捨てられなかった写真達 その2
右側通行なんですけど 少し位はどっちでも良いみたい
「カンボジアのおばちゃん」の花柄衣装にご注目!!!
東南アジアの托鉢で「裸足」はカンボジアだけでありました
HONDAの金文字が見えますが車種は分かりません
あの中に子供の頃の自分もいるような錯覚に・・・
プラスティック製品の露天と、その後のゴミの山
田舎の小さなマーケットと中国製三輪車
高出力 ホットロッド仕様の耕耘機(嘘 しかし異様に長い)
稼ぐ道が有るなら学校なんか行きません?
カンボジアと言ってもシュムリアップの近辺を5~6日廻っただけで、上っ面を舐めた事にも成らないんだけれども、自分は、東南アジアの他の国の事情に少しだけ明るいんで、見える物は結構見えちまったりする、と、思っている。
まっ、勘違いも含めて、茶飲み話です。
カンボジアの人はアジアの中ではラオスの人に一番似ているのかと感じた。
生真面目・・・そして静かである、と、感じたが、トゥクトゥクの運転手の中には調子の良い者も居たので人に因る、とも言えるが。
しかし、トゥクトゥクの客引きだってしつこく無い・・・断われば簡単に引き下がる。
あの、悪名高きマレーシアはクアラルンプールの雲助タクシーに比べたらシュムリアップのトゥクトゥクの客引きやら値段の駆け引きなんて赤ん坊の寝言みたいなもんです。
例えば、あまり客の来ない遺跡には明らかに観光目的では無さそうな現地人が居て、とても自然に近付いて来て、自分が見ている遺跡の簡単な説明など始めたりする。
えっ?ナニこいつ? と、思って無視して離れると着いて来ない。
しかし、写真など撮っているとしっかり後に居て、また説明を始め、そして、少しこっちへ来い、などと言って写真を撮るのに良いアングルなどを教えたりする。
そんな事をしているうちに、とうとう一回り、なし崩しにガイドされてしまって、最後にガイド料請求の言葉が出る。
私は2ドル差し出したが、こんな料金でガイドする奴は居ない、と、食い下がって来る。
しかし、私も、最初に料金を言わなかったお前が悪い、と応戦し、きっちりと睨む。
いや、随分昔だがシュムリアップでインチキガイドと揉めて痛い目にあった日本人を知っているので少し用心したのだったが、こいつは気が弱いと踏んで強気に出た。
いざと成ればトゥクトゥクの待つ所までダッシュだなと言う気持ちもあったし。
結局彼は無言で2ドルをポケットに収めた。
この一件からも、やはりカンボジア人はしつこく無い、と思う。
アジアの国を歩くと不思議な事に、乞食は都会にしか居ない、と、思うのだ。
農村や漁村では都市部で見るような「おもらい」式の乞食は見掛けない。
いや、田舎に行くと乞食なのかと見紛う貧しい身なりの人を見るのだが、それはその地域全体が貧しく、または質素で、皆がそんなような格好であったりするのだ。
多分、農村や漁村は、身の回りの事には不自由しても食べては行けるのだろうと思う。
いや、生きて行くって、生活するって、食べて行ければそれで良しなのか、と問われると何とも言えないのだが・・・。
カンボジアも他の東南アジアの途上国の例に漏れず、資本主義の浸透とともに田舎にも電気が引かれ家電製品が入り込み、バイクや携帯電話が普及し、現金が無いと暮らし難くなり、喰うだけはなんとかなる田舎に納まっていられず、現金収入を求めて街へ「労働」に出る風が吹いている。
途上国で何時も考えるのは「教育」の事だ。
私が子供の頃・・・50年近く前なのだが、日本でも百姓の倅に教育なんぞ無用だと言う人が未だ生き残っていた。
その後自分がそれなりに学校教育を受けてみて感じた事は、今の教育制度は「労働者の生産」の為に有るのかもな、と言う事だ。
どこの途上国もそうだが「貧困からの脱出はより上の学校を出る事」と言うのが決まり文句だ。
例えば、フィリピンでは一番上の姉が売春で稼いで兄弟の中で一番出来の良い子が学校を出て一家を盛り上げる、なんて言うことが普通に起っている。
フィリピンは国家として土地政策が破綻しているのでごく少数の金持ちの地主と大多数の貧乏小作人と言う図式が崩せない。
生産手段を得られないのだから貧困からの脱出は学校を出て良い仕事に就くに限る。
国民は東洋のラテンと言われる陽気な性格で、終わり良ければ総て良しの精神で逞しく乗り切るので、これはこれで良いとも言えるが。
そんな思いを持つ自分が東南アジアで、これから資本主義の波に洗われようとしている国の暮らし向きの変化や教育の在り方などを見ていると・・・せっかく持っている物を捨てなくても良いのになぁ~、などと思ってしまうのだが、こんな与太話しを途上国の真面目な人にしたら殴られないまでも怒られる事間違い無しだ。
この手の話しをして、持ってる国の持ってる人の戯れ言だ、と、何度も言われたのだが、自分の思いは殆ど変わらないで居る。