ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

アサヒビール吹田工場

2009-10-29 05:00:00 | 大阪にて
先週の金曜日、10月23日は電信電話記念日でした。
我社は昼から半日お休みでした。以前この記念日が何を記念して決められたのか、忘れてしまったと綴りましたが、実は1869年のこの日、日本国で初めて横浜~東京間32Kmに電信線架設の工事が開始された日なのです。

逓信省と呼ばれていた時代は、4月20日が郵政記念日と決められていたのですが、1949年に郵政省と電気通信省に分割された際、新たにこの10月23日を電気通信記念日と制定しました。

私の生まれた1952年に日本電信電話公社として発足していますが、1956年になって10月23日を電信電話記念日としてスタートさせていたのです。

何故このような話を書いているかと言うと、我社の社長たる某が今年のこの記念日に際して挨拶を述べているのですが、その件に「第11回目の電信電話記念日・・・」という妙な発言があり、少し電信電話記念日について考えてみたかったのです。

名称は違えど、電気通信記念日であれ、電信電話記念日であれ、10月23日を我が国の電気通信事業の出発点の記念日として制定してから、1949年から数えると61回目、1956年から数えると54回目に当たるわけです。

そういう歴史があるこの日にあたって、社長ともあろうお方が何を勘違いされたのか、僅か11回目の記念日という言い方をされるのは「オイ、ちょっと待てよ!」と言いたくなって当然です。

何が11回目の記念日かというと、日本電信電話株式会社を解体し、西日本電信電話株式会社が発足して10年が経ち、今回11回目の電信電話記念日を迎えたと社長某は言いたいわけですね。

そのような電信電話記念日の考え方は、事実をねじ曲げ、電信電話事業を矮小化してしまう何ものでもありません。電信電話記念日は我社に関係はあるにしても、ただ単に我社だけの記念日ではなく、国家的な記念日なのです。まぁ、社長某にとっては、我社はもう電気通信事業などやってられないという気持ちが強いのでしょうね。

何を勘違いした云々と書きましたが、社長某は勘違いしたのではなく、むしろ意識的にこの記念日の歴史を無視したのでしょう、こういう奴を確信犯と言います。

             

さて、午後から半日休みとなったわけですが、繁盛亭に誘ってくださったKさんがアサヒビールの吹田工場見学を計画され、繁盛亭に参加した12人より多い15人でJR吹田駅に向かったのでした。

最初の写真はJR吹田駅から北方面を眺めています。

平日でしたが、バスで見学に来られている方々もおられ、結構沢山の人が来ていました。バスで来られるのは正解かも知れません。駅からは随分遠い距離でした。

バスの奥にチラッと見えてるレンガ造りの建物は大正時代のものだそうです。

              

鉄人28号の頭と思いきや、これは創業当時のビール工場の煙突の天辺だそうで兜と呼ばれているとか、この吹田工場の貴重なモニュメントになっているそうです。

                   

1889年竣工ですから、120年前のレンガ造りの壁が、玄関に記念撮影用として残されています。

偶然ですが、今日の記事の中で横浜~東京間で電信線架設工事が1869年、この吹田工場誕生が1889年、丁度20年の間隔ですね。

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