政治家や官僚、マスコミよりも国民のほうが、第二幕以降を読み込んだ行動をとっている。
ここ数年を見ても、年金問題に火がつく以前から年金保険料の不払いが始まっていた。天下り規制法が成立する以前から東大法学部よりも防衛大学へ行こうという若者が増え、大学よりも専門学校へという流れもある。道路公団民営化よりマイカー廃止で、新車は買わない。牛肉はアメリカよりオーストラリアで和牛を飼育し、野菜は高価格でも安全な国産を購入して中国産は買わない等々。
また、企業買収などを口実にして相手先の株式を高値で買い戻しさせることを目的としたグリーンメーラー(買い占め屋)の代表格と見られていた米投資ファンド、スティール・パートナーズが仕掛けたブルドッグソースや天龍製鋸(てんりゅうせいきょ)への株式公開買い付け(TOB)は不成立。スティールが東京地裁に申し立てていた買収防衛策差し止め請求は世論の動きを見てかどうか、却下された。
国民が無言の行動で自分の考えを示した事例は数多くあって、日本はアメリカの第一幕全力投球主義に負けても、第二幕では国民の力で勝つ実績を挙げている。
私は、日本には「底力」があるといってきた。「底力」とは、こういう第二幕、第三幕を展望する力と対応力をいう。そうした想像力や対応力がインテリになくて、国民にはある。
そしてそれが、「世界標準(グローバル・スタンダード)」などという空中楼閣(ろうかく)の普遍性を唱えなくても世界に浸透しつつあるのは、すでに述べた。モノづくりにおける日本的価値観(高付加価値)、アニメーションなどのソフト力(「反日」の中国や韓国でさえ浸透を抑えられない)などが各地域の庶民に歓迎されながら普及している。それは相手国のローカリズムとの共存でもある。
*日下公人著書「『超先進国』日本が世界を導く」より転載
---owari---
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