に成りすますなんてことは意外と簡単にできてしまうわけです。
そういうところがこの映画のポイントになっているんですね。

このカサノバは、屋根を走り回ったり、隣の建物の窓に飛び移ったり、ロープにぶら下がって馬に飛び乗ったり、
なんとアクションもこなす、チャーミングな青年です。
だから私はヒース・レジャーはこの映画で偲びたい。
「キャンディ」ではちょっとつらすぎます。

総じて、この作品は、ラッセ・ハルストレムとしては異色作。
いつもはもっとつらい現実を、ほんのり温かい目で見守るような作風。
この作品はほとんどコメディになってますので・・・。
監督がちょっと茶目っ気を出して、こんなこともできるんですよ~と、遊んで見せた、私にはそのように感じられます。

この作品の他の脇役たちがまたそれぞれユニーク。
最後に船に飛び乗ってヴェネチアを出奔するメンバー、
そしてまた、そこに残る選択をしたメンバー、
最後のちょっと意外な展開も、なかなかおしゃれでした。

2006年/アメリカ/112分
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:ヒース・レジャー、シエナ・ミラー、ジェレミー・アイアンズ

 


崖の上のポニョ

2008年07月20日 | 映画(か行)

待ちに待った、「ハウルの動く城」以来4年ぶりの宮崎アニメ。
昨日から公開されたばかりで、実はこんなに早く行くつもりではなかったのですが、
先日苦労の末手に入れた東宝プラザの招待券が、
25日までで期限切れになってしまうので、
今日、見てきました。
東宝プラザはやはり穴場で、朝イチだったせいもあってか、思ったより混んでいなかった。ラッキー!

さて、今回はCGを使わず、すべて手描きのアニメーションということ。
ほんのり柔らかな線が、ファンタジー効果をあげています。
無数のくらげや、他の海の生き物たち、ポニョの妹たちとか・・・、
本当に、人の手仕事は偉大ですよ!
思わず、手を合わせて拝みたくなってしまいます。

この「崖の上のポニョ」は、完全に子供向けということを意識して作ったといいます。
それで、ここでの主人公は5歳の宗介。
5歳といったら、まだ小学校にも上っていないんですよ。
保育園児。
でも、たくましくていいなあ。
宮崎アニメに出てくる子供は元気でたくましくて大好き。
この子の母がリサで、宗介は母を「リサ」と呼ぶ。
母親が、こんな子供でも、きちんと一人の人格として認めて接しているだろうことが伺えます。
これが「ママ」なら、とてもこのような活躍は望めそうにありません・・・。

一方、ポニョは魚なんですが・・・。人面魚。
パンは食べないけどハムが好き。実はちょっと怖くないですか・・・?
まあ、それはともかく、謎に満ちたフジモリ氏と海の女神グランマンマーレの子供。
なぜ、ポニョが一匹(一人?)だけなのに妹が無数にいるのか。
弟はいないのか。
フジモリ氏はあの魔法の薬で何をしようとしていたのか。
すべて謎だらけですが、さしたる説明もなし。
いいんです。そういうディティールを言う作品ではない、ということなのでしょう。

そんなことより、ダイナミックな海、波!!
あの、魚の波の上をポニョが疾走するシーンは目に焼きついています。
なんてステキに躍動感があるのでしょう。
こんな表現はやはり、宮崎アニメでなければ見られないと思います。

町が海の底に沈んでしまうシーン。
これが実際だったら大惨事ですが、ここではまるで夢のように美しい・・・。
水は澄んでいて、アスファルトの道路や、家々の上を大きな古代の魚がまるで空を飛ぶようにゆったりと泳いでいる。
人々もどこかお祭り騒ぎのような感じで、船で避難。
ちょっと異次元に入り込んだようなこの町の雰囲気が、なんだかとてもステキです。

この映画を見て、終末の予感とか、海=自然として、自然と人間の調和とか共生とか、あれこれ難しい理屈をこねる必要はないのではないかと思います。
今、5歳くらいの子供たちがこの映画を見たら、
きっとどこか心に残るシーンがあるはず。
なんだか、ワクワクした気持ち、夢、希望。
そういうものを感じてくれたらそれでOK。
・・・少なくとも私は童心に返って、それを感じさせてもらいました。

2008年/日本/101分
監督:宮崎 駿
出演(声):奈良柚莉愛、山口智子、長嶋一茂、天海祐希、所ジョージ

「崖の上のポニョ」公式サイト


「ジャージの二人」 長嶋 有

2008年07月19日 | 本(その他)

「ジャージの二人」 長嶋 有 集英社文庫

これは映画化されているのですが、先に読んでしまいました。
北軽井沢の山荘・・・といえばかっこいいですが、ものすごいボロ家。
そこに、一応避暑に出かけた、父と息子。
この二人の物語。
いえ、物語というほどの大きな出来事もないのですが、淡々と日常を語ります。
父はカメラマン。
今は3度目の結婚相手と暮らしていて、娘は中学生。
息子は、小説家志望。
定職にはついていない。妻には他に好きな男がいることを知っている。

この二人は山荘にきても、かび臭い布団を干したりお風呂を沸かしたりするくらいで、単にだらだら過ごすだけ。
祖母が残した、どこかからもらった大量の古着のなかから、
小学生用と思われるダサいジャージを見つけてそれぞれ着用。
お互いの家族から離れて、二人の男がただただ無為に過ごすこの小説は、
しかしなぜか、ぜんぜん退屈ではなく、面白く読めてしまいました。

二人の会話も、ぽつぽつとたまにしかないのですが、
そのあたりが本当に日常っぽいのです。
そのような、退屈な日常の中で、東京の妻を思い、また男とあっているのではないかと心は乱れ、・・・。
ああ、あるなあ、そんな感じ。
心に引っかかることはあるけれど、でも、日常はだらだら平和に流れていく。
無為。
でも、なんだか、そんな意味のない時の流れが、
ほんのちょっぴり、気持ちを癒していくような気がします。
こんな時間も、時には大切かな。
そんな時は一人ではちょっと寂しいし、気を使わない家族と一緒がいい。
でも、完全に何もしないで、人が作るご飯を食べるだけ、というのではなく、
とにかく自分で何か作って、面倒ならコンビニでお弁当を買って、
布団を干して、お風呂のまきを割って・・・、
最低限「生活」しているところがなんだか、いいんだなあ・・・。
これがリゾート地のバカンスだったら、怒るよ。

この本の後半は、「ジャージの三人」になっていて、始めの話から1年後の夏。
息子の妻が、まず来て、帰り、
その次には、父の中学生の娘が来ます。
彼女らも、ジャージを着るのですが、こちらはバーゲンとはいえきちんとしたブランドもの。
女性が入ると、それなりに華やぎますな。

それにしても、この家、アシナガグモやら、カマドウマやら、虫がわさわさ出てきまして、私は、住めそうにありません・・・。

満足度★★★★


「泳いで帰れ」 奥田英朗

2008年07月18日 | 本(その他)

「泳いで帰れ」 奥田英朗 光文社文庫

奥田英朗氏のアテネオリンピック観戦記。ちょうど4年前ですね。
自ら「行動しない作家」といっている著者ではありますが、
なぜか4年前、ギリシアに赴き、オリンピック観戦をすることに。
この本はその記録であります。

氏の一番の注目は野球。
長嶋ジャパンに向けた期待は隠し切れない。
他にも陸上、柔道なども。
全く一般客としての立場です。
だからスタジアムでは、ぎらぎら太陽の照りつける席だったり、中国や地元ギリシアの応援団に巻き込まれたり、そんな苦労話も、なかなか臨場感がある。
日本人は全体に遠慮深いですが、観客席の取り方などにも、国民性は現れていて、
他国の人はもっと、無頓着というか、ずうずうしいようですね。

こんな一文もありました。
「世界の国境線がどうやってできたのか、なんとなくわかった気がした。
日本人の感覚では、自分が一歩引けば向こうも引くと期待する。
しかし、世界はそうではない。
一歩引けば、向こうは踏み込んでくる。
国境線は話し合いで決められたわけではない。
戦争の末だ。
熾烈な鍔迫り合いの結果、生まれた線なのだ。」

ユーモアめかして書いてありますが、ちょっと、どきりとしますね。

意外なことに、現地では、自分の見た競技の結果しかよくわからない。
当然ながら、地元のTVや新聞では、日本人の出た試合結果なんか出てきませんからね・・・。
わざわざ、日本に電話をして確かめたりしたそうです。

女子マラソンのゴールは、奥田氏も見届けていた。
野口みずきがケニアのヌデレバに追い上げられながらも、トップでゴール。
このシーンを読んでいたら、なぜか目がうるうるしてきてしまいました。
まさかこの本で泣けるとは思わなかったなあ。
やはり、オリンピックって格別なものがありますね・・・。

さて、この本の表題がなぜ、「泳いで帰れ」なのか。
その答えは最後の方にありました。
奥田氏の最大の関心競技、野球。
長嶋ジャパンの準決勝戦であります。
対オーストラリア。
ご存知のように、長嶋監督は病に倒れ、アテネには行っていなかった。
そのせいなのか、せっかくのドリームチームのはずが、名だたる主砲が繰り出すバント・・・。
「俺にまかせろ」という気概が感じられるのは松坂だけ。
あとは、
・・・選手が固くなっている。・・・なんという消極策。
・・・アマチュアがすること。・・・異様な光景。・・・悲壮感が漂っている。

いやはや手厳しい。
まさに、ここで奥田氏は唖然とし、憮然とし、そして怒ってしまったのです。
結局無残に負けたこの試合の日本チームに、
奥田氏が向けた言葉が「泳いで帰れ」。
実に痛切。
結局銅メダルだったこのチームの帰国を日本は暖かく迎え入れたわけですが、
それすらも、奥田氏は気に入らなかったようです。

さて、まもなく北京オリンピックが開幕します。
どのようになりますやら。
もし同じ企画で、奥田氏の北京オリンピック観戦記が出たなら、ぜひ読みたいと思います。

満足度★★★★


「孤宿の人(上・下)」 宮部みゆき 

2008年07月17日 | 本(ミステリ)

「孤宿の人(上・下)」 宮部みゆき 新人物ノベルス

宮部みゆきの時代物です。
この話は江戸ではなくて、讃岐の丸海(まるみ)藩というところが舞台。(丸海藩は宮部氏の創作です。)
北を瀬戸内海に面し、南を山に囲まれた、滋味豊かな自然に恵まれた郷、とあります。
ここに、江戸から一人の罪人が護送されて来ることになった。
それは幕府のかなりの要人でありながら、
自分の妻子や役人数名を切り殺してしまったという大罪。
周りからも敬われていた優秀な人物だったはずが、なぜそのようなことをしてしまったのかは、黙して語らず・・・。
始末に困った幕府は、罪人としての預かりを丸海藩に押し付けてきた。
つまり、島流し、という奴ですね。
しかし、藩にとってみれば、これはかなり厄介なことなのです。
罪人とはいえ、相当位の高い人なので、そう適当には扱えない。
もし、何らかの粗相が江戸に伝われば、藩のとり潰しにもつながりかねない。
むしろ幕府は、それを狙っている節さえある。
丸海の人々は、この罪人加賀様は、鬼に取り付かれているに違いないと噂し、
何かよくないことがおこるのではないかと案じている。

さて、一方ここに一人の少女が登場します。
名前は”ほう”。
ちょっと頭の回らないところがあって、
人からは阿呆の”ほう”だといわれ、自分でもそう思っている。
”ほう”は不幸な生い立ちの末、江戸からはるばるこの丸海につれてこられた挙句、置き去りにされてしまったという悲惨な身の上。
しかし、この町の藩医の家に拾われ、おそらく生まれてはじめての安らかな日々を過ごしている。

この”ほう”が、加賀様の籠もっている涸滝屋敷に下女として奉公することになるのです。
それでも、普通なら、このような下女が加賀様と直接会うなどということは絶対にないはずのことでした。
ところが、ある事件により、ほうは加賀様に対面します。
”ほう”も、村の人々と同様、加賀様を鬼のような人と思っていたのですが・・・。

まあ、これが一応中心のストーリーといえると思いますが、
他にもいろいろな登場人物がいろいろな事件、情景を紡いでいて、
大変読み応えのある内容となっています。
そもそも、ストーリーの序盤に、
ほうが慕っている大変気立ての優しい琴江が毒殺されてしまう、
というショッキングな出来事があって、度肝を抜きます。
いろいろ魅力的な人たちがいまして、
町役所の同心、渡部。
女だてらに町廻り同心の手伝いをしている宇佐。
しかし、作者は、彼、彼女にも、過酷な運命を用意しています。
本当に、先の予測がつかない展開で、びっくりさせられ通し。

この”ほう”が、まさに、純真無垢といいましょうか、けなげで真摯で働き者で・・・。
幾度ほろりとさせられたことか・・・。
何しろ、働かなければご飯を食べてはいけないと思い込んでいたりするのは、
誰かさんに爪の垢をせんじて飲ませたいくらいですね。
・・・だから、誰もが気にして、優しくしたくなる・・・。
人の善意を汲み出すのも、才能の一つかもしれない、なんて思ったりします。

鬼。
人智の及ばない強大な力を持った何か。
その力が良い方に向けば神だし、
悪い方に向けば鬼とか、魔とか、呼ぶのでしょうね。
その良し悪しというのも、私たちの見る目で変わる。
神も鬼も実は紙一重なんですね。
・・・そんなことも語っています。

実はこの話のモデルは、讃岐の丸亀藩で、
幕末の幕臣鳥居耀蔵が実際罰をうけて流されたのだとか。
と、言われてもぜんぜんピンとこない歴史音痴の私、残念でした・・・。

でも、この本は面白かったなあ。
近頃私は、宮部みゆき作品は時代物の方が好きです。

満足度★★★★★


マイライフ・アズ・ア・ドッグ

2008年07月15日 | 映画(ま行)

(DVD)
スウェーデン出身、ラッセ・ハルストレム監督のスウェーデン時代の作品で、
監督がハリウッドに招かれるきっかけとなったものです。

舞台は50年代末のスウェーデン、12歳少年イングマルのストーリー。
この時代というのは意味があって、当時、ソ連の人工衛星に一匹のライカ犬が乗せられ、地球初の宇宙旅行生物となりました。
イングマルは食料も水も十分でないまま、生還のあてもなく人工衛星に載せられたその犬のことが頭から離れないのです。
・・・自分の身の上と重なってしまうのですね。

イングマルのお母さんは病気のため、2人の子供の世話もままならず、
やんちゃ盛りのイングマルには心をかき乱されるばかり・・・。
そこで、兄はおばあさんの所へ、イングマルはおじさんの所へしばらく預けられることになったのです。
愛犬シッカンとも離れ離れ。
彼はライカ犬や他のいろいろな不運な人を思い浮かべては、
それよりは今の自分はずっとまし、と自分に言い聞かせます。

それにしても、イングマルのやんちゃぶりといっても、普段なら笑って済ませることができるようなことなのですけどね。
お母さんは精神的にもちょっと、まいっていたようです・・・。

さて、大好きなお母さんから引き離され、見知らぬ村に一人でやってきたイングマル。
でも、その地の人々は思いのほか温かく、すんなりとイングマルを受け入れ、
村の一員にしてしまうのです。
イングマルのやんちゃ振りなど、何も目立ちません。
思うにあれは、お母さんの病で暗くなってしまった家の雰囲気のためにおきてしまったことだったんですね。
おじさんの家に初めてテレビがついて、近所の人々が集まってそれを見るシーンがありました。
どこの国でも、同じですね。
「3丁目の夕日」にも同じようなシーンがありました。
・・・そうか、同時代なんですね。

こんな風で、むしろ、彼にとってはこちらの方が居心地良く見えるのですが、
それでも彼は時折お母さんやシッカンを案じて切なくなるのです。

さて、この村に飛び切りステキな子がいまして、
サッカーもボクシングも得意なサガ。
見たところしっかり少年なのですが、実は女の子。
少しずつ膨らんでいく胸をどうしたら隠せるか、イングマルに相談したりします。
イングマルは布を巻いてみれば・・・なんていって手伝ったりする。
お互い気にしているのか気にしていないのか・・・
実にビミョーというところで、名シーンですねえ・・・。

秋になって、イングマルはまた街に戻るのですが、お母さんの病気は悪化。
冬にはまた、村に戻ってきます。
のどかな村の人々の中で、少年の悲しみが少しずつ癒されていく。
ユーモアを交えながら、しかしじっくりと人々の心、少年の心を描いています。
ラッセ・ハルストレム監督の温かいまなざしを感じます。
いつもこんな風に、周囲の状況は結構厳しいのに、なぜかほんのり温かなものが伝わってくる、この監督が私は大好きなのです。

1985年/スウェーデン/102分
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:アントン・グランセリウス、メリンダ・キンナマン、トーマス・フォン・ブルム


「君は大丈夫か/ZEROより愛をこめて」 安野光雅

2008年07月14日 | 本(解説)

「君は大丈夫か/ZEROより愛をこめて」 安野光雅 ちくま文庫

画家であり絵本作家として名高い安野光雅氏が、
二十歳前後の青年に向けた、生きていくためのメッセージを手紙方式で語った本です。
青年向け・・・、いまさらこの年で、
この本で新たなことを知ったとか、感銘を受けたりしたら恥ずかしいのかも知れませんが、まさに、その通りでした・・・。
以前に私の読書は「現実逃避」であると書いたことがあるのですが、
このように、現実ときちんと向き合うための読書もあるわけだなあ・・・と、少し反省させられました。

この本では、まず、何でも先入観にとらわれずに、きちんと自分でゼロから考えなさいといっています。
たとえば、わかりやすく「ないた赤おに」とか、「走れメロス」など、誰でも知っている話を例にあげているのですが、
どちらも、友情がテーマの感動のお話とされていますよね。

赤おには、人間と仲良くなりたいがために、
青おにの提案で、人間の家で暴れる青おにを赤おにがやっつける。
それが功を成して、人間と赤おには仲良くなることができた。
しかし青おには、この先、赤おにと付き合いのあるところを人間に見られたらよくないと思い、一人この地を去って、どこかへ行ってしまう。
つまりこれは「ヤラセ」の物語・・・詐欺などでよく使う手だというのです。
青おには赤おにに置手紙を置いていくのですが、
本当の友達なら、こんないかにも偽善っぽい置手紙なんかしないで、
さりげなくいなくなり、しばらくしてそっと戻ってくればいい・・・とも。

また、メロスは、親友セリヌンティウスには何の断りもないままに、王と約束をしてしまうことを指摘。
この一方的に人質にされてしまったことを友情だからよしとするのか・・・、と。

まるであら捜しをしているようですか。
でもこれは、つまり、何でも一方的なところから見ないで、
いろいろな方向から見たほうがいい、ということなんですね。
人が名作というからそうなのだろう、という思い込みは、つまらない。
先入観を捨てよう。ゼロから考えよう。

そのほかにも自殺のこと、「事実」と「真実」の違いなど、いろいろ考えることの多い内容となっています。
現実から逃げ回るばかりじゃなく、時にはチャレンジですか・・・。
たしかにこれは、これからの人生の入り口に立つ20歳前後の人にぜひ読んでもらうべき本かもしれません。
それから、少し投げやりになった中高年の人にも。ね。

満足度★★★★


WILD HOGS/団塊ボーイズ

2008年07月13日 | 映画(わ行)

(DVD)
ここに登場するのは、中年のおじさん4人組。

実業家のウディ。しかし実は事業に失敗し、妻にも離婚されている。

歯科医、タグ。最近メタボぎみ。息子にもバカにされている。

自称小説家のボビー。しかし、奥さんにとがめられて、便器修理の仕事に・・・。

パソコンおたくのダドリー。情熱的な恋も知らないまま、これまで来てしまった・・・。


それぞれ、人生に煮詰まって、生きる意欲も減退のこのごろ。
4人の共通の趣味はバイクなのですが、年も年だし、遠出なんかしたこともない。
しかし、すっかり今の人生を投げ出したウディの口車に乗せられ、
なんと、アメリカ横断3200キロの旅に出ることになった。
目指すは西海岸!!。
予定なんか立てない。
地図なんか持たない。
ケータイなんか捨てちまえ!
気分はすっかり少年。
ハーレーダビッドソンでいざ冒険の旅へ!

この旅立ちの高揚感はいいですね。
アメリカ横断、というのはバイクでなくてもロマンを感じます。
あの果てしもない荒野を貫くハイウェイ。
う~ん、気持ちよさそうですね! 
いや、でも、3200キロ・・・。一日でイヤになると思う・・・。
さてしかし、テントを燃やしてしまう等、どじを踏みながらも、途中までは順調に行くのです。

ところが途中のある町で、
バイクを乗り回し好き放題暴れているワルの集団に関わってしまったために、大変なことに・・・。
ユーモアたっぷりで、とても楽しめる作品です。

毎日毎日同じようなことの繰り返し、時にはこんな風に、思い切りハメをはずしてみたい気はしますね。

それにしても、殿方はバイクが好きですね。
まあ、女性でも好きな人はいるでしょうけれど、私はてんでダメです。
ある知人の男性が言ってたんですよ。
「男にはバイクが必要だ。」
今はめったに乗らないのに、せっせと磨きをかけているそうな・・・。
このセリフがあまりにもかっこいいので、しばらく内輪で受けていました。
そうですね、さしずめ女なら・・・
「女にはドレスが必要だ。」
なんて、どうかな?

2007年/アメリカ/100分
監督:ウォルト・ベッカー
出演:ジョン・トラボルタ、ティム・アレン、マーティン・ローレンス、ウィリアム・H・メイシー