(侵略国家を助長することを「平和主義」とは言わない)
私も基本的に、人を殺すことをよいことだとは思っていません。しかし、例えば、「近くにある大国が、侵略(しんりゃく)の野心を持って、近隣(きんりん)の国に対する侵略の準備をしている」ということが客観的事実として見えたら、やはり、「ある程度防衛して、悪を犯(おか)させないようにする必要があるのではないか」と考えるタイプです。なぜなら、そうしなければ、もっとひどい結果が来るからです。
前述したように、安保法案に反対している人たちなどが、「平和主義」とか、「人命は尊い」とか、「戦争法案反対」とか、「立憲主義に違反してけしからん」とか、いろいろ言ってはデモ運動をしていたわけですが、その結果、どうなるのでしょうか。
それは、十倍、二十倍と、武装を進めて海洋進出を図ろうとしている国を有利にしたり、あるいは、勝手に海を埋め立てて飛行場をつくり、他国の侵略を狙っている国を助長したりしていくだけのことになるわけです。
そういうことであれば、必ずしも「平和主義」とは言えないでしょう。それでは、前述の「岳飛伝」で言えば、金(きん)が侵入してきたときに、ただただ南へ逃げていった南宋(なんそう)のようなものかもしれません。やはり、私としては、「戦う人が必要になる」と思うわけです。
また、原発についても、「事故で人が死ぬこともあるから、原発はないほうがいい」という考え方もあります。しかし、事故について言えば、火力発電でも事故は起きるし、水力発電でも事故は起きるわけです。ダムを一つつくろうとしたら、何人かは確実に死ぬでしょう。そのように、絶対に人が死ぬし、事故も起きます。何をしても、そうしたことになるのです。
さらには、「オスプレイが墜ちる」と言って反対運動なども行われていますが、事故が起きるのはオスプレイだけではありません。車だって事故は起きるし、船だって起きます。電車だって起きるでしょう。何であっても事故は起きるわけで、リスクのない乗り物などないのです。
やはり、そうしたリスク計算をした上で、必要かどうかの判断をしなければいけないので、“感情的”にだけ振れていくのはよくないと思います。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます