もちろん、いつの時代にも、弱い人や働けない人、病気の人や高齢の人、障害のある人など、いろいろな人がいますから、そういう人たちに対して、地方公共団体や国家が援助の手を差し伸べるのは、当然の義務でしょう。
あるいは、大企業などでも、福祉のために、利益の一部を使って財団をつくったりすることもあります。財閥をつくれるような人たちが、篤志家(とくしか)として頑張るところもあるわけです。そのように、世の中には「助け合い」があっていいと思うのです。
しかし、「何もかも国家のほうが丸ごと面倒を見る」という体制は、共産主義の社会でしょう。
確かに、共産主義も、農耕だけを行っているムラ社会としては、よいところもあるのです。「自然の恵みによって作物はできるが、洪水が起きたら田畑が荒れる」といった、同じような条件の下に生きている者にとっては、ある意味で、結果平等は享受できるのかもしれません。
ところが、工業国家や商業国家になり、知恵や自由度によって裁量が広がっていった場合には合わなくなってきて、潰れるところは潰れ、繁栄するところは繁栄します。そこで、みんなで知恵を絞って、さらによいものを生み出していくことになるわけです。これが資本主義的自由主義の発展の姿でしょう。
やはり、この部分を残しておかないと、この世に生まれた人間としての値打ちがなくなってしまいます。「生まれたあとは、すべて面倒を見てもらう」というのは、よいことのようであって、そうではありません。むしろ、バカにされている感じを受けないようでは、プライドのある国民とは言えないのではないでしょうか。
特に今、北朝鮮に“科学大国”として抜かれようとしていることに対して、日本国民としては、奮起しなければいけないと思います。まさに、「水爆実験をやるぞ」と言って脅されているような状態になっているのです。
あるいは、中国に対しても同様でしょう。前述した「一帯一路」には、海と陸のシルクロードがあるわけですが、新聞には、「陸のシルクロードにチューブを通して、ジェット機よりも速い、時速四千キロの速度で移動する弾丸列車をつくろうとしている」というような記事が載っていました。
これは、かなり大きな構想であるし、おそらく、中国は全部を自分の領土にする気でいるのだと思いますが、ヨーロッパまで突っ走れるような列車をつくろうとしているとなると、日本は負けていくことになるでしょう。頑張らないと、本当に負けてしまいます。この国が、どんどん後進国になっていきかねません。
やはり、周りをよく見渡して、「自分の国は自分で守り、自分の国は自分で発展させる」という気持ちを持たなくてはいけないのです。そうせずに、みなが依存してぶら下がっていくような国になってきたら駄目だと思いますし、それは間違っています。
---owari---
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