アイルランドからやってきて日本に帰化したラフカディオ・ハーンは日本の友人から次のような質問を受けた。
「外国人たちはどうして、にっこりともしないのでしょう。あなたはお話しなさりながらも、微笑みを以って接し、挨拶のお辞儀もなさるというのに、外国人の方が決して笑顔を見せないのは、どういうわけなのでしょう」
(ラフカディオ・ハーン著 池田雅之訳『新編 日本の面影』角川文庫より)
ハーンはこの質問を受けた時の感想を次のように書いている。
この友人が言うように、私はすっかり日本のしきたりに染まっていて、西洋式の生活に触れる機会をもたなかった。そう言われて初めて、自分自身がどこか奇妙な振る舞いをしていたことに気づいたのである。(同前)
日本人が言うところの「怖い顔」をした外国人たちは、強い侮蔑(ぶべつ)の口調をもって、「日本人の微笑」を語る。彼らは「日本人の微笑」が、嘘をついている証拠ではないかと怪(あや)しんでいるのである。
ハーンは長年の日本生活を通じて、自ら「日本人の微笑」を身につけてしまった。その経験から「日本人の微笑は、念入りに仕上げられ、長年育まれてきた作法なのである」と結論する。
相手にとって、いちばん気持ちの良い顔は、微笑している顔である。だから、両親や親類、先生や友人たち、また自分を良かれと思ってくれる人たちに対しては、いつもできるだけ、気持ちのいい微笑みを向けるのがしきたりである。
そればかりでなく、広く世間に対しても、いつも元気そうな態度を見せ、他人に愉快そうな印象を与えるのが、生活の規範(きはん)とされている。たとえ心臓が破れそうになっていてさえ、凛(りん)とした笑顔を崩(くず)さないことが、社会的な義務なのである。
反対に、深刻だったり、不幸そうに見えたりすることは、無礼なことである。好意を持ってくれる人々に、心配をかけたり、苦しみをもたらしたりするからである。さらに愚かなことには、自分に好意的でない人々の、意地悪な気持ちをかき立ててしまうことだって、ありえるからである。
こうして幼い頃から、義務として身につけさせられた微笑は、じきに本能とみまがうばかりになってしまう。(同前)
*伊勢雅臣著書「世界が称賛する『日本人が知らない日本』」より転載
日本人は微笑みの効用を昔からよく知っているのだと思います。
素敵な笑顔は、人々を元気にするオーラが輝いています。「明るい振る舞いが心を明るくする」というのは、本当のようです。心理学者なども言っているように、「影が形に従うがごとく、陽気な表情、笑いの表情をつくると心まで明るくなる」というのは真理です。
そして、人間は笑顔の人を見て敵意を抱くことは難しいのです。これは鉄則です。したがって、笑顔は敵意を抹消する最大の方法であるということも言えます。
笑顔について考えるときには、「形に影が添うがごとく、笑顔には幸福が寄ってくる」ということを、まず心得てほしいと思います。また、意図的に笑顔で人に接する、いわゆる「顔施(がんせ)」をするということは、魂の境地において一つの菩薩行であることは事実です。世の中をユートピア化していくための一つの方法論なのです。
---owari---
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