じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

野良写真(エノコログサ)

2014-09-15 21:53:27 | 写真

正真正銘の野良写真でござる!!


寡黙で地味な被写体でありますが・・・


野においても忘れられがちな草ですけれども


一つ一つは地味ですが群れて咲けば・・・やはり地味か?


お日様カモーンと心で叫びましたが・・・


ああ、エノコログサに禁じ手の添え物を入れてしまった

たかがエノコログサ、されどエノコロクザ、とは、写真愛好家の間では良く言われる事でありましょうか? まっ、そんなことを言うのは少数派ではありますが、アレです、エノコログサは山野草を撮る人であれば一度は通る試練の道である事は確かでありましょう。

一説には、エノコロ三年柿八年、とも言うようでありまして・・・まっ、嘘ですけど。

しかし、エノコログサは難しくも、撮れた時にはどんな色鮮やかな草花にも勝る輝きを放つ訳でして、不詳このオヤジも、エノコログサの輝きに見せられた独りなのでありました。

で、まぁ、本日のお写真の出来映えは、お日柄が良くなかったと言う事でして、あまり褒められた物ではありません。

ナント申しましても、エノコログサは夕日で撮れと彼の有名なルイ・ジャック・マンデ・ダゲールも言ったとか言わないとか・・・まっ、絶対に言ってないんですけど。

しかし、野の草花は良いモノであります。
腐る程咲いていましても、一つとして同じ顔の物は無いのであります。

野の草花の魅力は・・・一つ一つが違ってみせる個性でありましょうか?


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野良写真 (薄)

2014-09-15 20:19:25 | 写真

正真正銘「野良写真」であります



色気も何も無いただのススキです


せめて強いお日様が居てくれたら・・・


薄衣の曇り空の逆光は優し過ぎて・・・


それでも逆光以外は撮りたく無くて・・・


どうせ色気の無い花とは言え・・・


雲が厚くなり逆光さえ無く、風を待って・・・


アレまぁ、ススキにも種類が有るのか?


背景を工夫したつもりではあるが・・・

たかがススキ、されどススキ・・・写真を撮る人の間では、ススキ3年柿8年、と、言われているとか居ないとか・・・まっ、たぶん全く言われては居ないと思うが。

しかし、たかがススキ、されどススキ、でありまして、これほど色気も無いのにもの言う被写体も珍しいと思う訳です。

その訳は、やはり、透けて見えるシースルーの姿態で有りましょう。
透けて見えるが故に、光の当り具合、抜け具合で如何様にも変化する訳で、言わば、ススキはお日様を撮るためのフィルターのような物か?
若しくは、お日様を表現する為のスクリーンであって、ススキ自身の姿一つで絵には成らない物だと思う訳であります。

本日は始めチョロチョロ中パッパ・・・では無く、始め薄曇り後に鈍曇りでありまして、本来はススキ撮りに欠かせないお日様にケツを向けられた形となってしまった訳であります。

まっ、そんな訳で、出しといて言うのもナニなんですが、本日の出来は最低が55点で、一番良くても68点止まりでありましょうか?

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旅先の子供達

2014-09-15 10:58:00 | 2014 タイ&カンボジア
歳の為す技か? 見知らぬ子供の笑顔に心が和むようになった。
子供は国の宝とか言うが、違うだろう。
国境を越えて、地球の宝だろうに、と思う。

国境かぁ~・・・
厄介の塊だなと言いつつ、時に、国境の内と外の不公平を見るにつけ、己が国の位置を確かめ安堵する身勝手さ。

カンボジアの旅で一番多く接したのは物売りの子供達だったが、写真には撮らなかった。
物売りの声に立ち止まり写真など撮ろう物なら始末に負えない騒ぎになる。
そして、大概の子供は、土産物を飼うかモデル料を払うかと迫る。
余りのしつこさに辟易し、聞く耳を捨てた。



撮られるのを拒否する目だと思った


砂遊びに興じていた兄弟


カメラを向けたら笑顔で寄って来た


トンレサップ湖の水上生活者の村の子供


歩くべき地面が無いのだから必然的に船だ


年頃になれば服を着て街に出るのだろう


子供の足はタライだった


男の子も女の子も区別無く遊ぶようだ


土盛りされたらしい地面はお寺で子供が沢山いた


小さな子がより小さなこの面倒を見る


怪訝そうにこちらを伺っているのには訳がある


真剣に向かって来るのには大きな訳がある


発泡スチロールの破片で作った浮きは自作なのか?


この子達は落胆させてしまった

陸上で出会った子供達は先に書いた通り物売りの子が多く写真に撮らなかった。
本当は撮りたいのだが、後が厄介なので止めておいた。

トンレサップ湖の水上村に近付くとそこかしこに子供がいて、どれもこれも良い被写体なのだが、如何せん、こちらは走るボートの上で、被写体も揺れるとあって中々決まった写真になり難かった。

マニュアルの一眼を持って来なかった事を少し悔いたが、どうせ一度ハードディスクに入ったらほとんど見られる事も無い写真だからこれで良いのかとも思うが。

幾つかの写真の子供がこちらを真っ直ぐ見て漕いで来ているのは、私がお菓子を持っているのを知っているからだ。

残念ながら、小さな袋菓子を20個持っていたのだが、全員に配る事は適わず、最後の船の子供らには気の毒だった。

恐らく、この様な「子供の餌付け」には反対される人も多いと思う。
観光地で出会う「物乞い」の子供を気の毒がって小銭を上げるのは良く無いと言う風潮が強くなった。

理由は至極真っ当で、子供が学校に行く時間が無くなるし、その稼ぎを当てにした大人が働かずに昼間から酒など呑むようになる、と言うのだ。

多分、半分は当っていて、半分は外れていると思う。
ハズレだと思う子供は、「物乞い」をしなくても学校には行かせて貰えないし、何か違う労働をさせられるだけの事だと思う。

熱帯アジアの途上国の貧困は、先進国(物質文明国か?)の物差しは当てはまらない尺度だと思う。

国に喰わせてもらえない親は子供に喰わせてやる事も適わず、子供は生まれた時からそれが当たり前の環境なのだから、生きるのに一番楽で確実で手っ取り早い手段として、金を持っている観光客に的を絞るのは当然であり、お為ごかしの綺麗事は無用だと自分は思うのだ。

いや、こんな事を言うと、それだからいつまで経っても負の連鎖から出られないのだと言うのだが、観光客が要らぬ心配などしなくても、子供として同情してもらえる年齢は短く、「物乞い」をしていられる期間は長くは無い。

そうして「物乞い」で鍛えた度胸と要領と耳学問で覚えた英語を武器に、次は「物売り」になるのだろうと思うのは私の勝手な推測なのだが、たぶん、当っていると思う。

推測序でにもう一つ言えば、物売りを卒業すると、次は「私設ガイド」になるのだろうと思う。
国から許可を貰い登録されている正規のガイドとは別に、各遺跡には流暢な英語を話す「自称ガイド」が居て客を引いている。

私の勘では、「物乞い」は幾度かの脱皮を繰り返し、ガイドで成虫なのでは無いかと思うのだ。




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