朝夕はしのぎ易くなった。心地よい風を感じることができる季節が好きだ。ここのとこ一日中エアコンのお世話になっている。子どもの頃はエアコンは無かった。車にも付いていなかった。運転席に三角窓があって角度を調整して自然の風を取り入れた。今は車にエアコンは当たり前になった。つい最近まで扇風機が貴重品であった。自然から何とか涼を取り入れることに工夫した。南の国にいくと窓の位置や壁の厚さに工夫された家が多い。現代は一日中エアコンがないと暮らせなくなっている。地球温暖化や化石燃料の有限性を考えるといつまでこんな生活が維持できるかと疑問を感じる。勝手に自分が生きている間は大丈夫だろうと思ってしまう。得手勝手な自分がいやになる。(写真は古い一眼レフカメラ。フイルムカメラも無くなりつつある。トホホトホホ・・)
今日は土曜日、週の終わり。明日は日曜日。キリスト教世界では安息日というそうだ。やっと身体が戻ってきた。中々安息できる状況ではない。安息について考えていると「大きな栗の木の下で、あなたと私、仲良く遊びましょ。」の歌が自然に浮かび上がった。「大きな栗の木が一本あって。実がたわわに実っている。その根元であなたと私が仲良く遊んでいた。」これが今思いついた私の安息日。(写真はどこかの祭り。たまたま出くわした。)明日は安息日お休みします。
9月になっても暑い日が続いています。それでも夕方や朝は過ごしやすくなりました。日が落ちるのも早くなりました。確実に秋が近づいています。この一週間近く不思議な光景を車中から見ています。それはもう役に立たなくなった溜め池でやがて埋め立てられ、住宅地にでもなる場所です。今は、埋め立てが途中で中止されてまだ水が一部残っています。紫色の花をつけ水草が湖面を覆うように咲いています。やがてその花も工事が再開されれば捨て去られます。そのことは水草は知らないでしょう。ほかにもたくさんの花がありました。残った水面には水鳥が数匹泳いでいます。まだ魚もいるんでしょう。降りてその場所で写真をと思いますが。通勤途中で中々難しいものです。ただ毎日その不思議な光景が目に飛び込んで私を悩ませます。
まだ夏の陽ざしが感じられるこのごろですがお変わりありませんか?私は肺炎で入院し、しばらく微熱が残っていました。今は体温を測るのを止めています。おそらく平熱に戻っていることでしょう。体温恐怖症になり、寝てる時を除いてほぼ2時間おきに測って、喜んだり、悲しんだりしていました。悲喜こもごもの生活は身体にも心にもよくありません。もう2日間体温を測っていません。これが日常に戻るようにしばらく体温計を隠すこととします。長々と体温のことについて書いてしまいました。久しぶりに車を運転しました。空を見ると秋の気配が感じられます。
あなたにとって秋は何ですか?人生の秋なんて言わないでください。〈写真は朝日カメラ付録ジオラマより)
あなたにとって秋は何ですか?人生の秋なんて言わないでください。〈写真は朝日カメラ付録ジオラマより)