他人に対して愛想(あいそ)のよい挨拶(あいさつ)をし、微笑み(ほほえみ)を向ける日本人は、自分の仕事に対しても、上機嫌で取り組む。アメリカの女性旅行作家エライザ・R・シッドモアは、明治20年代の日本を、『日本・人力車旅情』の中でこう描いている。
日も暮れて郊外(こうがい)を走る車夫(しゃふ)たちは、いろいろと注意を促(うなが)すことばを口走って進む。道のわだち、穴、裂(さ)け目などがあったり、交差点が近づいたりする時である。
こうした叫(さけ)び声は車列の前から後へと駆(か)け抜(ぬ)けて行くが、それはちょっと音楽的でさえある。にこにこして礼儀正しく、愛きょうもある子馬のような車夫。
(エライザ・R・シッドモア著 恩地光夫訳『日本・人力車旅情』有隣新書より)
つらい仕事をしながらも、上機嫌に愛想良く振る舞う日本の労働者たちの姿は、外国人旅行者たちの興味を引いたようだ。
明治11(1879)年に日本を訪れた、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人で地理学研究者グスタフ・クライトナーも同様の光景を描いている。
荷物を担(かつ)いでいる人たちは、裸(はだか)に近い恰好(かっこう)だった。肩に竹の支柱をつけ、それにたいへん重い運搬籠(うんぱんかご)を載(の)せているので、その重みで支柱の竹筒(たけづつ)が今にも割れそうだった。
彼らの身のこなしは、走っているのか歩いているのか見分けのつかない態(てい)のものである。汗が日焼けした首筋(くびすじ)をしたたり落ちた。しかし、かくも難儀(なんぎ)な仕事をしているにもかかわらず、この人たちは常に上機嫌(じょうきげん)で、気持ちのよい挨拶をしてくれた。
彼らは歩きながらも、締(し)めつけられた胸の奥から仕事の歌を口ずさむ。喘(あえ)ぎながらうたう歌は、左足が地面につく時、右足が大股(おおまた)に踏(ふ)み出す力を奮(ふる)いたたせる。
(G・クライトナー著 小谷裕幸・島田明訳『東洋紀行―』平凡社より)
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます