映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

ミス・シェパードをお手本に

2016年12月31日 | 映画(ま行)
自由で孤独な魂



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マギー・スミスが16年間主演してきた舞台劇の映画化。
・・・ということで、道理でマギー・スミスがこの役にハマっているはずですよね。
汚れ役でありながら、なんだか凄くリアルな人間像を感じます。
まあ、実際、この舞台劇の作家が実体験した話でもあるわけですから・・・。


北ロンドンのカムデンの町に、
オンボロの車に暮らしている老婦人、ミス・シェパード(マギー・スミス)がいます。
劇作家ベネット(アレックス・ジェニングス)は、
路上駐車をとがめられている彼女に声をかけ、
親切心から彼女を自宅の駐車場に招き入れます。
ほんの少しのあいだ・・・と思っていたのが、なんとも計算違い。
なんと彼女はそれから15年もそこに居着いてしまったのでした!



つまりは浮浪者で、悪臭をはなつミス・シェパードですが、態度は高飛車。
もと修道女であったらしいとか、ピアノが得意らしいとか・・・。
そしてなぜかフランス語が堪能。
自分のことなど決して語らないミス・シェパードなのですが、
ふとした言葉の端々とか、昔の彼女を知る人の話などから垣間見える彼女の人生がなんとも興味深く、
ベネットは、迷惑に思いながらも、彼女を観察することに楽しみを覚えてもいたわけでした。
彼女をネタに作品を書いてしまおうという下心もあったりして・・・。



ミス・シェパードが承諾さえすれば、彼女を迎え入れてくれる施設はあるのです。
けれども彼女はそれを断固拒否。
ボロを着て悪臭を放ちながらも、どこか強い意志を感じさせる彼女が、
次第に高潔にさえ思えてきます。

一体何が彼女をこの生活に追い込んだのか、なぜ彼女はこの生活に固執するのか。
それは彼女の若い頃のつらい体験であり、事故であり・・・、
多分一言で言えるようなことではないのでしょう。
でもときには、車椅子で坂を下る爽快さに、子どものように喜んだりもする。
自由で孤独な魂に、どこか惹かれてしまうのです。



人生の不思議、人の気持ちの不思議を感じます。
・・・良い物語でした。




「ミス・シェパードをお手本に」
2015年/イギリス/103分
監督:ニコラス・ハイトナー
出演:マギー・スミス、アレックス・ジェニングス、ジム・ブロードベント、フランシス・デ・ラ・トゥーア、ロジャー・アラム

人生の不可思議度★★★★★
満足度★★★★☆

「カラスの補習授業」 松原始

2016年12月30日 | 本(解説)
カラスくん、大好き

カラスの補習授業
松原始,植木ななせ
雷鳥社


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あの『カラスの教科書』第2弾が満を持して登場!
もっと深く、もっとマニアックな一冊になりました。
カラスの話題を手繰ると芋づる式にくっついて来るなんだかんだを書いてしまったら、
ドえらく濃い原稿になった。
「内容が濃い」のではない。
関西弁でいう「性格が濃ゆい」のである。
(本文「はじめに」より)
本書は授業形式ですすめられていきます。
前書『カラスの教科書』が基礎編ならば本書は応用編。
ちょっと誰かに教えたくなるカラスの知識がいっぱい。
松原先生のフィールドワークにもお供できます! (本の中で)
さらにとっても詳しい奥深い註釈付き!
カラスに関係あること、ないこと、
関係なさそうに思えてどこかで繋がっていることがさらにわかる!
本文だけ読むもよし、註釈だけ読むもよし。
一体どちらが本文でどちらが註釈なのか……
興味のあるところだけ抜粋して読むのも楽しい補習授業です。


* * * * * * * * * *

「カラスの教科書」は文庫で読みましたが、
その続編である本作は図書館から借りました。
一瞬この本の分厚さにたじろいだのですが、
おなじみの親しみやすい語り口で、意外とスルスル読めました。
ただし、かなり専門的なことに立ち入っているところもあるので、
そんなところはナナメ読み・・・。
それにしてもこのシリーズは、
この植木ななせさんによるイラストのカラスくんにも随分救われていると思います。
一見ハシブトともハシボソともつかないカラスくんではありますが、
可愛らしくて、すごく親しみがわきます。
このイラストがなければ、さしもの語り口の親しみやすさがあるといっても、
まず読む前から拒否してしまったかもしれません。


さてこの本の内容云々は、興味に応じて読んでいただくこととして、
結局、著者松原始さんのカラス愛全開ということに尽きると思います。
大学院修士課程の論文のためにハシブトガラスとハシボソガラスを
ひたすら追いかけ観察し続けた・・・というあたり、本当に頭が下がる思い。


お陰で私もこの両カラスの差異に随分興味を惹かれてしまいまして、
外でカラスを見るたびに、普通にカアカアという鳴き声で「あ、君はハシブトくん。」
地上をスイスイと歩いている「あんたはハシボソくんだねえ・・・」などと
ひとりごちるようになってしまいました。
山裾で、平野につながり、密集した住宅地でもある我が家界隈は、
どちらのカラスも普通に見られます。
知れば世界が余計面白く見えてくる、そういう見本の本ですね!
著者のコミックやアニメ・ゲーム好きも伝わりました!!

蛇足ですが、このイラストの「カラスくん」が気に入ったあまり、
現在羊毛フェルトの「カラスくん」製作中。

近日の、「たんぽぽのさっぽろ散歩」でご紹介します!

「カラスの補習授業」松原始 雷鳥社
満足度★★★★☆
図書館蔵書にて

さざなみ

2016年12月29日 | 映画(さ行)
自分が思っていたのとは違う、夫の姿



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結婚45周年を祝うパーティーを土曜に控え、
準備に追われるジェフ(トム・コートネイ)とケイト(シャーロット・ランプリング)。
その月曜日、ジェフに一通の手紙が届きました。
50年前スイスの山で行方不明となったジェフの元恋人の遺体が発見されたというのです。
その遺体はずっと氷河の中にあったので、
若いその時のままの姿を保っているという・・・。
ジェフは過去の恋愛の記憶を蘇らせ、心ここにあらずという様子になってしまいます。
そんな夫を見て、心穏やかではいられない、ケイト。



遺体発見の知らせは、ジェフが氷漬けにしていた恋人への思いを一気に溶かしだしたようでした。
ケイトの思いは嫉妬だったのでしょうか?
私にはそれは嫉妬というよりも、
これまで自分が思っていた「夫」が、あくまでも自分が思っていただけのものであり、
本当の姿ではなかったということへの狼狽のように思えました。
45年を共に過ごし、夫のことは何もかもわかっていると思っていた。
子どもはできなかったけれども、それでも充足していた。
この結婚は間違っていなかった。
そんな思いが彼女にはあったはず。
ところが、夫は、
「もし彼女が事故にあっていなければ結婚するつもりだった」などという。
ジェフにとって自分は一体何だったのだろう・・・。
夫への失望、怒り・・・。
ケイトはどんどんそんな思いに駆られていくようでした。



最後に、結婚45周年パーティーは予定どおり、開かれます。
そこでジェフのしたスピーチは、全く申し分のないものでした。
一度この夫婦間に生じたさざなみは、これで収まるのでしょうか。
けれども私は最後にカメラが捉えたケイトの目の色を忘れることができません。


夫が、叶わなかった別の人生をずっと夢見ていたのではないか・・・。
そう思い始めると今の自分の足元が崩れ落ちていくような感覚に陥りそうです。
初めの頃のケイトの心は確かに「さざなみ」程度だったのですが、
それは次第にさざなみでは収まらず、
彼女の中では白波の立つ大きな波のようになっていったのかもしれません。



本作の原題は「45Years」。
確かにこれでは、身も蓋もない。
昨今珍しい情緒的な邦題となりました。
でも、やはり、最後のケイトの心境は、さざなみでは足りなかったのではないかな?と思います。
そしてまた、自分の過去への思いを巡らせるのに夢中で、
45年共に暮らした妻の心中を思い量ることさえしない夫よ、
それはどうなのよ・・・
って、やはり女の立場からは言いたくなってしまいます。



さざなみ [DVD]
シャーロット・ランプリング,トム・コートネイ
TCエンタテインメント


「さざなみ」
2015年/イギリス/95分
監督:アンドリュー・ヘイ
出演:シャーロット・ランプリング、トム・コートネイ、ジェラルディン・ジェームズ、ドリー・ウェルズ、デビッド・シブリー

「カラスの教科書」 松原始

2016年12月28日 | 本(解説)
身近だけどよく知らないカラスについて

カラスの教科書 (講談社文庫)
松原 始
講談社


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ゴミを漁り、カアカアとうるさがられるカラス。
走る車にクルミの殻を割らせ、マヨネーズを好む。
賢いと言われながらとかく忌み嫌われがちな真っ黒けの鳥の生態をつぶさに観察すると、
驚くことばかり。
日々、カラスを追いかける気鋭の動物行動学者がこの愛すべき存在に迫る、
目からウロコのカラスの入門書!


* * * * * * * * * *

動物行動学者さんによる「カラスの教科書」。
確かにとても身近だけれど、あまり良く知らないカラスのことを
きちんと知りたくなりました。


実は今年の春のこと。
とある川べりの公園に和歌の書かれた碑が幾つかあるのに気づいて、
じっくり読んでいたのです。
すると、その一つの上にカラスが止まってじーっとこちらを見ています。
ちょうどこちらの顔の高さと同じくらいの位置で、
見ているというよりも睨まれている、ガンつけられている、という感じ。
負けじと私も睨み返したのですが・・・
しかし、負けました。
内心、「なんでこんなところでカラスとにらめっこしてるんだろ、私」
という思いもあり、馬鹿らしくなって、背中を向けて歩き始めると・・・、
後ろから私の頭の横をかすめて飛んできました。
それも2度。
きっとその近くの木に巣があって、幼鳥もいたのだろうと思います。
時期的にもそういう時期でした。
ここの公園ではよく人がカラスに襲われると聞いたこともあるので、
ついに私もやられてしまったわけです。


さて、本巻にはそんな時の対処法も書かれていました。
カラスが人を襲うのはこんな風にヒナを育てているときのみ。
カラスだって自分よりずっと大きい人間が本当は怖いので、
この時期以外は襲ったりはしない。
そして、ほとんどは後ろからかすめ飛ぶだけ。
そのときに、足で頭を蹴るようなこともあるけれど、怪我をするほどではない。
あのくちばしで人をつついたりはしないということです。
だってそうするとカラスだって飛び続けることができないから、自分も怪我をしてしまいます。
襲われたと思って逃げようとして、慌てて転んでけがをすることのほうが多いそうです。
こんな時期のカラスを見かけたらあまり近寄らないほうが良いわけですが、
そうも行きませんよね。
いつもの通り道に勝手にカラスが巣を作っちゃうわけですから。
だから私のように、明らかにカラスが威嚇しているとわかったときには、
すぐに立ち去るのがいいそうですが、
無防備に背中を見せてしまうのではなく、
時々後ろを振り返って「見てるぞ!」とわかるようにするといいのだとか。
う~ん、私もあのときはにらめっこしたままそーっと後ずさりしながら立ち去ればよかった・・・と、
今更ながら思う次第。
熊と出会ったときも目をそらすな、といいますもんねえ・・・。


それから、ひとくちに「カラス」と言いますが
私たちの身の回りにいるのは「ハシブトガラス」と「ハシボソガラス」。
その見た目の違いくらいは私も知っていたのですが、
本巻でその住み分けとか鳴き方、歩き方、色々と違うことがわかりました。
こういうことを知ると、家の近所のカラスにも妙に親近感を持ってしまいます。
あ、君はハシブトくん。
あんたはハシボソさんだねえ・・・、
なるほど~、などとひとりごちてしまうこの頃。


「カラスの教科書」松原始 講談社文庫
満足度★★★★☆

こころに剣士を

2016年12月27日 | 映画(か行)
これぞ「剣士」の心意気



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エストニアが舞台の、実話に基づく物語です。


エストニアは2次大戦中はドイツに、大戦末期からはソ連の占領下にありました。
その、1950年代初頭、エストニアの田舎町ハープサルに、青年エンデルがやってきます。
彼は元フェンシングのスター選手。
そして、以前ドイツ軍に従軍していたために、ソ連の秘密警察から追われる立場にあります。
しばらく身を隠すためにこの町にやってきて、小学校教師の職を得ます。
そしてそこで、課外活動としてフェンシングを教えることになるのです。
子どもが苦手、というより、どう扱っていいかわからないエンデル。
これまで子どもと接することがあまりなかったのでしょう。
それでも、子どもたちの熱心さと純真さに触れるうちに、
彼も心動かされていきます。

そんなある日、子どもたちが、レニングラードで開催される全国大会に出たいと言い出します。
わざわざ、レニングラードから身を隠すためにここへ来ているのに・・・。
彼には大変危険です。
「大会にはまだ出られない」と彼は子どもたちに告げますが・・・。



結局、エンデルは子どもたちの熱意に負け、
身の危険を犯してレニングラードへ行くわけですが、
この心意気こそが「剣士」なのですね。
始めのうち、葦や木の枝で剣を作り、後には中古の装備を得て、
かと思えば大会では電気剣を使用することになっていて、慌ててみたり。
中央から見れば正に、田舎者でしょう。
そんな子どもたちの活躍もまた、胸がすきます。



それから、当時のソ連の体制というのがまた、きついですね。
子どもたちの多くの父親は、ソ連に強制連行されてしまっていて、不在なのです。
そしてまた、フェンシングの部活存続についての多数決を取るときに、
反体制的な意見を述べたものが、後に秘密警察により連行されてしまったりする。
こんな中では本当の意見なんかいうことはできません・・・。

美しいエストニアの風景の中で、こんな歴史があったことを改めて知りました。
重い内容ではありますが、
ともかく子どもたちのキラキラした瞳と明るい表情に救われます。
おすすめの作品です。



「こころに剣士を」
2015年/フィンランド・エストニア・ドイツ/99分
監督:クラウス・ハロ
出演:マルト・アバンディ、ウルスラ・ラタセップ、リーサ・コッペル、レンビット・ウルフサク、ヨーナス・コック
歴史発掘度★★★★★
子どもたちの熱意★★★★☆
満足度★★★★☆

映画ビリギャル

2016年12月26日 | 映画(は行)
ポジティブなんだか無謀なんだか・・・



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投稿サイトに掲載された実話が書籍化され、それがさらに映画化されたもの。
コメディ仕立てではありますが、ステキに心ときめく作品です。


工藤さやか(有村架純)は、偏差値30、学年ビリの金髪ギャル。
そんな彼女が高2の夏、塾で講師坪田(伊藤淳史)と出会い、
慶應大学合格を目指すことになります。



このさやかちゃんの頑張りも凄いのですが、
何と言っても素晴らしいのは坪田先生ですよね。
当初小学校4年程度の学力しかなかったさやかをやる気にさせる、
というのがまず凄いし、
目標を慶應大学としてしまう、ポジティブなんだか無謀なんだかよくわからないおおらかさもいい。
子どもたち一人ひとりをよく見て、知って、そして信じている。
すべての教師がこんな風ならいじめなんかも起きないかもしれません・・・。
あ、いや、でも一人で40人相手ではやはりムリか。
もっと小規模な「塾」という場と、彼の方針を認める塾長があればこそ。



さやかは始めのうち砂漠に水が染み込むように、どんどん知識を吸収していくのですが、
やはり途中で壁に突き当たります。
そんなときは家族関係もまた、問題に突き当たっている。
いろいろな人と関わり合いながら、さやかはそれを乗り越えていく。
そういったストーリー展開も非常によくできています。



それにしても、授業中の居眠りがあまりにも多いので、
学校に呼び出されてしまったさやかの母(吉田羊)は言うのです。

「さやかは、塾でも家に帰ってからも夜通し必死で勉強している。
学校で寝ないのだったら、さやかはいつ寝ればいいんですか!!」

この言い分には、はじめからさやかの受験をバカにしている教師(安田顕)もタジタジで、
ついに、「他の生徒に迷惑がかからなければ・・・」ということで承諾させられてしまうのです。
笑っちゃいますね。
受験にかかわらない教科はどうでもいい・・・
誰もがそう思ってはいるのでしょうけれど、ここまであからさまだと、笑うしかありません。
ちなみに、この先生のエンドロールのときの一枚のスナップ写真を、お見逃しなく!!



親の期待がかかりすぎてもダメ、なさすぎてもダメ。
親の立場は難しいですね。
子どもの自ら伸びようとする力をしっかり信じて、
ハラハラしながら見守るしかないのでしょう・・・。



映画 ビリギャル DVD スタンダード・エディション
有村架純,伊藤淳史,吉田羊,田中哲司,野村周平
東宝



「映画ビリギャル」
2015年/日本/117分
監督:土井裕泰
原作:坪田信貴
出演:有村架純、伊藤淳史、野村周平、吉田羊、田中哲司、安田顕

達成度★★★★★
満足度★★★★★

「苦手図鑑」 北大路公子

2016年12月25日 | 本(エッセイ)
無駄に繊細な筆致

苦手図鑑 (角川文庫)
北大路 公子
KADOKAWA


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世界は苦手なもので溢れているけれど、今日もなんとか暮らしています。
読むとどうでもいい気分になって酒でも飲んで眠りたくなる、脱力系エッセイ集。
居酒屋の店内で迷子になり、
電話でカジュアルに300万の借金を申し込まれ、
ゴミ分別の複雑さに途方に暮れる……。
キミコさん(趣味・昼酒)の「苦手」に溢れた日常を、
無駄に繊細な筆致で描きます。


* * * * * * * * * *

なぜでしょう、正直、くだらないとは思いつつ・・・、
なぜか書店の店頭で見かけると、手に取らずにはいられない、
麻薬のように私をひきつけて止まず、止められないキミコ本・・・。
一見ダラダラとした日常をそのまま記述したように見えて、
文章の表現、構成等にはセンスのキラメキを隠し持っています。
そしてまた、自己保身のかけらもない思い切りの良い自虐ネタにも、
敬意を表したくなってしまうのです。
札幌在住の親近感ということもありますが、大好きです!キミコさま。


さて、本巻は著者の苦手な物について書かれたエッセイ。
共感を呼ぶものもあれば、え?そうなの?というものもあり、
けれどそれはそれでまたおかしい。


私がすごく「あるある」と思ったのは、
キミコさんが洋画を見て、登場人物が皆同じ顔に見えて区別がつかなくて困る、
というところ。
いつも必ずというわけではないのですが、
誰が誰やらわからないのでストーリーもこんぐらかって最期までなんだかよくわからない、
ということが私にもあります。
あ、それで今気づいたのですが、
私が政治・経済ネタの映画が苦手なのはそのせいがあるのかも・・・。
多くの場合こういう作品は皆スーツを着てきちんとした髪の男性が多く登場します。
くるくる巻き毛の長髪とか、無精髭の人なんかあまり出てこない。
とはいえ、最近私は、以前よりは混同率は下がっていると思います。
というのは、好きな俳優さんが増えたから。
さすがに好きな俳優さんなら、どこでどんな役をしていてもわかります。
キミコさんによれば、登場人物は男女、老人と子供、太った人・痩せた人、ハゲとフサフサ、
これだけで表現せよ、と。
確かに、それならわかりやすい。
逆に西洋の方は東洋人がみな同じ顔にみえるということを聞いたことがあります。
最近TVニュースを見て思ったのですが、
西洋の方には朴槿恵大統領も小池都知事も同じに見えるのではないかなあ・・・なんて。


余談が多くなりすぎました。
エッセイといっても、あるところではほとんど小説仕立てになっているところもあります。
例えば「冤罪の行方」。
ある家の定年退職した男性が、つれづれに庭造りをはじめた。
ところがいつも白く大きな猫が庭を荒らしに来る。
近所のウワサによれば、それは裏の家の猫であるらしい。
しかし小市民である彼には、文句を言いに行くことができない。
時折庭で「裏のカンダ家には困ったものだ・・・」と妻や知人に愚痴を言うのみ。

常とは異なるこのストーリーの行方はいかに!と気をもむところなのですが、
そこが著者の上手いところなんですよねえ。
ちゃんと話は彼女のもとにつながっていきます。
なかなか切ないです。


この本の紹介文「無駄に繊細な筆致」、
なるほど、上手いことを言うなあ・・・

「苦手図鑑」北大路公子 角川文庫
満足度★★★★☆


二重生活

2016年12月24日 | 映画(な行)
理由のない尾行の果てに



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うーむ。これはなかなか一筋縄ではいかない作品。
何しろテーマは
「なぜ人は存在するのか。何のために生きるのか。」



本作主人公・白石珠(門脇麦)は、大学院哲学科の院生で、
目下この命題の修士論文に取り掛かろうとしています。
担当教授の篠原(リリー・フランキー)に相談すると、
100人にアンケートを取るよりも、
一人だけを対象とし、密かに張り付いて生活や行動を観察したほうがいい、
というのです。
すなわち、「理由のない尾行」。
珠は、近所に住む、裕福でそれなりの地位にあり、美人の妻と子を持つ男性・石坂(長谷川博己)に注目し、
尾行を開始します。
対象者との接触は厳禁。

ところが、珠は石坂の不倫を目の当たりにしてしまうのです。
尾行することのスリル、そして発覚した秘密の重み。
珠は尾行という行為に取り憑かれたようになっていきますが、
そのことは次第に自分自身をも追い詰めてゆくことになる・・・。



なぜ「理由なき尾行」が生きることの意味を探ることになるのか、
そこら辺の「哲学的飛躍」は、私にもよくわからないのですが、
一見幸せ極まりない生活に思えるのに、なぜ不倫し、家庭の破滅へ向かおうとするのか・・・、
誰もがフラフラと迷いながら答えを見つけていくしかないと、
石坂の心に自分を重ねてしまった珠は思ったのかもしれません。



珠は卓也(菅田将暉)と同棲していたのですが、
尾行を始めるようになってからはどうもしっくり行きません。
というよりも、それまでも深く彼を理解し愛そうと思っていたわけではなく、
ただなんとなく共にいただけだったのですね。
ついに卓也は
「俺達は何のために一緒に住んでいるんだ?」
と珠に問います。
確かに、このままでは単にルームシェアと変わらない。
珠のなんとも捉えようのない心のぐちゃぐちゃを、
私たちも共に体験するための作品なのかもしれません。
そして、答えは自分で探してね、と。



それともう一つ本作には別の軸がありまして、
それは教授自身のこと。
彼がこれまで何を拠り所に生きてきたのか、
生きる意味を何に見出そうとしていたのか、
このことは割とわかりやすく描かれています。
まあ、そう難しく考えなくとも、楽しめる作品ではあるかな?

二重生活 [DVD]
門脇麦,長谷川博己,菅田将暉,リリー・フランキー
KADOKAWA / 角川書店


「二重生活」
2015年/日本/126分
監督・脚本:岸善幸
原作:小池真理子
出演:門脇麦、長谷川博己、菅田将暉、リリー・フランキー
哲学度★★★★☆
満足度★★★★☆

「飛ぶ教室」 エーリヒ・ケストナー

2016年12月23日 | 本(その他)
クリスマスに

飛ぶ教室 (岩波少年文庫)
ヴァルター・トリアー,Erich K¨astner,池田 香代子
岩波書店


* * * * * * * * * *

ボクサー志望のマッツ、貧しくも秀才のマルティン、
おくびょうなウーリ、詩人ジョニー、クールなゼバスティアーン。
個性ゆたかな少年たちそれぞれの悩み、悲しみ、そしてあこがれ。
寄宿学校に涙と笑いのクリスマスがやってきます。


* * * * * * * * * *


ファンタジーとは少し違いますが、クリスマス向きの児童文学といえばこれ!!


ドイツの男子の寄宿学校ギムナジウム、と言えば
私のような萩尾望都ファンには「トーマの心臓」などのイメージ、
それだけでなんだかうれしくなってしまいます。


クリスマスに「飛ぶ教室」というオリジナルの劇を披露しようとしている仲間たちは
ギムナジウムの5年生。
ギムナジウムは日本の小学5年生から中学・高校生くらいまでの9年制と言いますから、
5年生といえば年齢からすると15歳くらいでしょうか。
個性豊かな少年たち。
育った環境も性格も何もかも違うのに、
お互いがそれを認め合い尊重しあっているのです。
青少年向けの作品というのに、いきなりよその学校との乱闘騒ぎというのにも驚かされます。
考えてみると最近の作品はそういうところが配慮されすぎているのかもしれませんね。
けっこう乱暴なシーンもありますが、
この年令の男の子たちで、これがなければウソのようにも思います。


この歳で本作を読み直して思うのは、少年たちの魅力もさるところながら、
彼らを取り巻く大人たちのなんとステキなこと!
教師で舎監もしている<正義さん>、
近くの公園の客車車両に住む<禁煙さん>。
かつて同じところで暮らした自分たちと彼らを重ね合わせることもあるし、
だから一人ひとりに幸せになって欲しい。
そっと見守って、まちがいそうなときはさり気なく修正。
包容力があります。
そしてなにより彼らは、元気でユニークな少年たちの言動を見るのが大好きなんですね。
彼らの活力を自分のエネルギーにしているようにも思われる。
うーん、実に本当の「大人」とはこういうものだなあ・・・と思うわけです。


他の先生方もそうなんですよ。
クロイツカム先生はいつもいかめしい顔をして、決して表情を崩さない。
だから一見怖いのだけれど、実はそうではない。
ある時、教室に入っていきなり生徒の一人、ウーリが
ゴミ箱に入れられて天井から吊り下げられているのを目にするのです。
しかし先生は慌てず騒がす授業に入り、
あえて、ウーリに質問を投げかけてから始めて、
彼が天上からぶら下げられたのに気づくふりをする。
それからことの顛末を聞いてこういいますね。

「平和を乱すことがなされたら、それをしたものだけでなく、
止めなかった者にも責任はある。」


なんと重い言葉でしょう。
訳者あとがきで池田香代子さんもおっしゃっていますが、
本作が書かれたのはドイツがナチス政権下にあった時。
ケストナーが人々に向けていいたかった言葉なのでしょう。
ちっともなくならない「いじめ」のためにも、キモに命じたい言葉です。


そして、これは私の今の年齢だからこそなのかもしれませんが、
マルティンがお金がなくてクリスマスに帰省できないというシーンでは
泣けて泣けて仕方ありませんでした。
ごく親しい仲間にも彼はそれを打ち明けることができません。
家が貧しいと打ち明けることができないのは彼のプライドです。
でも、世間では誰もが幸せに過ごしている(と思われる)クリスマスに
たった一人で寮にいなければならない、
また本当は一人息子の帰りを待ち浴びている両親も
さぞかし寂しい思いをしているだろうという思い・・・。
これには、さすがの彼も劇のセリフが上の空になってしまうくらい胸が潰れてしまうのです。
「泣くこと厳禁、泣くこと厳禁」
と自分に必死で言い聞かせているマルティンの代わりに
私が涙を流しているような気がしてきます。
でもそんなマルティンの様子がおかしいと、ちゃんと気づいてくれるのが、<正義さん>。
やはり、さすがです。


日本ではクリスマスといえばサンタが来たり、パーティーのどんちゃん騒ぎがあったりと、
そんなイメージなのですが、キリスト教圏ではこんな風に、
家族で過ごす特別に大事な日なのでしょう。
特に、寮で生活している子どもたちにとってはなおさら。


というわけで、クリスマスにちなんだ読書としては最適!

「飛ぶ教室」エーリヒ・ケストナー 岩波少年文庫
満足度★★★★★

ミラクル・ニール!

2016年12月22日 | 映画(ま行)
地球の命運を握る男



* * * * * * * * * *

うーん、ここまでおバカっぽい作品とは思わなかったのですが・・・。


イギリスの学校教師ニール(サイモン・ペッグ)は、
ある日、何でも願いが叶うという能力を手に入れました。
実は地球を滅亡させてしまおうと狙うエイリアンが、無作為に選んだ地球人に何でも願いが叶う能力をもたせ、
どのように使うかで、地球の運命を決めようとしていたのでした。
そうとは知らないニールは、無邪気に能力を使いまくります。
愛犬デニスを話せるようにしたり、騒ぎまくる教室の生徒達を爆発させてしまったり。
(もっとも、これはあまりにもひどいことだと反省し、元に戻します。)
基本的に小市民のニールは、そうあくどいことは考えつかないのですが・・・。



色々なことを試みるニールなのですが、
結局こんな力はろくな結果をもたらさないと気づいていきます。
特に、こんな力で人の心を操ってみても、虚しいだけ・・・と。



そう気づいてニールはこんなことを願ってみます。

「誰もの前に豊かな食料を!」
「戦争のタネが消え去るように!!」
「地球温暖化がストップするように!!」

まともです。すごくまともです。
けれども、どうも世の中はそう簡単ではない。
確かに問題だらけの世界ではありますが、それでも、
色々なことが繋がり関連しあってそれでようやく現状のバランスが取れているらしい。
だから物事は時間をかけて徐々に徐々に改善していかないと、
どこかで不均衡が起きて、また新な災いが発生してしまう、
と、そういうことなのかもしれませんね。
最後のほんの少しのシーンでしたが、ここが2番めに良かったな。



え?一番目ですか。
それは犬のデニスです。
むちゃくちゃ可愛いです。
このデニスの声を吹き替えているのが亡きロビン・ウィリアムズで、
これが最後の出演作とのことです。



ニールの反省を汲んで、エイリアンは地球滅亡を諦めるのか?
それがまたとんでもない結末となっていまして、まあ、面白いといえば面白い・・・。

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サイモン・ペッグ,ケイト・ベッキンセール,ロビン・ウィリアムズ,モンティ・パイソン
Happinet(SB)(D)


「ミラクル・ニール!」
2015年/イギリス/85分
監督:テリー・ジョーンズ
出演:サイモン・ペッグ、ケイト・ベッキンセール、サンジーブ・バスロー、ロブ・リグル
おバカ度★★★★☆
満足度★★☆☆☆

五日物語 3つの王国と3人の女

2016年12月21日 | 映画(あ行)
女の物語



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17世紀イタリアの民話集「ペンタメローネ 五日物語」の中から
3つの物語を選び一編の物語として再構成したもの。
後にシャルル・ペローやグリム兄弟に取り上げられた物語の原形とも言えるとのこと。
ということで、河合隼雄さんを読んだ私としてはなかなか興味深いところです。


3つの物語を一つにしたといっても、やはり舞台は3つに別れていまして、
それぞれの国に交流があって、何かお祝い事や弔事があったりしたときには、王様が招かれたりする、
それくらいのつながりです。
それぞれ、女性の「性(さが)」について語っています。


ロングトレリスの国では、王妃が不妊に悩んでおり、
魔法使いに「海の怪物の心臓を食べると良い」と言われたのです。
勇敢な王が海底へ潜りますが怪物と刺し違えて亡くなってしまいます。

しかし、魔法使いの言葉通り、息子が生まれますが・・・。
正直、ここの話が一番わかりにくい。
(と言うより、私にとって理解しにくい) 
つまりは「母性」についてなのでしょう。
我が子を大切に思うあまりに、抱え込み、支配しようとする母。
そして、もう片方には自由をもとめて心が分裂してしまっている息子・・・
とかなんとか・・・? 解釈するとすれば・・・。



ストロングクリフの国王は好色な遊び人。

ある日美しい歌声を耳にしただけで、その女性に恋をしてしまいます。
しかしその歌声の主はとんでもない老婆。
姉妹で貧しく暮らしていたのですが、戸口の向こうに現れた国王の求愛にビックリ。
この玉の輿のチャンスをのがしてなるものかと、必死で若返ろうとしますが・・・。

若さと美しさ・・・。
確かに女性にとっては永遠に保っていたいもの・・・。
そしてそれはかなり露骨に生=性でもあるようです。


そしてハイヒルズ国。
早く城の外に出て外の世界を見てみたいというお姫様がいます。
父である国王は、つまらない問題を出し、
その答えを言い当てた者に娘を嫁がせると宣言しました。
そして、その答えを言い当てたのが、岩山に住む化物のような男。

映画では「鬼」と訳していましたが、
西洋に「鬼」はいませんし、性質も違うので、若干、訳としてはどうなのか?
と思うところではあります。
映画の解説では「オーガ」とあります。
よくわからないけれど、そのほうが良いかも。
まあ、それはともかく、グリム童話等にもよくあるパターンですね。
父親が無理やり異形の者と娘との結婚を決めてしまう。
でも私たちが知っている物語では、その異形の者は
結局うるわしい王子様だったりするわけですが、本作では違うのですよ!
怪物は怪物のまま。
怪物に陵辱されてしまうお姫様・・・
う~む、深刻です。
そしてまたこれが思いもよらない結末。
いやこれは、現代的。
そんなことありですか、と思う。
(これが原作通りというならかなり凄い)
河合隼雄先生的に言うとこれは「父の娘」の物語ですよね。
娘は自分の父親を尊敬し敬愛し、父の望むようにありたいと思う。
ところがある時突然に、その父から結婚せよといわれてしまう。
これまでの生活がきっぱりと分断されてしまうのです。
本作では、その先は父も誰も頼りにならないから、
自分の運命は自分で切り開くしかないのだ・・・と言っているわけで。
ひゃー、厳しい。


「五日物語 3つの王国と3人の女」
2015年/イタリア・フランス/133分
監督:マッテオ・ガローネ
出演:サルマ・ハエック、バンサン・カッセル、トビー・ジョーンズ、シャーリー・ヘンダーソン、ヘイリー・カーミッシェル

物語の原形度★★★★☆
満足度★★★.5


「1973年のピンボール」 村上春樹

2016年12月20日 | 本(その他)
ピンボールマシンを追い求める理由

1973年のピンボール (講談社文庫)
村上春樹
講談社


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さようなら、3フリッパーのスペースシップ。
さようなら、ジェイズ・バー。
双子の姉妹との"僕"の日々。
女の温もりに沈む"鼠"の渇き。
やがて来る一つの季節の終り
―デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、
ほろ苦い青春を描く三部作のうち、大いなる予感に満ちた第二弾。


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「風の歌を聴け」から3年後、物語の続きです。
前作で一番大きなことなのに4行しかそれについて語られていなかった、かつての恋人の死。
3年後、大学を出て翻訳の仕事を得てもなお、<僕>の胸中は彼女が占めています。
そして、ここで始めて彼女の名前が示されます。
<直子>。
考えてみたら<僕>も友人の<鼠>も、名前が出てこないのに、
ここにその女の子の名前だけが出て来る。
何という存在感。
しかしそれはすでに直子本人を離れた、
<僕>の中のだけにある<直子>という記号なのかもしれません。


本作では、前作の4行に比べてはるかに多くの<直子>の記憶が記述されています。
が、<僕>は、虚しく<直子>の記憶をたどるのみ。
孤独で、心は虚ろです。
そして常に直子に絡め取られている<僕>の深層=<鼠>は、
遠い海辺の町に今もいる。
だからこそ<僕>は空っぽのまま、ただ毎日の淡々とした生活を繰り返しているだけ。


そこへ登場するのが、ふらりと<僕>の家にやってきて同居することになった双子の姉妹。
「この双子は実在しない、<僕>の妄想中の人物」
だと言われても、私は驚かないでしょう。
この双子は、空っぽで今にも消えてしまいそうな<僕>の重しでありバランスであるような気がします。
なぜ双子なのかといえば、
一人ならばそれは恋愛対象としての存在になってしまうから。
そっくりで、どちらがどちらかもわからないような存在に対して
恋愛感情はいだきにくいですよね。


そしてピンボールについて。
かつて夢中になり驚くほどの高得点を出したピンボールのマシンを
<僕>は探し求めます。
なにが彼をそんなに駆り立てたのか。
かつて<僕>が何もかも忘れて無心にそのマシンに向かう時、
彼は彼女の声を聞いたような気がするのです。
そこの部分は、本文中でも、わざわざ棒線が引いてあるという重要な場面。
著者は、私のようなうっかり者の読者にも、
どうしてもそこは見落とさないでほしいと願ったのかもしれませんね(^_^;) 

「あなたのせいじゃない・・・」

と語りかけたのはマシンじゃありませんよ。
でも、その声を聞いた時、あるいは聞いたことが彼の中で再現された時、
何かが吹っ切れたのだろうと思います。


双子は去り、<鼠>は海辺の町を出る。


ここまで読んだら、私、もう一度「羊をめぐる冒険」を読んだほうがいい気がしてきました。
以前に読んだときにはなにもわかっていなかったのかもしれません・・・。

「1973年のピンボール」村上春樹 講談社文庫
満足度★★★★★

「風の歌を聴け」 村上春樹

2016年12月19日 | 本(その他)
読み過ごしてしまいそうな重大なこと

風の歌を聴け (講談社文庫)
村上春樹
講談社


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1970年の夏、海辺の街に帰省した<僕>は、
友人の<鼠>とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。
2人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、
<僕>の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。
青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。
群像新人賞受賞。


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村上春樹氏のデビュー作である本作ですが、実は少し前に読みました。
そう長い作品ではないので、サラッと読んで、しかし、う~ん・・・。
先のあらすじ紹介にもあるように、
「ものうく、ほろ苦く過ぎ去って」いく僕と鼠の夏のことが書かれており、
特に何か大きな事件があるわけではない。
こりゃダメだ、私には感想らしきものなんか書けない・・・、
この作品のどこに感慨を持ていいのかわからない・・・ということで
しばらく寝かせてあったのですね。
ところがその後、河合隼雄先生の著作などを少し読むようになって、
この度もう一度読んでみました。
すると少し、思うところがありました。


作中で、「僕」が、これまでに寝た「女の子」が3人いる、
ということで、順番に説明があります。
その3人目が仏文科の女子学生なのですが、文章はたったの4行。
彼女は自殺したのです。
十分すぎるくらいにショッキングなできごとなのに、
彼女について触れられるのはたったの4行で、
また、作中では最後の方にほんの一行、再度登場するのみです。
私は先に読んだときには、このさり気なさに騙されてしまったのですね。
実は、本作でいちばん重要なのはここのところなのです。


つまり、「僕」はこの記憶から逃れられないでいるのだけれど、
表面上ほとんど忘れたふりをしている。
全編が自殺した女の子から来る葛藤の物語であるのに、そうでないふりをしているのです。


そこで登場するのが友人の「鼠」なのですが、
彼は実は「僕」の深層の自分なのではないでしょうか。
「僕」が4本指の女の子と知り合い、少し親しくなっていく頃に、
「鼠」は「僕」に「彼女を紹介したい」というのです。
「鼠」が彼女を連れてきて「僕」と会うことになっていたのに、
その日ついに「鼠」は現れなかった。
つまりこれは「僕」が4本指の女の子と付き合いたい、
新しい恋人として受け入れたいと思い始めたのだけれど、
心の奥の、自殺した彼女に抑圧されている自分は、
やはりまだ受け入れることはできないと、判断したということなのではないでしょうか。
一見何事も起こらない物語でありながら、
「僕」と「鼠」の虚ろな心は癒やされないままに終わる本作。
だからこそ、続きが必要でした。
そこで「1973年のピンボール」があるわけです。


「風の歌を聴け」村上春樹 講談社文庫
満足度★★★★☆

教授のおかしな妄想殺人

2016年12月18日 | 映画(か行)
殺人計画で蘇る、生きる気力



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アメリカ東部の大学に哲学科の教授エイブ(ホアキン・フェニックス)が赴任してきます。
彼は人生の意味を見失い、孤独で無気力。
かなりのネガティブ思考。
そんな彼に興味を持った女子学生ジル(エマ・ストーン)が、
何かと彼に話しかけ、近寄ってきます。

ある時二人はほんの偶然に、ある悪徳判事のウワサを耳にします。
エイブまるで天啓を受けたかのように、その判事を殺害しようと思い立つのです。
そして、そのことを目標とすることで、エイブの人生は輝きはじめ、
生きる実感を取り戻していくのです。
そしてある日ついに・・・。
もちろん、この計画はジルには秘密で行われるわけです。
完全犯罪のはずだった。
ところが皮肉なことに、この事件の真相に気づくのはジルで・・・。





ウッディ・アレン監督作品としては異色な感じの、
サスペンスドラマに仕上がっているのが興味深い。
ただ、犯罪の手口は単純明快ながら、
その準備段階がやや荒いというか大雑把に過ぎたかもしれませんね。
薬品庫にいるところを見られたり、早朝出かけるところを見られていたり・・・。
まあ、ミステリがテーマの作品ではないので仕方ないか・・・。



でもまあ、何やら危うくて目が離せない教授の存在感が大きいです。
確かに女は、あの、ごくいい感じの青年よりも、
こういうほの暗いところに惹かれることはあるかもしれません。



教授のおかしな妄想殺人 [DVD]
ホアキン・フェニックス,エマ・ストーン,パーカー・ポージー
KADOKAWA / 角川書店


「教授のおかしな妄想殺人」
2015年/アメリカ/95分
監督:ウッディ・アレン
出演:ホアキン・フェニックス、エマ・ストーン、パーカー・ポージー、ジェイミー・ブラックリー、ベッツィ・アイデム

ミステリ度★★★☆☆
満足度★★★☆☆

「モモ」 ミヒャエル・エンデ 

2016年12月17日 | 本(SF・ファンタジー)
時間を失うとはどういうことなのか

モモ (岩波少年文庫(127))
ミヒャエル・エンデ,大島 かおり
岩波書店


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時間に追われ、落ち着きを失って、人間本来の生き方を忘れてしまった現代の人々。
人間たちから時間を奪っているのは、実は時間どろぼうの一味のしわざなのだ…。
この一味から時間をとりもどし、人生のよろこびを回復させたのは、
どこからか突然あらわれた無口な少女だった。
時間の意味を問う異色のファンタジー。


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本作は以前から気にはなっていたのです。
児童文学の中でも、特に取り上げられることの多い作品なので。
しかし、読んでみてオドロキます。
これはもう児童文学という域を遥かに超えています。
まさに、現代の大人達こそが読むべきものと思いました。


まずは「時間どろぼう」。
時間が盗まれるとはどういうことなのか、読む前にはピンときていませんでした。
つまり、使える時間が少なくなってしまうということなので、
人々は少ない時間でより効率的に稼ごうとするあまりに、
どんどん忙しくなり、それが高じるとついにはなにもする気が起こらなくなってしまう。
なにについても関心が持てなくなり無気力になる。
何もかもが灰色で、どうでもよくなって
怒ることも感激することも笑うことも泣くことも失くなり、
心は冷え切って、人も物も、なにも愛せなくなってしまう。


いやはや、これは、ファンタジーの出来事ではない。
正に現代社会の様相そのものではありませんか。
私は、戦慄してしまいました。
この、人々から盗まれてしまった"時間"を取り戻そうと奮闘する少女が、モモであるというわけです。


本作の初めの方にこんな文章があります。

「舞台のうえで演じられる悲痛なできごとや、こっけいな事件について聞き入っていると、
ふしぎなことに、ただの芝居にすぎない舞台上の人生のほうが、
自分たちの日常の生活よりも真実にちかいのではないかと思えてくるのです。」


そうなんです。
ここの「芝居」は、「物語」にも置き換えることができますよね。
だからこそ、私は本作の中に、厳しい現実を見てしまったのです。
まだ記憶にも新しいと思いますが、
休む間も寝る間もなく働き続けていた女性が、ついには「生きる意欲」までもなくして、
自ら命を絶ってしまったという事がありましたよね。
身近な誰かが「モモ」になれたらよかったのに・・・。


また、本作中でモモは人々の「時間」の真の姿である「時間の花」を見ることになります。
素晴らしく美しいシーンです。
この花というのはつまり、人々の感じる力・心ということなのでしょう。
時、すなわち現在・過去を失うとうことは、心をなくすということ・・・。
実際、「忙しい」という漢字は「心を亡くす」と書くのですものね。


本作の冒頭も好きでした。
モモは孤児で、住むところもない、つまりは浮浪児だったのですが、
町の人は彼女を心配し、自分の家に来るように言ったり、施設を紹介しようとしたりします。
けれどもモモの自分一人で暮らしたいという意志を尊重し、
一人で寝泊まりできる場所や、家具を用意してくれます。
そして、食料なども皆で交代に届けてくれる。
モモはこんなみんなが大好きだったし、人々もモモが大好きでした。
・・・それこそ、夢物語のようなことなのですけれど、
なんて豊かな心の人たちばかり・・・、
私まで幸せな気持ちになったのでした。
ところが、その人々が時間を盗まれてどうなってしまうのか。
そういうところに注目しながら、ぜひ読んでみてくださいね。

「モモ」ミヒャエル・エンデ 岩波少年文庫
満足度★★★★★