(この「自分の立場の変化」に自分で気づけている?)
こういった大統領夫人の例から考えて見れば、「社長と結婚した」とか、「社長の息子(むすこ)と結婚した」という場合で言えば、何重にも警戒(けいかい)されるという感じでしょうか。
「別に、自分は何も武器を持っていないし、少し空手(からて)をやっただけだ」などと思っても、まるで凶悪(きょうあく)犯罪者でも現れたかのように、突撃(とつげき)部隊の警察官が十重二十重(とえはたえ)に取り巻いているような感じの対応をされるわけです。
「大げさでしょう?こちらは素手(すで)ですよ」と言っているのに、「いや、これくらいしておかないと間に合わないかもしれない」と言われて、やられるような感じは受けるのだろうと思います。
やはり、これは難しいテーマでしょう。
実際、そういう体験をすること自体、「本当は成功している」ということなので、うらやましい境遇(きょうぐう)ではあるし、百に一つの成功ではあるのでしょうが、要するに、今までと違って、ハンディ戦になるわけですね。
ゴルフをするときには、一緒(いっしょ)にプレーをするメンバーのなかに、ベテランとそうでない人がいることもあるので、ハンディというものをつけます。
例えば、トランプ大統領はハンディが「3」で、安倍首相はハンディが「20」あるそうです。ホールアウトするまでの間に規定打数があって、18ホールでの合計打数を出すときに、ハンディが20の人と3の人であれば、「17打数分の差があっても同点」という見方をするわけです。
つまり、安倍首相がトランプ大統領より16打、余分に打っても、安倍首相の勝ちになります。これがハンディ戦というものです。
また、将棋(しょうぎ)で実力の違う者が対戦するときには、上位者側の駒(こま)から飛車(ひしゃ)を抜いた「飛車落ち」や、飛車と角行(かくぎょう)を抜いた「二枚落ち」等で行われることもあります。さらに、香車(きょうしゃ)を落としたり、桂馬(けいま)を落としたり、銀将や金将を落としたりする場合もありますが、プロになると、歩兵(ふひょう)まで落として戦うようなところまで行くそうです。
そういったハンディ戦というものについて述べてきましたが、要するに、社長や社長の息子と結婚するとかいう場合は、誰もがうらやむような“超出世”でポンッと飛べる一方で、そこには十分なハンディが生じるというわけです。
しかし、今までハンディ戦の練習をしたことがなく、将棋で言う「平手打ち」しか経験したことのない人は、どうなるでしょうか。「平手打ちなら、自分の実力が十分に通用したはず。勝てる相手だ」と思っていたのに、ハンディ戦になると、「自分には飛車もないの?角もないの?」という状況で戦わなければいけなくなります。そのため、「人気が出るのは当然」とされて、もし“不評”が出たときには、ここぞとばかりに叩かれるというようなことがあるのです。
あるいは、黒字会社の社長で、かなりの黒字が出ていたのに、結婚したあとの決算で赤字が出たというだけで、「運の悪い相手と結婚して、仕事に専念できなかったからだ」というような批判までされるようなこともあるかもしれません。また、子供の学校の問題まで、いろいろと言われたりすることもあるでしょう。
そこで、ハンディ戦というものについて勉強しなければいけなくなるわけです。こういうものについて、それまでに教わっていないことが多いと思いますが、これはハンディの問題なのです。昔なら、できたらほめられていたことも、「できて当たり前」になるし、むしろ、できたというだけでは駄目で、「上出来(じょうでき)であって当たり前」という感じになって、ハンディがどんどん上がっていきます。
そのため、「ハンディの上がり方」を理解していないと、ほかの人たちが言っていることが単なる「意地悪」のように聞こえたり、自分が「邪険」に扱われているように思えたり、周りが「差別」に満ちているような感じに見えたりすることもあるのではないでしょうか。
しかし、ここで「人格変化」を起こし、自分も“出世”をしなければいけないわけです。
---owari---
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