ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

王塚公園

2009-10-16 05:00:00 | 神戸にて
垂水区での仕事も終わり、今回は明石方面です。JRの西明石の駅で降り、バスに乗るのですが、目的地は神戸市の西区なのです。王塚台という地名通り王の塚、つまり古墳がありました。

今この写真は古墳の南側から撮っています。

            

玉津陵墓参考地と書かれていますから、未だこの陵墓については解明がなされてないのかも知れません。

ここは西区ですが、JRの明石駅と西明石駅に挟まれた地点であり、昔、学校で明石原人なるものを習ったので、随分以前から人が住んでいたと思われる地域ですが、今は明石原人なる人種はいなかったとされているようです。

            

公園の南東にある公園の碑ですが、何代前の人かは知りませんが、市長として名前を記しています。こういう自分の名前を碑に刻ませて残そうという趣味のある人を市長に据えていたのは、神戸市の恥辱ですね。

             

読めますかね。全長102m、高さ8mの前方後円墳で、5世紀末から6世紀にかけての明石平野を牛耳っていた豪族の墓で、この地方では最大級のものだと書かれています。また一方で日本書紀に推古天皇11年(西暦602年)、當摩皇子が難波の津より出船、追いていった妻・舎人姫王が明石で亡くなり、明石の桧笠岡の上に葬ったとあるので、この墓は舎人姫王の墓という説もあるそうですが、現在は宮内庁の管轄になっているので、それ以上の調査は出来ないと言いたいのでしょうね。

             

先の碑文で全長とあったのは、長さではなく周囲だと思います。この地方最大といってもそんなに大きいわけではありません。

墓の東側に睡蓮の花が咲いていました。大賀ハスは6~7月ごろでしたから、随分遅いですね。神呪寺の睡蓮は5月でしたから、ここの睡蓮は遅咲きなのか、と言っても一輪しか咲いていませんでしたけどね。

             

同じ東側の日当たりの良い場所に白鷺が1羽佇んでいました。陵墓に白鷺・・・何か絵になりますねぇ。

             

こちらは後円墳の部分、北側です。

             

古墳から北側の写真ですが、真っ直ぐ進むと下り坂になっています。やはりここはもともと少し小高い丘であったのです。

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木っ端グレ

2009-10-15 05:00:00 | 大阪にて
出雲の地磯、マキ崎を覚えていますか?あの時、無謀にも本を読みながら眠ってしまった同じ職場のK君ですが、弟がいます。私はその弟とも一緒に仕事をしたことがあるのですが、この月曜・体育の日の朝に彼から電話がかかってきました。

「昨日、三重の石鏡の磯で木っ端グレが入れ食いやった」らしい、「迷惑でなかったら貰ってくれへん?」と言うのです。「困ってるんやったら貰ってあげるよ」って答えたのが間違いの始まりだったかも知れません。

「マンションの下に着いたから」という電話で、スーパーのレジ袋を手に降りたのでしたが、彼は、トロ箱一つをポンと差し出します。その場で開ける訳にもいきません。持つと重い、それでも氷は入ってないからと言います。

部屋に戻って蓋を取ると、ご覧の通り、木っ端グレが満載です。これだけあると途方に暮れてしまいます。何キロあったのか量りもしていませんが、同じ重さなら4~50cm、2Kg級のものを何枚か入れてくれていたら、どこでも喜んで貰ってくれるのにと思いました。

レジ袋に10匹ほどで良かったのに・・・

             

早速、三男が20cmを越えたような少しマシなグレを刺身にして食べていました。

中三君のお父さんから電話があったので、「木っ端グレ要らん?」と聞くと4匹だけ引き取ってくれることになりました。もちろんウロコと内臓を取って、塩焼き用にしておくのが条件です。

近所の釣り仲間は、当日は船でタチウオ釣りに出かけていて、そちらの料理に忙しいでしょうから、連絡するのも遠慮しておきました。

夕方、三男が数匹を3枚に下ろして、ソテーにして食べると言って、料理をしていました。

後はどうしようもありません。私が元気だったら10匹位は開きにして、干しておくのですが、前日の飲み過ぎでずっと寝てましたから・・・

結局、南港まで運んで海にお帰り願いました。死んでたけどカニのエサぐらいにはなるでしょう。

だいたいこの程度のグレを釣ったら、私なら全部逃がしてあげますね。もっと大きくなってから釣られておいでと念じてね。それにこんなに沢山釣りませんよ。もっとマシな場所は無いかと、場所を移ります。

K君の弟さん、もし持って帰りたいなら、これからは自分の家で食べれる分ぐらいにしておきなさいよ。アジならゼイゴと内臓だけ取ればなんとかなるけど、グレはウロコを全部取らないと食えない魚ですからね。

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繁盛亭

2009-10-14 05:00:00 | 大阪にて
先週の木曜日、2時間の年休を取って、職場の仲間12名で、繁盛亭へ落語を聴きに行って参りました。

繁盛亭と呼んでいますが、正式には天満天神繁盛亭と言いまして、天満の天神さん、つまり天満宮の横に落語専用の小屋が3年前にオープンいたしました。

落語専用と言いましても、米朝や三枝、仁鶴などの大御所が出演するわけでもなく、平時は主に若手が(と言っても中には歳をとってる御仁もいますが)中心です。

             

かと言って、昨今の漫才のように、何が言いたいのか、何がおもろいのか全然解らんような、聴いていて時間潰しをしているような感覚はありません。

新作落語中心ですが、ちゃんと稽古をつけてもらってるのでしょう、口調もハッキリしているし、ストーリーも洗練されています。

             

6時開場・6時半開演ということですが、秋分も過ぎて久しいこの頃は、6時前でもこの通り薄暗く、小屋の前は開場を待つ人でごった返しています。とは言え、200人程度しか入場出来ません。

             

4時過ぎにJR天満駅に着いた我々は、早めの夕餉を摂るために天神橋筋商店街のとある店に入りました。夕餉とは言うものの呑み助ばかりの集団です。僅かな時間にどれだけ飲んだのか・・・

             

開演中は撮影禁止なので、開演前の提灯ばかりを撮っています。

             

6時半の開演から9時ごろまで2時間半の長丁場、最初の桂吉坊という噺家は、「今何時だい?」で有名な『時蕎麦』の焼き直しで、結構面白かったのですが、隣に座ってるオバちゃんが五月蝿いのです。笑うだけならいいのですが、しょっちゅう独り言のような、相を入れるような調子なのです。お陰で2人目以降がつまらなく思えて、少々眠くなってきても、すぐに目を覚ませてくれました。

             

中入り後、桂かい枝という噺家は枝雀を髣髴させる身振り手振りで迫ってくるのですが、所詮物真似、師匠の直伝ではありませんから、少し物足らないのです。名人なら芸を伝授するにも、同じ事をやれとは教えないと思うのです。

トリの桂吉弥って噺家は、NHKの連ドラ『ちりとてちん』に出演されてたそうで、TVを見ていない私はこんな顔だったのかと、思ったばかりでした。

当日2500円のところ、10人以上の団体割引で1800円でチケットを買っていただいた同じ職場のKさん、ありがとうございました。

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神和台

2009-10-13 05:00:00 | 神戸にて
垂水区の神和台での仕事が最後になる日、総合運動公園駅に戻るのにいつもと違うコースを歩いてみました。地図上に細い点線のような道が表示されているので、山の中を歩ける道があることは以前から判っていましたが、何せ昼食を摂るにも店など何処にも無いところなので、あまり余計な道を歩いてみようなどとは思えない気分でした。

どうやらここから入っていくらしいのですが、いつものコースより時間がかかるのかどうかも定かではありません。

             

実際に山道に入っていくと道はきれいに整備されています。あまり人が通っている形跡がありませんが、クモの巣が張っているということもありません。

             

ここで私を悩ませることに・・・嶽の森山ではエライ目に遭ってるし・・・確か入り口の案内板ではコースが変ったようなことが書いてあったように思ったので、きっと新しく階段を造ったんやと思って左側の階段を登っていきました。

                  

でも行けども行けども階段なのです。これは近道だとしてもしんどいなぁ等と思いながら、戻るのもシャクなので登り続けます。

             

登りきってみると、どうやら新しく出来た展望台に登ってきただけのようでした。

             

道標も立ててありますが、あの道と階段の二股のところにも、道標を立てておいて欲しかった、階段の方に向かって『展望台』とね。

             

下りはまた急な階段になっています。たいした展望でもなかったのに、時間的にはこちらを選んで損をした気になります。

             

またまた道が分かれていますが、ここは道標が無くても、左への道が新しいので、そちらを選びます。

             

正解のようです。グリーンアリーナ神戸が見えてきました。実はこの先でまた二股になっていたのですが、片方の道は草が茫々、クモの巣も張ってあったので普段は人が通らない道だと思い、人が踏み固めた道を選んで進みました。

             

山道というのは往々にしてそうなのですが、急な道を付けるより、時間がかかっても道をジグザグにして、緩やかに登っていきます。でも最後の最後で・・・

             

人が通った形跡がありませんが、明らかに階段で近道を造ってあります。こちらの階段を選べば早く着けましたね。

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映画のポスター

2009-10-09 05:00:00 | 神戸にて
昭和のくらし展の一環でしょうか、別のブースに当時の映画のポスターが所狭しと並べられていました。
でもこのポスターは昔のものとは違いますね。昔のものは出演者の羅列に近いですが、これなどはテーマを訴求している感があります。

写っている影はもちろん、私の影ではありませんよ。

                  

これは2005年の作品だそうで、出演者で知ってるのは香川照之・蒼井優・薬師丸ひろ子・伊武雅刀・柄本明、今や中堅の役者さん達ですね。中村嘉葎雄などという古い人もいますし、中澤裕子なんてモー娘の人ですかね?調べてみたら田中麗奈や妻夫木聡・阿部寛なども出演、妻夫木さんは風鈴売りというチョイ役みたいでした。

             

左のポスターは『月光仮面』、扮するのは大村文武、もう覚えていませんね。加藤嘉や花沢徳衛などが出演していました。
右のポスターは『スーパージャイアンツ』なんて全く知りませんが、上部の空を飛んでるようなのが宇津井健ですよ。凄いですね。

                  

覚えていますか?『白馬童子』、山城新伍ですね。若いですね。
馬の顔がどうも間抜けて見えます。

                  

こちらは『丹下左膳』、主演は大友柳太郎ですが、大川橋蔵や大河内伝次郎、月形竜之介など当時東映の豪華キャスト総出演だったのですね。

             

こちらは日活、石原裕次郎主演のものです。

こうやって見てると、昭和30~40年代にスクリーンを沸かしてくれた役者さんは随分と亡くなられてしまいました。

             

一角に紙芝居の自転車がありました。小学校の帰りに校門の前でよくやっていたのをよく見たものです。こんなので校門の前にやって来たら、今の小学生はどんな反応をするのでしょうね。

             

1階に降りるとミゼットかなと思うようなオート三輪が置いてありましたが、実はミゼットではありません。昭和34年にマツダ(当時は東洋工業)が発売したK360という軽トラです。最高速度は65kmとなっています。

             

中を覗くと扇風機が付いていますが、当時こんなコンパクトな扇風機があったのでしょうか。車からAC100ボルトの電流が得られたのでしょうか?

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鉄人28号展

2009-10-08 05:00:00 | 神戸にて
鉄人28号が据え付けられている若松公園の横に大丸百貨店があるのですが、そこでは『鉄人28号と昭和のくらし展』なるものが開催されていました。

鉄人28号が雑誌『少年』に連載され始めたのが昭和31年、TVアニメになったのが昭和38年です。昭和31年といえば戦後11年、まだまだ日本国は復興なった時期ではありません。昭和38年ならば東京オリンピックの前年、新幹線の開通と相まって、少しずつ庶民の暮らしも安定してきた時代です。オリンピックを見るためにTVを購入した家も増えてきた頃だったのでしょう。

             

この時期には60年の安保改定闘争などもあり、まだまだ国民に闘う力がみなぎっていた時代だったのに、今では一庶民として、社会悪と立ち向かう国民は皆無になってしまった感があります。

             

当時は妙なものを作って売っていたのですね。鉄人が乗った自動車(どれだけ大きかったことでしょう)、鉄人の乗る円盤(鉄人は円盤に乗らなくても空を飛べるんですよ)、鉄人の乗る戦車(鉄人の体は鋼鉄で出来ていたのに)、もうアホらしいほどの空想です。このようなものを買う力が未だ国民にあったとは思われない時代ですがね。

                  


よくよく考えれば、鉄人28号は現実離れし過ぎですね。あれだけの巨体が歩けば人が何人踏み潰されることやら・・・その点アトムの体は人間並みでした。

横山さんより手塚さんの考えることの方が緻密ですね。それは描かれるマンガにも現れていたように思います。

             

昭和三十年終りごろから昭和四十年代初めの庶民の暮らしでしょうか?TVより大きな皮のカバンがありますよ。ラジオも大きいし、炊飯器もデカイですね。黒電話器も置いてありますが、当時はなかなか電話も引けない状態でした。

             

おっと、何処かで見たことのある看板が、フラフープと共に掛かっています。
水原弘さんてこうして見ると男前やけど、TVで見ていた頃は怖い顔をした人だと思っていました。

             

オロナミンCってこんな時代からあったのかなぁ?大村昆さんがCMに出てるくらいですから、『番頭はんと丁稚どん』や『とんま天狗』が流行っていた頃なんでしょうね。

その下にはサッポロジャイアンツの空瓶が見えますが、この手の瓶は私がビールを飲むようになってからのような気がします。

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お披露目

2009-10-07 05:00:00 | 神戸にて
日曜日の地方版のニュースで盛んに取り上げられていた鉄人28号、ついに完成かと思ってはるばる新長田まで足を運んだのですが、周りの養生シートは取り除かれてはいるものの、周りにはフェンスがぎっしり並び、鉄人の足元へも近寄ることさえ出来ません。

             

この地に鉄人を探しに来たきっかけとなった看板と比べれば、まだまだ完成されたとは言えませんね。

それでも鉄人の全体像はハッキリと見て取れます。

                 

右手でストレートパンチを繰り出しているところなのか、単に雄叫びを上げているところなのか、正直言ってよく解りません。ボクシングや空手をやった方なら、足の開き具合と腕の伸びている方向とかを総合的に判断出来るのでしょうね。

             

それにしてもやはりデカイですね。向こう側に人が沢山いるので、比べられると思います。

          

少し曇ってるのが残念ですが、このところ天気が悪いですから仕方ありません。

バランスで倒れないようにしているのではなく、地中にこの鉄人が倒れないだけの杭を打ち込んでいるとは思うのですが、絶対に安全なのでしょうか?

             


先の大震災からの復興のシンボルとは言うものの、それにしては創り始めるのが遅すぎる感があります。現在の経済の閉塞感から抜け出したい・・・そういう願いが込められているような気がします。

この願いを食い物にして、鉄人28号を造った企業だけが儲かったなどということのないように願いたいものです。

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祭りのあと

2009-10-06 05:00:00 | 大阪にて
秋の祭礼が盛んな今日この頃、私からすれば問題の多いこの西長洲八幡宮でも、先週の土・日にお祭りがあったようです。

平日が仕事なので土・日のお祭りの様子など全く分からないのですが、昨日月曜日阪神の尼崎駅に行く途中で、お祭りの終わった神社に出くわしました。

私にすれば、もう記事にもしたくないこの神社なのですが、『祭りのあと』といえば~♪祭りの後の寂しさは、いやでもやってくるのなら~♪と歌った吉田拓郎の歌が思い出され、ちょっと寄ってみようかなと思った次第です。

                  

祭りのあとなどというと、夜の景色を思い浮かべるのですが、朝9時過ぎの撮影です。境内にはダンジリが1基あるのみ、これを若衆が担いでいたのでしょうか?

             

提灯に書かれた文字、何丁目という文字も見えますが、団地やハイツの字も見えます。同じ町内にあるのに我が社の文字はありません。薄情やなぁ。

                  

本殿の前に何やら置かれていますが、これを見ただけでは私には何か解りません。

             

本殿の中を覗くと、お神輿のようなものがありました。メッチャ判り難いですね。

きっとこれをあの台の上に載せるのでしょうね。

             

あの台の後ろにこのような台があり、これだけ見れば何なのか全く分かりません。

             

先の台の中を見ると、こんな風になっているので、順番が解ってきたのでした。

             

それにしても出店してくれてる屋台が少ないですね。子供たちも大勢来たと思うのですが、数えるに屋台は6軒ぐらいしかありません。

             

金魚すくいにドングリアメ、カラアゲにコロッケ、ベビーカステラ・・・古の屋台も減り、最後の方は現代的ですね。

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水都祭  Ⅱ

2009-10-05 05:00:00 | 大阪にて
先日は水都祭に出展されたものを紹介しました。今日はこの中ノ島公園界隈にある建造物を紹介しましょう。

まずは有名な中央公会堂です。この日もこの建物を描きに来られている方を幾人か見かけましたが、この公会堂が絵画になってのを見る機会がよくあります。

                  

こちらは中ノ島図書館の隣、『森の映画館』と題して、かのヤノベケンジ氏の作品が陳列されています。昨日の小さい『トラやん』はこの中にありました。

             

昔はこんなものは無かった・・・京阪電車の『なにわ橋駅』です。京阪電車が西へ伸びたのは聞いていましたが、淀屋橋から西へ伸びたのではなく、天満橋から新たに分岐させて堂島川沿いに走っているのですね。

             

堂島川沿いにプロムナードも出来ていて、私がよくこの界隈に来ていた頃とは、随分雰囲気が違います。

             

プロムナードから眺めた堂島川、上を阪神高速が走っています。見えてる橋が難波橋、なにわ橋と読むのです。

             

どんどん東へ歩くとバラ園を作っています。その歩道に両脇からミストが出るようになっていて、ひんやり感を味わうことができます。

             

ここは昔剣崎公園と呼んでいた所、今はその名も使われていないようです。勢いよく噴水が噴出しています。剣崎公園ではよく集会が開かれ、若い頃は集まって梅田までデモをしたものです。写っている橋は天神橋です。

             

戻ってきて大阪市役所の庁舎、都庁とはだいぶ違いますが、昔のものは建て替えられています。

             

淀屋橋から見た土佐堀川、海上ビァガーデンなるものが造られていますが、少しもきれいでもない川の上では趣向も盛り上がりません。

             

フナでしょうか、死んだ魚が流れていました。

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水都祭

2009-10-02 05:00:00 | 大阪にて
大阪市の市長も大阪府の知事も、どちらも信用ならん奴やけど、今年は夏から阪神間の駅でも二人の顔が出たポスターをよく見かけました。どうやらこのイベントの案内だったようで、ハゼ釣りの帰りの車中で、火を噴くロボットが市庁舎にあるというのが話題になりました。

             

市役所の玄関にドンと置かれているヤノベケンジ氏作のこのロボットは『トラやん』と名前が付いているらしく、おそらく落語『天満のトラやん』から命名されたものと思われるのですが、イメージが違いすぎます。

建物の中なので火を噴きませんが、足元のTVでは火を噴く映像が流れていました。

                  

このまま庁舎を突き抜けると図書館になるわけですが、ここにも『トラやん』ロボットが設置されていました。

             

ニュースで見たドでかいアヒルを見たいと思っていたのですが、設置されているのは天満橋の近く、京阪電車でも淀屋橋~北浜~天満橋と2駅間を歩く勘定になります。

途中で見つけたゴミで造られた魚のオブジェ、私はアイゴを連想してしまいました。

             

水上バスの船着場にあった『ラッキードラゴン』と名付けられた船、このドラゴンからも火が噴かれるそうです。

             

火はこの口から噴かれるのか、鼻から出るのか、見ていないので判りません。

             

この船もヤノベケンジ氏作だということで、大阪で著名なアーティストと紹介されていましたが、私は知りません。船の先端のカプセルの中に『トラやん』が入っていました。

             

やっとの思いで天満橋まで到着、大きなアヒルが浮かんでいましたが、ヒヨコにも見えます。見てみると何の面白味も無くてガッカリです。

             

巨大アヒルの手前でM社によるカヌー体験が行われていましたが、ここは土佐堀川と堂島川に分かれる手前の大川ですが、私はこんな汚い川でカヌーに乗るのはゴメン蒙りたいと思ったのでした。

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