三男たちが帰り、タモの無い私はもしも大物がきたら対処できないので釣りをすることが出来ません。残りの数日を釣り無しの生活はさぞ暇なことかと思いきや、重畳山への姫登山道2コースが未だ残っていたのであり、串本山行会の会長さんから教えて貰った風吹山への登山も果たさなければなりません。
この6日も天気は上々で、滝に行くには勿体無かったかも知れませんが、それは後々分かったことであり、この日は何も考えず2番目の分かれ道を行く姫川の滝=お滝さんを目指したのでした。姫川の集落を過ぎ行くほどに右方向にこのてっぺんに切れ込みのある山が姿を現しますが、これが重畳山ではないでしょう。国土地理院の電子地形図を見てもこの山の名前はありません。
よきとぎ橋を渡って2つ目の分かれ道への林道、50mほどしかありませんから日差しがよく通っています。木自体は未だ若いものです。
山道の右側を流れる川は樫谷川、ここに砂防ダムが造られていました。
恐る恐る覗いてみると、上流の方はあまり水が多いようには見えません。
でも下流側は管から水がほとばしって出ています。
こういう地道を歩いていると、水戸黄門のドラマを思い起こして仕方がありません。光圀がどうこうしたということはさて置いて、ドラマですから全国各地を巡るわけです。家康の孫にあたる人物ですから、いくら歳をとっていたとしても1700年頃の話です、東海道と言えども宿場界隈はいざ知らず、こういう山道を歩いていたに違いありません。
こんなところで左右から飛び出してくる山賊に襲われたりするシーンにうってつけでしょう。でもここにも“ヒメ区”の字が・・・これでは撮影に使ってもらえませんね。
急な坂道は一切無く、楽に歩けます。姫川の集落から歩き始めて20分ぐらいで、先ほどはるか下に流れていた樫谷川が足許を流れるようになります。
ずっと地道ですが、大概は歩いてか車で均されています。一ヶ所だけこんなガタガタ道がありました。
魚がいるのか上から覗き込んでいます。水があるようには見えないでしょう。ウグイが右の赤い葉っぱの上に居ます。もう少し大きい魚も居ますが、警戒心が強いみたいです。
姫の家を出て1時間ぐらいで瀑音が聞こえだしました。休憩所の屋根が見えています。
ここまで歩いて、2~3個ある橋だけが舗装されていました。
久し振りの対面ですが、以前来た時より水量が多いような気がします。
以前と言うのは5年前、その時とは河原の雰囲気が変わったような気もします。
休憩所の中に掲げてあった由来文をキッチリ撮り直さねばという思いが強く働いています。
どうです?これで読めますね。振り仮名が見えないかも知れません。お姫様の名前は上から“たぎりひめ、たぎつひめ、いちざしまひめ”です。この地で読んだものの中では、なかなかの名文だと思います。
何故か新聞の束が・・・これは配達前の束ですよ。読売新聞なのですが、配達をサボったにしては、こんなところまで持ってくる者もいないでしょうし、暖を取るのに新聞屋さんがサービスしてくれたのでしょうか、火にくべる薪も置いてありました。
ついでに竈も設えてあるのです。新聞は3月30日付で汚染水の記事がトップに出ていますから、去年のもののようです。
滝壷へと流れ落ちた水は、休憩所の前を細々となって流れ、川に繋がるのでしょうが、落ちてくる水の量と流れ出る水の量のつり合いが取れません。こんな流れ方では滝壷の水は溢れ出してしまいます。