① ""電波の影絵で希薄な星間分子ガスを“見る”””
2015/12/07
発表者
- 安藤 亮(天文学教育研究センター 修士課程1年)
- 河野 孝太郎(天文学教育研究センター 教授)
- 永井 洋(国立天文台チリ観測所 特任准教授)
発表のポイント
- アルマ望遠鏡のデータベースを用いて、非常に希薄な分子ガスの存在を示す「分子吸収線系」を新たに発見し、銀河系の星間ガスの化学組成やおかれている環境を明らかにした。
- 本研究により発見した分子吸収線系のうち2つからは、非常に珍しいホルミルラジカル分子が検出され、うち1つは従来知られていた分子吸収線系の中で最も希薄なガスを捉えた。
- 今後、大量に存在するアルマ望遠鏡の基準光源の調査を行うことで、新たな分子吸収線系の発見と、希薄な分子ガスの性質を解明する研究が進むことが期待される。
発表概要
図1. 分子吸収線系の模式図(アルマ望遠鏡の画像:ESO/José Francisco Salgado)。遠方電波源のスペクトル(注6)は平坦な形状ですが、手前側に存在する星間ガス中の分子による吸収が起こると、観測されるスペクトルの特定の周波数に吸収線が現れます。
宇宙空間に存在する星間ガスの中には、非常に希薄なためそれ自身が発する光(分子輝線(注1))を直接観測するのは困難なものがあります。未知の部分が多いながらも銀河系内でも相当な量存在するとされている、こうした希薄な分子ガスの性質を探る上では、遠方の明るい電波源を背景光として、手前側の分子ガスによる吸収線を影絵のように捉えるという手法(分子吸収線系、図1)が有効ですが、こうした例は数十天体しか知られていません。
東京大学大学院理学系研究科の安藤亮大学院生(修士課程1年)、河野孝太郎教授、国立天文台の永井洋特任准教授らの研究グループは、アルマ望遠鏡(注2)での観測時において目標天体の“位置合わせ”に用いられる基準光源(注3)のデータを調査することで、新たな分子吸収線系の発見を試みました。
その結果、3つの新たな分子吸収線系の発見に成功し、計4天体の方向で多様な分子の吸収線を検出しました。さらに2天体の方向では、非常に珍しいホルミルラジカル(HCO)を検出し、従来知られていた中で最も希薄な星間分子ガスを捉えたとともに、その希薄なガスが大質量星などからの紫外線にさらされた環境にあることを明らかにしました。
過去にアルマ望遠鏡で観測された1000以上もの基準光源のデータは全世界に公開されており、こうしたデータを調査することで、今後新たな分子吸収線系が発見され、希薄な星間ガスの物理・化学的性質が解明されることが期待されます。
発表内容
図2. 本研究で初めて検出された分子吸収線系J1717-337のアルマ望遠鏡による電波強度画像(上)と、同天体の分光により得られた分子吸収線のスペクトル(下)。高感度のアルマ望遠鏡によって、J1717-337の方向にはシアン化水素(HCN)やホルミルイオン(HCO+)をはじめとする多種多様な分子の吸収線が検出されました。なおホルミルラジカル(HCO)とエチニルラジカル(C2H)の吸収線は、原子核と電子の磁気相互作用の影響により、それぞれ4本と6本に分裂しています。
(1)研究の背景 宇宙空間には、水素やヘリウム、そして多種多様な分子からなる星間ガスが多量に存在していることが知られており、こうしたガスの性質は、主に分子自身が発する光(分子輝線)の電波観測によって研究されてきました。しかし、ガスがあまり多く存在していない領域からの電波は微弱なため、輝線の観測によって希薄なガスの環境を探ることは困難です。しかし、実はこうした希薄なガスが、重さにして銀河系のガスの数十%を占めるとも考えられています。銀河系の全貌を知る上では決して無視できない存在である希薄なガスについて、その正体が詳しく分かっていないのは天文学上の大きな問題です。
そこで、希薄な分子ガスを検出する手法として、遠方の明るい電波源を背景光源に用い、手前側に存在するガスによって生じる分子吸収線を捉えるという観測方法があります。これはいわば、背景の電波に照らされた分子ガスの“影絵”から、そのガスの正体や特徴を探る手法であり、このような観測対象は「分子吸収線系」と呼ばれています(図1)。
希薄なため自身では光を発しない分子ガスであっても、強い背景光源があれば分子ガスを“影絵”として浮かび上がらせることが可能になります。しかし、こうした分子吸収線系として知られている天体数はごくわずかであり、銀河系の中では数十例、他の銀河での場合に至ってはわずか数例しか報告されていません。希薄な分子ガスの詳細な性質を探る上では、まず分子吸収線系のサンプル数を増やすことが不可欠であると言えます。
(2)研究内容 新たな分子吸収線系を探す対象として、東京大学大学院理学系研究科の安藤亮大学院生(修士課程1年)、河野孝太郎教授、国立天文台の永井洋特任准教授らの研究グループは、アルマ望遠鏡で観測されている基準光源に着目しました。基準光源とは、電波望遠鏡での観測時に、本来の観測対象とは異なるものの、目標天体の“位置合わせ”を行いデータの質を高めるために観測する天体のことで、主に遠方の明るい銀河が用いられます。史上類を見ない高感度を有するアルマ望遠鏡であれば、こうした基準光源の方向で、何らかの分子吸収線を検出できていることが期待できます。そこで本研究では、アルマ望遠鏡のデータベース(注4)を用いて、過去に観測された基準光源を調査することにより、新たな分子吸収線系の探査を行いました。アルマ望遠鏡の基準光源に着目して新たな分子吸収線系の発見を目指すのは、本研究が初めての試みです。
本研究グループは、アルマ望遠鏡が観測した基準光源36天体のデータを調査した結果、4天体の方向で銀河系内に存在する多種の分子の吸収線(図2)を検出することに成功し、うち3天体は、過去に報告のない新たな分子吸収線系でした。
本研究では、新しい観測を一切行うことなく、過去の観測の“付け合わせ”として取得されたデータを調べることで、科学的に重要な研究対象である分子吸収線系を3つも新たに発見しました。
また本研究では、希薄な星間ガス中での検出例が3例しかない、非常に珍しいホルミルラジカル(HCO分子)の吸収線を2天体の方向で検出しました。HCOは、大質量星からの強い紫外線にさらされている領域(光解離領域(注5))に集中して存在することが知られています。
太陽からの紫外線が人体に皮膚の日焼け、目の炎症といった反応を引き起こすように、宇宙空間でも紫外線は周囲の環境に強い影響を及ぼし、特徴的な化学反応を生じます。希薄な星間ガスも紫外線の影響を受けていると予想されてはいましたが、自身が光らない希薄なガスにおける化学反応を直接捉える研究は不足していました。
図3. 各天体方向でのホルミルラジカル(HCO)とホルミルイオンの炭素同位体種(H13CO+)の量を表した図。示した天体は、本研究で初めてHCOが検出された2つの分子吸収線系(J1717-337(赤)、NRAO530(橙))、過去にHCOが検出された3つの分子吸収線系(緑)、5つの光解離領域(青)、低温分子雲コア(紫)。いずれも天体への視線方向に沿ってどれだけの量の分子が存在しているか(柱密度)を表しており、この量が少ないほどガスが希薄であることを意味します。H13CO+に対するHCOの量の比は、星間ガスが受けている紫外線強度の指標になることが知られており、光解離領域ではこの比が高くなっています。J1717-337とNRAO530方向でも比が高くなっており、検出された星間ガスは大質量星などからの強い紫外線にさらされた環境下にあると考えられます。また、NRAO530方向のように分子ガスの量が少ない場合は、ガス自身がほとんど光らないため輝線での観測が特に難しく、吸収線観測によって初めて検出が可能になる、希薄な星間ガスであると言えます。
本研究グループは、紫外線による反応で生じるHCOを検出したことで、希薄な星間ガスが紫外線にさらされ、特徴的な化学反応が引き起こされている姿を捉えました。さらに、うち1天体の方向では、HCOの量が過去の報告例の半分程度しかありません(図3)。
本研究では、これまでで最も希薄な部類に入る星間分子ガスを捉えることに成功したことになります。これは従来観測できなかったガスを初めて“見た”という点で、天文学の新たな地平を切り開く成果と言えます。
(3)社会的意義・今後の予定 新たな分子吸収線系の発見をはじめとする本研究の成果は、希薄なガスの性質や銀河系の姿を理解する上で重要であると同時に、アルマ望遠鏡により観測された基準光源の潜在的な価値を示すものでもあります。
アルマ望遠鏡のデータベースには、1000天体以上に及ぶ基準光源のデータが収められており、全世界に公開されています。この中には新たな分子吸収線系が隠されている可能性があり、いわばこの基準光源データは“宝の山”であると言えます。今後これらのデータの調査が進むことで、新たな分子吸収線系が発見され、それ自身光らない希薄な星間ガスに関する知見がさらに広がることが期待されます。
また本研究グループでは、今回新たに発見した分子吸収線系を、アルマ望遠鏡を使ってより高感度に観測する予定です。この観測を通して、希薄な星間ガスの物理・化学的性質をさらに詳細に明らかにし、銀河系の全貌への理解を深めることを目指しています。
発表雑誌
- 雑誌名
- 日本天文学会欧文研究報告 (Publication of the Astronomical Society of Japan) (オンライン版:日本時間12月7日午前11時)
- 論文タイトル
- New detections of Galactic molecular absorption systems toward ALMA calibrator sources
- 著者
- Ryo Ando※, Kotaro Kohno, Yoichi Tamura, Takuma Izumi, Hideki Umehata, Hiroshi Nagai
- DOI番号
- 10.1093/pasj/psv110
- 要約URL
- ※
用語解説
- (注1)分子輝線・吸収線
- 分子のエネルギー状態はとびとびの準位を持っており、分子があるエネルギー状態から別の状態へと遷移する際には、そのエネルギー差に相当する特定の周波数の電磁波を放出または吸収します。前者の場合に分子から放たれる電磁波は分子輝線、後者の場合に吸収される電磁波は分子吸収線と呼ばれます。
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- あらゆる分子がそれぞれ異なる特定の周波数において輝線・吸収線を生じることから、逆に観測された輝線・吸収線から分子の種類を知ることができます。なお、輝線は分子自身が放つ光なので、分子の量が少なければ輝線の強度は弱くなり検出が難しくなります。一方で吸収線の強さは、背後にある電波源の明るさによって決まるので、分子の量が少ない場合でも強い背景光源があれば、分子の存在を知ることが可能です。↑
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- (注2)アルマ望遠鏡
- 正式名称は「アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(ALMA)」。南米チリ共和国のアンデス山中アタカマ高地に建設された巨大電波望遠鏡で、2011年から東アジア、北米、欧州の各国により国際共同運用されています。12mアンテナ54台と7mアンテナ12台を組み合わせることで、感度・空間分解能の両面で史上最高性能を実現する電波望遠鏡であり、現在次々と最新の科学成果が発表されてきています。星間分子の輝線・吸収線が多く存在するミリ波・サブミリ波(波長が0.1mm〜数mmの電波)という波長帯をカバーしていることから、アルマ望遠鏡は星間分子の観測においても威力を発揮しています。↑
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- 注3)基準光源
- アルマ望遠鏡をはじめとする電波望遠鏡では、本来の目標天体とは別個に、「基準光源」(正式には「較正天体」)と呼ばれる別の電波源(主に遠方の明るい銀河)を観測します。これは、位置が精密に測定されている基準光源を観測することで、目標天体の“位置合わせ”を行いデータの質を高めることが目的で、一般の写真撮影において被写体の位置やピント、明るさを調整する作業に似ています。
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- この作業は全ての観測に欠かせませんが、基準光源のデータはいわば本来の観測の“付け合わせ”として取得されるので、このデータが科学的な研究目的で使用される例はあまりありません。特に、新たな分子吸収線系を探す目的で基準光源を活用したのは、本研究が初めてです。↑
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- (注4)データベース
- アルマ望遠鏡で観測された天体のデータは、観測後1年間はその観測提案を行った研究グループが占有して解析できますが、期限を過ぎたデータは「アーカイブ」と呼ばれるデータベースに収められ、世界中の研究者に向けて公開されます。アルマ望遠鏡のデータベースには、本来の観測目標天体のデータに加え、同時に取得された基準光源のデータも全て収められています。↑
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- 注5)光解離領域
- 星間空間中において、主に大質量星などに由来する紫外線にさらされることで、分子ガスがより小さな分子やイオンへと分解されているような領域のこと。こうした領域内では、相当な量の炭素が炭素陽イオン(C+)の形で存在していたり、エチニルラジカル(C2H)やホルミルラジカル(HCO)の量が増加するなど、紫外線の影響を強く受けることで特徴的な化学反応が起こっていると考えられています。↑
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- (注6)スペクトル
- 電磁波の周波数(または波長)ごとの強度分布を「スペクトル」と呼びます。プリズムに太陽光を通した時に生じる虹色の帯もスペクトルの一例です。このように、さまざまな周波数の電磁波が混ざっている状態から、各周波数の電磁波へと分解してスペクトルを描く操作が「分光」です。
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- 電波観測の場合、天体からの電波を分光することで得られるスペクトルには、特定の周波数に分子の輝線や吸収線が見られる場合があります。スペクトル中のこうした輝線・吸収線の周波数や強さを調べることで、存在する分子の種類やその量などの情報を得ることができます。↑