このシリーズの最終話になります。
(正しき心の探究)
こうして、基本的な三つの原則が出そろったと思います。
第一には、「自分ひとりのもの」というものはない、大いなる使命に奉仕するための自分というものがあるのだ、ということを話しました。
第二には、情熱という力によってなしえる霊的仕事は無限界である、という話をしました。
第三には、この無限の力を持つ者に、智慧という名の歯車によって方向性を与えたとき、さらに高度な仕事ができるようになる、という話でした。
これが出発点であり、基本であるわけです。
しかし、これだけでは、まだまだ「人間完成への道」を歩んでいるとは言えません。この三つの視点を常々確認しながら、さらに心がけて欲しいことがあります。それが、みずからの心の探究という視点なのです。
人間には心があります。いや、この「人間には心がある」という表現は適切ではありません。「人間には心しかない」と言っても間違いではないのです。みなさんが、死んでから持って還れるものは心しかありません。これしか持って還れないのです。メガネも、ワイシャツも、ネクタイも、絶対に持って還れません。持って還れるものは心しかないのです。
ゆえに、人間の修行としては、この心をよくしていくしかないのです。よって、前述の「使命感」に加えて、この「心の探究」ということを決して忘れてはなりません。これを「正しき心の探究」と言います。
この「正しさ」は、そう簡単にはわからないでしょう。それは、別名において、「仏の心の探究」であるからです。人間が仏の心の探究をしているからこそ、その正しさは一様ではなく、その正しさに限界がなく、深めても深めても、完全にわかりきるということはできません。しかし、そうした永遠の向上の過程にみなさんがあるということもまた真実です。
ゆえに、みなさんが人間として優れたるものになっていくために、この正しき心の探究において、どうしても確認しておかねばならない部分を言っておきましょう。
第一は、マイナスの考えは持ってはならない、ということです。マイナスの考えとは、たとえば他人を害する思いです。また、自分自身を害する思いでもあります。愚痴や不平不満、嫉妬、猜疑心など、いろいろあるでしょう。これは、考えれば無限に出てくるはずです。こうしたマイナスの思いを持たないようにコントロールせよ――これが正しき心の第一点です。
第二点は、もし、そのマイナスの思いが力を得て、言動として出てしまったならば、すぐにこれを反省せよ、ということです。間違った思いが具体化したら、ただちに反省せよ。そして、同じ言動は、二度ととらないように心せよ。まず、マイナスの思いを出さないように努力し、出た場合にはすぐ反省をするということを習慣づけよ、ということです。これが二番目のチェックポイントです。
そして三番目に言っておきたいことは、心の垢を落とすという作業は、一回きり、一瞬だけでは決して終わらない、ということです。自分がどのような立場になっても、どのように偉くなったとしても、どのように悟ったと思ったとしても、その段階からでも曇りは生じるのです。ゆえに、みずからの心の鏡というものは、日々、磨きつづけねばならない、ということを決して忘れてはならないのです。
心は常に磨かねばならないということを忘れてはなりません。立場によって、地位によって、役職によって、あるいは他の人からの称賛によって、合理化されることはないということです。
人の上に立てば立つほど、この反省は厳しくなるのです。人の上に立てば立つほど、鏡を曇らせるものは多くなります。これは、永遠の修行として行っていかねばならないのです。
これは、人間である限り終わることはないということ、そしてまた、この永遠の作業を続けていく過程において、人間は完成への道を歩んでいるということ、これを忘れてはならないと思います。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます