こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

「母親政治家」と呼ぶのがホントに似合う人でした

2011-10-10 18:35:56 | 日本共産党
 1979年から7期21年、衆議院議員として活動し、今年3月31日亡くなった「藤田スミさんを偲ぶ会」に参加しました。

しみじみと「偲ぶ会」というより、「日本をどうする!大阪をどうする!!」と真面目に考え、真剣に闘う決意みなぎる集いでした。
それはスミさんが、最後まで闘い続けた人だったからだと思います。

久しぶりで会う懐かしい顔もたくさんあって、一言あいさつを交わしあうだけでしたが嬉しいあたたかい想いでした。
スミさんが会わせてくれたと思います。

スミさんとの初めての出会いは、私が27歳のとき。
スミさん初めての衆議院選挙のアナウンサーとして宣伝カーに乗りました。
学生のときから、選挙のアナウンサーは経験していたので「自信満々」とは言わないまでもそれなりには・・・と思っていましたが、スミさんの評価は散々でした。

「まわりの空気とハダハダや」と言われて、何のことやらさっぱりわからなかったことがあります。
市会議員を何年か経験して、やっと「ハダハダ」が少しわかるようになりました。
そうして、何度目かの選挙で車に乗ったとき、「あんた、うまなったなぁ」とほめてもらえました。
気合の入れ方、空気の読み方、間のとりかた。議員になって自分なりに「真剣勝負」の戦いを経験してやっと、スミさんの「教え」が理解できるようになりました。

母親の強さ、母親の優しさ、それを体現した「母親政治家」という呼び名の似合う大先輩がいてくれたから、思いもかけず「市会議員に」という要請を受けた38歳の私が、一歩を踏み出す決意をすることができたのかもしれないと思います。

この党の一員で幸せだったと思う一日でした。

コメント (2)
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病む人へ

2011-10-10 07:04:53 | つぶやき
50代、世間でいう「働き盛り」の年齢の方からの相談が増えています。

何年か前までは、相談に見えるのは、高齢者の方がほとんどと言って過言ではなかったかと思います。

私の親の年代の方から、「その日その日を、一生懸命生きてきて、病気になって今、医者代が払えない」というお話を聞くのは悲しいことでした。

一方「働き盛り」の方からのご相談は稀でしたし、あっても労働条件の問題であったり、多重債務であったり。

ふと考えてみると、「50代、病気で働けない」という相談を今年になってからもかなりお聞きしてきました。

「車椅子生活だが、働きたい。」という方もあります。
「ほとんど寝たきり。訪問リハビリを受けたい」という方もあります。
「働きたい。でも仕事がない」という方もあります。
「治らない。手術もできないと言われた。貯金もまもなく底をつく」という、お話も聞きました。

昨日も、そのうちのおひとりをお訪ねしました。
病院に行く以外は、ずっと団地の高層階の部屋でひとりで過ごされています。
起き上がるのも大変です。
でも、電話をしたら鍵をあけて待っていてくださいました。
ドアまでどんなに苦労して移動されたことか・・・と想像します。

帰りに「窓をあけてもいいですか?」とおたずねしました。
おそらく、長い間あけたことのない窓。
空は青い。どこからかキンモクセイの香り。そして遠くから、だんじりの笛、太鼓、足音、声。

暗い部屋でひとり迎える朝、長い一日、夜。
少しでも、外の風を届けたいと思ったのですが、よかったのかどうか・・・。

体の痛みに耐えながら過ごす毎日、そんな方たちにこそ
季節の移りかわりの美しさを感じたり、人と人とのふれあいの楽しさを味わったりするときがあってほしい。
「きょう一日生きた」ことが、明日に続く希望であって欲しい。

そんなことを想いながら昨日はブログの更新もできずに眠ってしまいました。

毎日のように開いて下さるかたがあるようです。せっかくでしたのに、ごめんなさい。
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