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「愛国心」を学ぶことの大切さ⑤

2021年04月17日 | 人生
(民主主義が正当に機能していない現代の日本)
原発について、さらに考えてみましょう。
今、中国が南沙諸島等で基地をつくっていますが、中国とフィリピンとの間で戦争が起き、その上、中国に台湾まで押さえられてしまったら、日本のタンカーは、アラビア半島(サウジアラビアが大半を占めている)のほうからは来られません。入ってくるところがなくなってしまうのです。

そのようにタンカーを塞(ふさ)がれると、燃料が入らなくなって発電ができなくなり、工場は全部ストップします。第二次大戦の前に日本は石油を止められ、アメリカとの戦争に入ったわけですが、それとそっくりの状況が起きるということでしょう。

つまり、「平和主義」を言っている人のために石油が入ってこなくなり、その結果、戦争が起きることになりかねないのです。

そういう意味で、「戦争を起こしたくなければ、プルトニウムを使って発電できるシステムを維持しておかないと危険だ」ということになるのですが、そういうことを比較衡量(ひかくこうりょう)しながら述べているものの、なかなか分かってくれません。それは、大手のテレビ局や新聞社であっても、分かってくれないのは同じです。

どうやら、原発に反対している人たちは“平和勢力”に見えるのに、賛成している人たちは、ものすごく交戦的で肉食獣のように見えるらしいので、非常に残念だと思ってはいました。

それでも、誰かが言わなくてはいけないのですが、自民党は、選挙のときには、そういうことを全然言いません。幸福実現党だけが言っていたのですが、自民党は選挙で勝ったあと、幸福実現党が言っていたようなことを、そのままやっているような状態です。

これでは、「民主主義は、実は正当に機能していない」と思われます。「正しいことを言っているところが票を取れずに、それを言わなかったところが選挙に勝つ。さらに、勝ったところが言わなかったことを政策として実現する」ということであれば、選挙の意味があまりないかたちになっているでしょう。実際に、そういうことになっているわけです。

(「悪法も法なり」と言って毒杯を仰いだソクラテスの愛国心)
そのように、マクロとミクロの両方を見なくてはいけないので、「正しさの観念」も非常に難しいとは思いますし、私も基本的には、「人を殺すべきではない」と思っています。

しかし、私も大きな価値観のため、あるいは、国土を護ったり、自分の仲間たちや、家族、愛する者たちを護ったりするためであれば、「ソクラテスが戦場に出たように、私自身も戦場に出ることがあるかもしれない」という気持ちは持っているのです。それが役割としてあるならば、そういうこともあるかもしれません。そのように考えねばならないときはあるだろうと思います。

やはり、どう考えても被害が出る場合もあるわけですから、そのときには、「後世の観点から見て、どのように行動するべきであるか」を考えなくてはいけないでしょう。

確かに、ソクラテスは、「悪法も法なり」と言って死んでいきました。今の観点から見て、アテネの民主制の下(もと)、陪審員(ばいしんいん)による多数決でソクラテスを死刑にしたことにはまったく納得がいかないのですが、彼は、「悪法も法なり」と言って毒杯を仰(あお)いで死んでいったわけです。

しかも、牢(ろう)の番人も友達たちも、手引きをし、お金を出して、逃がしてくれようとしていました。救い出さなかったら、あとあと、周りからどんな悪口を言われるか分からないということで、友達まで逃がそうとしてくれていたにもかかわらず、結局逃げなかったのです。

つまり、「悪法も法なり、後世の目から考えた場合、逃げることでアテネの法制が信頼を失う害のほうが大きいだろう。その行為のよし悪(あ)しについては後世の人に委(ゆだ)ねるけれども、私としては法を破らない」と、彼自身は判断しました。それほど、国を愛していたのでしょう。さんざん、彼をこき下(お)ろした国民ではあったけれども、それを護ったのだと思います。

確かに、そういう考え方もあるので、価値観にはいろいろあって、本当に難しいわけです。 ―この章は終わりです―

---owari---
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