じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

雑談(戯れ言)

2015-01-12 21:28:12 | 日記的雑談
ふと思ったんだが・・・一口で「日本人は」とか言われている時って、どんな日本人を想定と言うか、指していると言うか、どんなもんなんだろう?と思う訳です。
まっ、私も日本人なので、それも含めた日本人像と言うのは相当歪んだ物になると思うんだけれども・・・一人くらい変なのが入っていても希釈されるから平均像には影響ないか?

いや、一口で言う日本人像に興味を持った訳では無く、外国人が、とか、海外では、と言う前置きで日本を語る時の事を思ったらなんか変だよなぁ~と、思った訳なんですがね。

だってアレでしょ・・・外国人って言ったって、パプアニューギニアのチンチンに筒を被せた人から、生まれた時に産湯を使った後は風呂には入らないと言うモンゴルの遊牧民から、国がデフォしたと言うのに緊縮財政反対って騒ぐギリシャ人とか・・・外国人なんて一括りで表せる像なんか無いでしょ?

そう言う得体の知れない外国人像をチラつかせて日本国民やら日本国をアレしようとかナニしようと言う話がやたら多いと思う今日この頃・・・そーか、今日は成人式で旗日だったのか・・・それでは労働者の皆様も一応は休日でありましたかな?

私しゃ無職ですから死ぬまで休暇ですからドーでも良い旗日なんですけれども、しかし、成人式は1月15日で良かったと思うんだけれどもね。
国が国民に変な気を使って旗日を弄くって訳分からなくしちまうよりも、法律で決まっているのに、中小企業ほど有名無実な有給を完全消化出来るようにしたら良いのにと思うけれどもね・・・まっ、私しゃ無職ですからドーでも良いんですけどね。

今朝、ラジオを聞きながらスキー場に行った訳ですが、話題は、安倍さんの談話で有りました。
森元太郎が司会の番組でしたが・・・アレは、反政府系ですか?
私しゃアベッチの経済政策は反対ですけど、日韓関係やら日中関係に置いて敗戦国が故に背負わされている濡れ衣やら重荷を払い落とそうとする兆しを微かに見せているかもしれないと期待させるアベッチの姿勢には期待している訳です。

で、そのラジオ放送のゲストの人が、ふた言目には河野談話や村山談話を見直したら「アメリカ様が」とか「日韓関係が」とか「日中関係が」と宣う訳ですよ。
アメリカは日本に韓国と言う重しを乗せ、中国と言う足枷をはめた張本人な訳でしょ?
その思惑は、大東亜戦争で悪いのは日本だけ!!! 全面的に侵略戦争を仕掛けた日本を懲らしめたアメリカの正義・・・原爆投下は日本国民の為、と、こんな雰囲気を醸し出し、未来永劫日本がもう一回やってみるか?なんて気を起こさせない為の仕掛けを施した結果が河野やら村山の談話な訳でしょ?

官房長官 “村山談話文言見直しもありうる”

日本・・・ホントに独立する日を迎えて死にたいよねぇ~
アメリカ様のケツを舐めたまま、虐げられたまま死にたくは無いよねぇ~


柔和な顔をしてますねぇ~ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領

世界最貧の大統領が慈善に55万ドルを寄付

いい話しです・・・「顔は履歴書」と言う人も居まして、人の素性は顔に出ちまうと思う訳ですが・・・私ですか?私の顔は「スケベ顔」で統一されております。

富も名誉も要らないと言い切れる政治家ばかりだったら世の中と言いますか、世界中はもう一寸良くなると言いますか・・・ならないな・・・放って置けば集団を作って競い合い争うのが人間の本質だもんな。
全ての不幸は比較から生じる・・・こんな簡単な事を理解しないと言うか、分かりたく無いのが人間だもんな・・・未来永劫競争し続け、なんとかしなくちゃと言いながら滅びるんでしょうなぁ~・・・人は。

欧州は国防問題で米国に依存している

まっ、アメリカ様のケツを舐めないと生きて行けないのは「西側諸国全部」と言う事なんでありましょうか?・・・そう思うと、アメリカ様って、いったい何者? なんて疑問も出ちまいますね。

国防で米国に依存している、と言うのは、国防で依存していると言う事は・・・お国の存亡の肝を握られている訳ですから、それは取りも直さず経済でも金弾を握られていると言って良いと思う訳です。

やっぱし、ドル高・・・安泰かぁ~?


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野良写真(野の仏)

2015-01-12 19:36:59 | 日記的雑談

要するに昔の墓石なんですが


放置されている風な野の仏たち


安政六年 52歳で亡くなった 長四郎さんの墓石


文政九年に亡くなった男性の墓石


嘉永七年としか読めない墓石


野の仏達が眺める芋沢の景色

我が家は仙台市の郊外でも更にどん詰まりに位置していて、この裏の丘陵地帯からは山伝いに奥羽山脈に出られる。
今でこそ仙台市青葉区だが、私が越して来た当時は「宮城県宮城郡宮城町芋沢字山奥大字谷底崖下8番地」と言う住所であった・・・まっ、芋沢から下は私の捏造ですが。

まっ、だからナンなんだと言われればそれまでだが、そう言う辺鄙な場所であるが故に、開発が進まず昔ながらの物が沢山残っている。

しかし、昔ながらの物と言ってもそれ程価値の有りそうな物はなく、写真のように大して古くも無い、江戸の末期頃の墓石や草臥れた神社や館跡が残る程度の物なのだが。

しかし、江戸末期近くの墓石や石碑なら田圃の彼方此方に転がっているので年号を読むのはそれなりに楽しい。

上の写真の年号は、まぁご存知の方も多いと思うが並べてみれば・・・安政六年は1859年で、文政九年は1826年で、嘉永七年が1854年となる訳です。

ふう~ん、と思うのは、33年間の間しか無い訳で、ずっと古いのや、その後も無いと言う事は、この野の仏様達はここで絶えたのかしら、と想像しちまう訳ですが・・・栄えていたらゴメンなさいです。

写真の通りもっとたくさん有るのですが判読出来ない物ばかりでして、その中に古いのやらもっと新しいのが有るのかも知れませんね。

で、この頃の埋葬と言うのは土葬なんで、掘ればそう言うモノが出て来ちまうんじゃないかと思うんですけれども、ひょっとすると、一括して近代的な墓に移った時に、先祖代々の供養をして墓碑もそう言う事になっているから野の仏になっちまっているのかも知れませんね。

いや、田圃や土手を歩きながら、偶々見つけた仏様のアレコレを勝手に想像するだけならまだしも、写真や文字にして曝すと言うのもナニかと思う訳ですが・・・忘れ去られているよりはこんなオヤジでも想いを巡らせているとなれば、野の仏も笑ってくれやしないかと思う訳ですが。


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