(主権国家として自国の主張を堂々と述べる国へ)
北朝鮮がミサイル発射の動きを見せたりすると、日本は、アメリカに泣きつくような外交をすぐやりたがるのですが、こういうことは、もう終わりにしなければいけません。
また、国民が北朝鮮の工作員に拉致され、向こうのトップは、それを認めているにもかかわらず、いまだに全員を返してもらってはいません。
日本が「拉致した人を返せ」と言っても返してくれないので、拉致被害者の家族は、日本政府ではなく、軍事力を持った外国の大統領や国務長官などに、「どうか、北朝鮮と交渉して、取り戻してください」とお願いをしているのです。これは、主権国家としては非常に恥ずかしい話です。
自衛隊は、いったい何のためにあるのでしょうか。政治家には日本国民を護る気があるのでしょうか。日本人が拉致されても、「相手は“宇宙人”であり、“UFO”に乗っているから、何もできない」と思うしか方法はないのでしょうか。このあたりをどうするか、今、日本は試されていると思います。
さらに、韓国との間には竹島問題があります。これも微妙な問題ではあります。
日本政府は、いちおう、「竹島は日本領である」と表明はしています。一方、韓国は、国家を挙げて、「韓国領の独島である」と主張している状態です。
国際司法裁判所に持っていけば、日本領であると認められることは結論的に見えていますが、韓国側は裁判所への付託に応じません。「日本は悪い国だから、島を取ってもかまわないのだ」と開き直っているのです。
1954年、韓国の武装勢力が、突如、竹島に上陸し、実効支配を開始してから、すでに六十数年がたっています。法律の世界には、「権利の上に眠る者は保護されない」という考え方があります。この考え方からいくと、日本の領土であるのに、六十数年間も、ほかの国に実効支配され、取り戻す努力もせず放置したのであれば、領土を取られても、しかたがないとも言えます。
日本人が、そういう、何もしない国民であるならば、竹島と同じ調子で、今後、あちこちの領土を取られたとしても、しかたがなくなってしまいます。
やはり、権利は権利として、きちんと主張をしなければ駄目です。竹島問題は時間がたちすぎていますし、北方領土問題もそうです。
これからは、考え方を変える必要があると思います。
戦後、マスコミは、「日本的なるものやナショナリズムのようなものは、とにかく、すべて悪である」という考え方でもって、人々をリードしてきました。
しかし、はっきり言って、ほかの国は、どこもナショナリズムです。日本以外の国は、まずは自国の利益を考えて主張し、行動しています。そして、相手国が反対をしてくる場合には、調停を受け、「何が正しいか」ということを判定し、結論を出すわけです。これが国際的なルールです。
これには裁判と同じような面があります。裁判では、弁護側と検察側がいて、お互いに主張を戦わせ、最後に裁判官が判決を出します。
例えば、殺人容疑で起訴された人がいて、その人の弁護を頼まれた弁護士が、「おそらく彼が殺したのでしょう。裁判官、彼を有罪にしてください。お願いします」と言ったら、裁判にはなりません。明らかに有罪な場合でも、量刑を少しでも軽くするために弁護するのが弁護士の仕事です。
これは刑事裁判での話ですが、民事裁判においても同じです。
「もしかしたら、私が弁護している人のほうが悪いかもしれないけれども、できるだけ、賠償金や慰謝料を払わなくても済むように持っていこう」と努力するのが弁護士の仕事です。それに対して、相手側の弁護士は、「できるだけ、賠償金や慰謝料を引き出そう」と“攻撃”をするわけです。
これは一つのルールです。「一種の“ゲーム”として争い、材料を出し尽くした上で、結論を出す」というのが現代司法のあり方なのです。
それゆえ、最初から自分の権利を主張しない者、つまり、権利の上に眠る者は保護されないのです。そのことを忘れてはいけません。
もっとはっきり言うと、これからの日本のあり方としては、よく自らを振り返り、「正しいか。正しくないか」ということを考え、「どう考えてみても、自分の主張のほうが正しい」と思うものについては、堂々と意見を述べるべきです。
「自分のほうが間違っている」と思うものについては、自らの考えを改めるべきですが、相手のほうが間違っているならば、言うべきことを言わなくてはいけないのです。
そういう態度を取らなければ、信用されない時代に入ります。
権利を主張しない者を誰が護ってくれるでしょうか。
日本は、いまだにアメリカに護ってもらおうとしていますが、すでに日本という国の図体は大きくなりすぎています。
例えば、身長百八十センチ、体重八十キロもある子供が、「お父さん、護ってください」と言っても、父親から、「なぜ、大きくなったおまえを護らなくてはいけないのだ。私はもう弱っているのだから、自分の身ぐらい、きちんと自分で護りなさい」などと言われることでしょう。
同じように、「もう、日本のような大国を護る必要はない。自国のことぐらい、自分たちで考えてください」と言われるような時代に入っているのです。
---owari---
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