ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

寺町Ⅶ

2007-03-15 05:32:00 | 大阪にて
何を思い出したか、寺町の一番西端『専念寺』を探してきました。

阪神電車・尼崎駅の南側にこの古い案内板がありました。
以前来た時は案内板を見ずに来たので、一番西にあるこの寺は抜かしてしまったのです。

          

この写真の手前に写っているのは、私が一番西端にあると思っていた『如来院』。
レンガ色の交差点の向こうに寺があるようには見えません。何軒か民家や商店があって、その向こうに『専念寺』があったのです。

          

門が奥まっているので余計に判り辛かったんですネ。

        
            

ここはまだ梅が散らずに残っています。
枝垂れの梅は、これ位にしておいてほしいなぁ。
梅には華やかさより、侘び寂び感が似合うように思います。

        

これは何という花なんでしょう。パッと見た時は沈丁花を細長くしたのかと思ったのですが、近寄ってみると全然違います。

            

春も近いのでお寺にも花が咲き、色彩豊かに変化していきます。

        

低木で少し色が緋色がかっていますが、これも梅なんでしょうね。

            

今日からは写真に手を加えて、変化をつけてみました。
どうでしょうか?

        

朝廷から朱塗りの山門を許されたって?何色にしようが自由にしたらええと思うけど、許可を得ないとアカンのは不自由やなぁ。

          




久し振りの京都Ⅱ

2007-03-14 05:21:44 | 
三十三間堂の三十三間というのは、1間=1,818mが33間あるという意味ではありません。それなら1間約1,8mとして約60mあるということになります。

ここでは柱間を表す建築用語、柱の間が33あるということは柱は34本あって、柱間の長さは2間なので、同じく1間約1,8mとして約119mあるという計算になります。

     

しかしパッと見て、端から端まで120mもあるやろか?
120mは大きい球場のホームからバックスクリーンの距離です。

あると言えばあるような気がするし、無いと言えば無いような気がします。

          

東側の外壁に沿った廊下ですが、色を見ると平安神宮みたいです。

時間が無いので、600円分も見ないうちに七条通を隔てた京都国立博物館へ、ここでも500円入場料を取られました。


          

この西洋風建物は特別展示のある時だけ、入場できます。
外観を見ているだけで美しさを感じます。
南側の入場門から見た風景です。

          

常設展示場から表を見た風景です。塀の向こうは三十三間堂です。

          

西門付近です。
特別展示場とマッチした、美しい西洋風建築です。

後ろに白く見えているのが、常設展示場です。

常設展示場では神像の展示が行われていて、駱駝の置物や2頭の色違いの馬の置物、馬に乗った明王などが目を引きました。
撮影禁止なのでここにお見せすることが出来ないのが残念です。


うそばっかり・えどのはなし

2007-03-13 05:27:01 | 読書
          

北原亞以子の『贋作天保六花撰』・・・『うそばっかり・えどのはなし』と読むそうで・・・『がんさく・てんぽうろっかせん』て読むでしょう、「うそばっかり!」・・・タイトルも面白そうだし、『ぼくらの惚れた・・・』の中にもいい評価だったので読んでみたのでした。

御家人崩れ・片岡直次郎、闇の丑松、神道無念流の使い手・金子市之丞、献残屋・森田家清蔵、花魁・三千蔵そして河内山宗俊の6人のしがらみと当時のワルと言われた者共の生活、講談で増幅された小悪の数々。

それに北原本では、あやのという滅法可愛い女子が直次郎の傍に寄り添う。
そこから講談・江戸の六花撰とは違った展開の6人の話が始まる。


しばらくして本屋さんでウロウロしてたら、藤沢周平著『天保悪党伝』というのが目に入り、これは絶対同じ題材で書かれているぞ!とピンと来たのでした。

こちらを先に読めば『天保六花撰』の話は解り易い。

藤沢本は、宗俊が水戸藩の『富籤』を悪用した『影富』を強請りのネタに悪事(?)を働く話を最後に宗俊が罰せられるのを匂わせて終わっているが、北原本はあやのがいるので直次郎の困惑と葛藤で終わっている。

ここの違いが物語の最初からの違いなのだが・・・

どちらが面白いのか・・・それは人それぞれ、興味のある方は是非2冊を読み比べてみては如何かな?

ところでふと思い出したのですが、6人のワルといえば天切り松・闇がたりも確か6人、うち1人は“おこん”という女性だった・・・。

時代も話も全く違うものになっていますが、浅田次郎も話を書くのにこんな所からもヒントを得ていたようですネ。


久し振りの京都

2007-03-12 05:46:51 | お友達
東山花灯路以来1年振りの京都です。
昨年11月の末にも京都で忘年会があったのですが、参加の3日前に骨折してしまい、行けませんでした。

名古屋に赴任していた頃に一緒に働いていた仲間のうち、4人が定年退職するというので送別会がありました。
5時からなので2時間年休で間に合うのですが、半日年休を取って少し京都見物を楽しもうということで、JR京都駅から烏丸通りを200mほど北に向かい東本願寺の見える烏丸七条を右折、七条通りをずっとまっすぐ東へ歩いていきます。

          

5~600mで鴨川に架かる七条大橋に出逢い、あと2~300mで目指す京都国立博物館が左側にあります。

          

忘年会の頃は京都文化博物館で中国・秦の『兵馬俑』の特別展示があったので、前売券も購入していたのに結局は行けず、今回は国立博物館で『神像』の常設展に行こうと思っていたのでした。

博物館の南向かいは国宝・三十三間堂。まずはそちらに拝観することにしましたが、拝観料600円が必要でした。

          

これは三十三間堂、いわゆる蓮華王院本堂ではありません。表の拝観料を徴収する玄関建物。

   

こちらが本堂です。裏側(南側)から写したもの。
まずは撮影禁止の堂内を拝観して・・・千手観音立像が壮観に並んでいました。
風神・雷神は以外に小さい。

          

毎年成人式前後に行われる『通し矢』が行われるのがこちら側。
60m先の的を射るのですが、江戸時代の武士は120m先の的を射ていたとか。

梅散りぬ

2007-03-09 05:32:37 | 大阪にて
今週月曜日に冷たい雨が降り、以来風も冷たく冷え込んでいます。

久し振りに熊野神社の前を通ると梅が散々に散ってしまっていました。

          

この神社、明日3月10日(土)にお茶会が開かれる予定だったそうなのに・・・
ご近所の皆さん、行っても梅はほとんどありませんよ。

          

梅の木公園の梅もご覧の通り・・・

その代わり、熊野神社の境内では岩桜という花が咲いていました。

     

あまり聞き慣れない花です。
『岩桜』・・・お相撲さんの四股名のようにも聞こえます。

          

そして、所々の家の庭先には桃の花が咲き始めて・・・ここは西難波町3丁目の一角です。

            

        

徐々に少しづつ季節が動いていくんですね。

          

沈丁花の花も仄かな香りを漂わせています。          


ズルいっ!

2007-03-08 05:34:59 | 読書
時代小説の解説を書いておられる縄田一男さん、『あかね空』で直木賞作家になった山本一力さん、日曜日の昼のクイズ番組の司会をされている児玉清さんの3人の対談によって書かれた『ぼくらが惚れた時代小説』という本を読みました。
決して『ぼんくらが惚れた時代小説』ではありませんので、そこの処はよしなに・・・

ズルいっ!と題したのは、他人の評価を盗み見て本選びの参考にするという、私の姑息な考えが見え見えだから。自らの頭で考え、自分の体で行動できるようにならないといけないんだけどネ。

知ってる本、知らない話、聞いたこともない人、いろいろ評価されてます。

最初は国民的作家は誰か?という命題から入っています。

『宮本武蔵』の吉川英治、『大菩薩峠』の中里介山、『竜馬がゆく』の司馬遼太郎、『徳川家康』の山岡荘八、池波正太郎、藤沢周平、山本周五郎、松本清張・・・考えてみれば、亡くなった方達ばかりですね。

次に挙げられたのが剣豪もので秀でたものは?・・・『柳生武芸帖』を描いた五味康祐、『眠狂四郎』の柴田錬三郎、『下天は夢か』の津本陽。

捕物帳と股旅物が取り上げられ、岡本綺堂『半七捕物帳』、野村胡堂『銭形平次』、長谷川伸『関の弥太ッぺ』『瞼の母』、『木枯らし紋次郎』笹沢左保、子母澤寛などの名前も挙がっていました。

『銭形平次』は最長シリーズだとか・・・“銭形のとっつぁん”を入れるともっと長い。
この頃になると映画の話も頻繁に出てきます。

市井ものが取り上げられ、『御宿かわせみ』の平岩弓枝を筆頭に、北原亞以子、宇江佐真理、佐江衆一などの名前が出てきます。

『ぼんくら』の宮部みゆきは捕物の範疇で出てくるのですが、私は市井ものだと思っています。

次は伝奇小説、『神州纐纈城』という本を書いた国枝史郎。纐纈さんという名の人が名古屋にいたのですが、纐纈の意味は“人の血で染めた布”のことだとか・・・怖い人だったのかなぁ?
南原幹夫、角田喜久雄、新宮正春など聞いたことの有るような無いような人の中で『新吾十番勝負』の川口松太郎、『魔界転生』の山田風太郎の名が在り、隆慶一郎という人が出ていました。
隆慶一郎という人は網野善彦という民俗学の学者に傾倒した人だそうで、<権力に屈しない人たちが人間としての尊厳を守ろうとし、またその尊厳を踏みにじろうとする者がいた>そういう歴史観で描かれた小説なら読んでみたい気がします。

海外についての時代小説となると、白石一郎という人が最初に述べられていますが、私は全く知りません。
『三国志』で吉川英治・北方謙三・宮城谷昌光の名前が挙がっていましたが、単純に面白いと評されていて、私にはあまり面白くなかったけどなぁと思うのでした。
陳舜臣の名前も出ていて、日本人と違う感覚を挙げていましたが、『小説十八史略』しか読んでない私には、陳さんの良さが解らないのかも知れません。
中国物として、『天平の甍』『蒼き狼』『敦煌』などを書いた井上靖の名も・・・私は何故か画家の平山郁夫氏とイメージが重なるのです。

武士道とは何かを問うた人となると、南條範夫の名前が真っ先に出てきますが、私がこの人の名を覚えているのはTVでやってた『月影兵庫』、あの突拍子もないストーリーを楽しんでいた私には、何故武士道を問うているのか理解に苦しんだのですが、村上元三との論争などを見ていると南條:「封建時代の体制とは絶対君主というたった一人のサディストに、多くのマゾヒストが仕えている構図」に対し、村上元三は封建時代の主従を精神的な結びつけで捉えた作家なので「色眼鏡で歴史を見るな」と反論している。
私的には、南條さん的な考え方をしてるかなぁ・・・?

滝口康彦という作家の『異聞浪人記』を映画化した『切腹』や『拝領妻始末』が、海外で評価されていると記しています。

歴史に切り込む作家として大仏次郎が掲げられていますが、映画で『鞍馬天狗』・TVで『とんま天狗』を見ていた私にとっては、よく解らない。
次に吉村昭。去年亡くなられていますが、『戦艦武蔵』などの戦争物、『大黒屋光太夫』などの時代物、現代物も多く、綿密に歴史や真実を調べているそうなので、一度読んでみたいと思っている作家です。

最後に女性作家群が登場しますが、杉本苑子・永井路子は戦中派の意識を我々に伝えてくれていると評されています。何かひとつでも読まなければと思っています。
そして京都で京都を書き続ける作家として澤田ふじ子が登場します。

以上、少し詳しく書きすぎたかなと思いますが、有名人にアンケートを実施した結果・ベスト1作家は・・・司馬遼太郎でした。そして第1位の作品は『坂の上の雲』でした。2位は、3位はさてどうだったでしょうか?

ちなみに私は、山本一力さんが1位に選んだ松本清張『かげろう絵図』、縄田一男さんの選んだ1位・角田喜久雄『髑髏銭』、2位・山田風太郎『魔界転生』を読もうと思っています。
          

尼信博物館Ⅱ

2007-03-07 05:26:44 | 大阪にて
長洲天満神社です。

展覧会と何の関係があるのか・・・実はこの神社1995年の阪神大震災で被災してしまい、その修復をする際に、昔江戸時代の修復で屋根裏の補強材に古い絵馬を裁断して使われていることが判明したのでした。
全部で29枚の絵馬が復元できたそうです。

          

一の谷の合戦で熊谷直実と平敦盛が対峙している絵馬です。
屋根裏で日光や風雨にさらされなかったので、色具合の保存状態は至って良好なようです。

   

江戸時代の人たちはせっかくの絵馬も補強材として使った・・・大胆というか、倹約家だったというか・・・そういう説明を入れてほしかったなぁ。

          

こちらは伊豆へ流罪になった源為朝が島の鬼と力比べをしている絵だそうです。
上は1733(享保18)年5月25日に長洲村の寺子たちから、下は1730(享保15)年6月25日に別所村の人たちから奉納されたと判明しています。

          

こちらは富松神社に奉納された相撲図の絵馬ですが、保存状態が悪く修復処理がなされています。
富松神社は歩いていくにはずっと遠く、まだ行っていません。昔はお城があり、富松城跡として残っているようです。

          

同じ富松神社に残っていた板番付ですが、字は薄くなっていてよく読めません。
傍に赤外線撮影で解読された力士名などが説明されていました。

富松村では江戸時代から盛大な相撲興行があり、相撲が盛んであったそうです。


尼信博物館

2007-03-06 05:25:46 | 大阪にて
阪神電車尼崎駅南に寺町がありましたが、そこよりもう少し南に下ると尼信博物館があります。
尼信とは尼崎信用金庫の略称で、なんと90店舗もあるそうです。

2001年に創業80周年事業として、この博物館を造ったとか。

          

ここの3階で今『市民から寄せられた文化財』という展示会が開催されています。
市民が私有で保存していたものなので傷み具合がひどく、かなり修復の時間を要してからの展示になっているようです。

  

洛中洛外図と称された大きな屏風です。
こんな大きなものが個人宅に保管されていたなんて、私どものような貧乏人の家ではとてもとても・・・さっさと売り払って、酒代になっていたかも知れません。

右端に伏見城や東福寺・東寺などを描き、左端は聚楽第で、その間を行幸の行列が描かれている描写は、100点を越える現存する洛中洛外図では他に所在が確認されていない貴重なものだそうです。

          

上は勝海舟が尼崎の初代市長・桜井忠剛に贈った書です。
忠剛の姉が海舟の長男と結婚した縁もあったようです。

勝海舟はなかなか達筆やなぁ。

       
              

刀剣の展示は上のように横から見るようになっているのが一般的ですが、下のように刃先から刃の部分を見れるようになっているのは珍しいとは思いませんか。
真上から見ると、TVの時代劇で使っているものと比べて、峰の部分はかなり肉厚です。

   

この屏風は朝鮮通信使駿州行列図とあり、左上に富士山が描かれています。

手前の巻物は朝鮮通信使引船の図、この絵巻は尼崎藩が通信使を警護した船団を記録として残し、次回の来日に備えるために描かせたものの下書きらしい。

尚、この展覧会は3月11日(日)までです。

甦る水?

2007-03-05 05:49:35 | 大阪にて
尼崎を流れる一級河川『庄下川』の玉江橋の畔に建つ碑。よくよく気をつけて見てないと判りません。
甦ってこれですから、甦る前はどんな川だったのでしょう?

『魚とまつりが帰ってきた庄下川』と記されていますが、魚はです。こんな下流で鯉とは、かねがね不思議に思っていました。
ここより西に流れる蓬川では、この地域より上流でもボラが泳いでいました。

淡水魚である鯉が泳いでいるということは、この川には海水が遡ってこないようになっているのではないでしょうか?

          

雨の降った後の庄下川。波洲橋付近ですが、流れが無くて澱んでいます。

それにしても、魚とまつりが帰ってきたぐらいで『甦る水』とは、笑止千万。

          


写真はJRが走っている辺り。
透明度は阪神の駅前よりはあるようです。
でも捨てられたものがネ・・・住民側の問題か?

          

尼崎が阪神工業地帯と呼ばれる地域に入る前は、おそらくはまだまだ綺麗な川だったのに違いありません。

一旦汚染された川が元のように甦るというのは、なかなか出来ない相談なのでしょう。我が古座川もこれ以上汚れないよう町民の皆さんの意識向上が不可欠です。



これは広い(大物界隈Ⅲ)

2007-03-02 05:28:16 | 大阪にて
ここは大物駅の南東側の小田南公園。
この公園自体広いのですが、広いと思ったのは公園ではありません。

          

大日本紡績尼崎工場のあった土地の広さです。
19万㎡ですって・・・ここから南に野球場が1つあるし、北は大物駅を越えて大物公園の北側、国道2号線にまで及びます。

500m×400mで20万㎡ですネ。幅が40mの細長い土地なら長さは5Km無ければ20万㎡にはなりません。

大日本紡績はバレーボールが強かったニチボー、今はユニチカという名前に変わっています。前身は尼崎紡績と言ったそうです。

          

この公園にも沢山の梅が植わっており、今最盛期を迎えています。
白梅の中央上部に黒い塊がありますが、メジロです。

これ以上近寄れません。こちらが動くだけで飛んでいってしまいました。

          

日時計が置いてあり、時差表を併せて読むとほぼ正確に時間を表示しています。

            

梅の木はよろよろしているみたいに見えますが、花は立派に咲いています。