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無神論では、暴政下の人権侵害を止めることができない

2018年11月07日 | 政治・経済

「自分の国は自分で守り、自分の国は自分で発展させる」ということが大事ですが、さらに大切なのは、「信仰心」のところです。ここが、明治以降、だんだんと薄れていきましたし、戦後になって特に薄れてきています。あるいは、信仰心については、家庭や個人に任せるようなかたちになっているのかもしれません。

 

しかし、日本は戦後、アメリカに似せながらも、この部分が根本的に違っているのです。

 

アメリカは信仰国家です。「神は存在すると思いますか」と訊けば、九十数パーセントの人が、「神の存在を信じます」と答えるでしょう。しかし、日本では、表向きにそんなことは言わないと思います。「神は存在する」と答える人のパーセンテージは、おそらく、北朝鮮や中国と変わらない数字が出てくるのではないでしょうか。

 

したがって、この状況をもっと自覚させなければいけないと思うのです。無神論は人間の傲慢さにつながるでしょう。この世の人間の権力が無限大に近いものとなって、「魂がないのであれば、人間など、生かそうが殺そうが自由だ」という考えに必ずつながっていきます。

 

しかし、基本的人権は、「各人に魂があって、それを神仏から頂いた尊い命なのだ」ということから高まってくるのです。これが、もし、「安倍首相が、日本でいちばん“進化”した人類だ」というのであれば、それは無茶苦茶ということです。

 

やはり、人間の上に神仏がいるのであって、それを謙虚にお祀りするべきです。人間としてのベストは尽くさなくてはいけないとしても、それで、他人に対して傲慢になったり、天狗になったりしてはいけません。

 

そういうことを教えるために、台風が来て日本列島を縦断したり、地震が起きたり、津波が起きたり、外国からの国難が来たりしているのでしょう。「謙虚でなければいけない。もっと人間として努力をしなければ、この国を守れないぞ」ということです。

 

したがって、「人間は最高ではないのだ」と知ったほうがいいし、謙虚に努力するためには、信仰心が必要なのです。

 

---owari---

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