人間は強い者も弱い者もあるし、富める者も貧しい者もあるけれども、協力し合えるところは協力し、自分の余りたるものについては、ほかの者に使ってもらうなりすればよいでしょう。そして、自分が恵まれていることに対しては、感謝する心、お返ししていく心が大事なのです。
したがって、この世の中で選ばれてエリートになりし者たちは、それだけの「自己犠牲を払う精神」が必要だと思います。
やはり、「自分を犠牲にしてでも多くの人を救いたい」という気持ちを持った人に国会議員等になってもらわなければ困るのです。
また、そういう心を持つためには、神仏への信仰心がきちんとしていなくてはなりません。「自分が偉ければいいんだ」、「自分がとにかく偉いんだ」、「官僚よりもっと偉くなれるから政治家を目指すんだ」というような考えだけの人であれば、たとえ、いくら票を入れて当選させ、大臣にしたところで、どうせ悪いことばかりするでしょう。神仏の前に謙虚で、人々に愛を押し広げる人たちを選んでいかなくてはならないのです。
そのためには、「清潔で、勇断できる政治」が大切です。そうした危機のリーダーシップを発揮できる人たちを選んでいかなければなりません。
そのためには、やはり、民度を上げなくてはいけないし、啓発し、啓蒙しなければいけないでしょう。「本当に必要な人はどんな人なのか」を言わなくてはいけないのです。
特に、「右」とか「左」とかいう問題ではありません。人間としての尊厳を守れる国家を目指すべきです。
そして、この世に生まれた以上、努力によって智慧をつけ、智慧によって、いっそうの発展・繁栄をつくれるような人を輩出していくことが大切でしょう。そういう人を、教育やさまざまな職業訓練においてつくり出していける国家であればこそ、そこに未来が生れるわけです。
この国を守るためには、やはり、間違ったことがまかり通ったり、嘘がまかり通ったりするような世界が長く続いてはいけません。「真実語」で戦う者が認められる時代をつくるらなければならないのです
---owari---
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