じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

五所川原 探訪

2018-08-24 17:42:11 | 日記的雑談
皆様は青森県の五所川原市はご存知ですか?

ほほぉ~・・・何も知らない、と。
ソーでしょうとも、そーでしょうとも。

ナンとなれば、津軽の有名どころは大概弘前に皆持って行かれ、残ったモノと言えば、吉幾三くらいのモノですから。

と、言う事で、この度は津軽の地でも今イチ取り残された感の強かった五所川原市の吉幾三コレクションミュージーアムを訪れてみました。

入場料は、吉幾三コレクションミュージーアムだけなら800円ですが、立佞武多の館と太宰治「思ひ出」の蔵の三点セットで1100円とお得なのであります。

私個人の感想ですが、三点セットのメインは立佞武多の館でして、吉幾三の記念館は車を置かせて頂けるので最初にここへ立ち寄って共通券を買うのがベストかと思うのであります。


吉幾三 ミュージーアムの全景

いや、思ったよりもこじんまりとしていました。

私が知っているのは「いくぞうHOUSE」でして、それは吉幾三の生家の金木町に在ったのであります。
が、いつの間にか移転し、この度訪れた吉幾三コレクションミュージーアムに変身していた訳であります。

まっ、そんな事はドーでも良いんですが、五所川原の新名所となった吉幾三コレクションミュージーアム・・・訪れた感想は「微妙」でありました。

ナント申しましょうか、貴方様が心底吉幾三のファンであればどんな物でもあり難く受け止める事でありましょう。
と、なれば吉幾三コレクションミュージーアムの展示品は宝の山と思います。


吉幾三が作曲やコンサートで使ったギター

いや、驚きました。
吉幾三が使ったギターが展示されていたんですけれども、全部安物でありました。
強いて言えばKヤイリが1本、そこはかと無い気品を漂わせていましたが、中には自分の知らないメーカーの物も有り、それはたぶん数千円で買える物ではないか、なんて気がする物だったのであります。

一番多かったのはモーリスですかね?
かまやつひろしが宣伝してましたっけ・・・モーリス持てばスーパースターも夢じゃない、なんてね。


紅白出場時に着ていた衣装など

アレです・・・舞台衣装とはこう言うもんなんで在りましょう。
ひたすら金キラであります。
スポットライトを浴びたら必ず何処かが光るような工夫がされているように見えました。
で、一着50万円程と、説明を受けたんですが、高いとは思わず、へっ?そんなもんなの、と思ったのが偽らざる感想で在りました。

余談ですが、一着だけ袖を通して良いのが在ったんですが、それを着て思いました・・・吉幾三ってデブなんだ、と。


吉幾三の書

いや、一芸に秀でる者は・・・ナンて事を申しますが、吉幾三の書は中々のモノだと思います。
しかし、書いてある言葉が少し陳腐と申しますか、あいだみつおの劣化版みたいで微笑ましかったであります。

と、言う事で、吉幾三コレクションミュージーアム・・・そこそこのファンであればそれなりに楽しめる所でありました。

次に立ち寄ったのは 太宰治「思ひ出」の蔵 であります。

いや、青森の其処彼処に太宰の足跡はある訳でして、そりやぁ五所川原にゃ親戚とかも居ただろうし、何某かのゆかりは在るとは思います。
が、新しい街並に取って付けたような新しい蔵を建て 太宰治「思ひ出」の蔵 なんて名付けて人を呼ぼうなんてのは不届き千万・・・ナンてことは無いんですけれども、それでもやや強引な感は否めないのでありました。


太宰治「思ひ出」の蔵

ナント申しましょうか、太宰に縁のある物品の多くは金木町の斜陽館に展示されている訳でして、小さな蔵で味わうのは太宰と空気感の共有とでも申しましょうか、まっ、ディープなファンでない限りはカップヌードルが出来上がる前に見終わってしまうと思いました。



太宰が聴いた 蓄音機

蓄音機の音、良いモノでありました。
レコード盤はビクターの物と読めました。
いや、蓄音機の鉄針なんて今でもあるんですね。
予備の針が沢山準備されていました。


そして三軒共通券で一番お得感が強いのが次に訪れた 立佞武多の館 でありました。


立佞武多の館 全景

六階建てのビルの中に高さ22メートルの立佞武多(たちねぷた)が収まっていて、祭りの日には四階までの扉が開いて立佞武多が出て来るのだそうであります。


四階までエレベーターで昇って回廊式に見る


造形として素晴らしいと思いました


同じ物が角度によって表情を変える


写真では伝わらない22mの迫力

青森市には「ねぶた」があり弘前市に「ねぷた」が在るのは夙に有名であります。

で、ねぶたは、ラッセラーの掛け声で跳人(はねと)が踊るので有名であります。

で、ねぷたは、やーやーどーの掛け声で静かに飾り物の山車が繰り出されるのであります。

余談ですが、私はどっちも数回ずつ観ていますが、性格的に陰なのか、戦から戻って来る姿と言われる、静かなねぷたが好きであります。

更に余談ですが、ねぷたの語源は津軽弁の ねぷて(ねむい)が語源とも言われますが定かではないようです。

そしてこの度の立佞武多であります。
ぜんぜん知りませんでした。
それもその筈、復活したのが1998年との事でありまして、我が家地方では東北の夏祭りとしてニュースになる事も少ないのであります。

いや、展示館の内容は申し分無く、わざわざこれを目的に五所川原を訪れてもガッカリはしないでしょう。

が、頑張って観ても2時間はキツいので是非吉幾三の方にも立ち寄る事をお勧めいたします。

あとアレだね、稲刈りまでの時期なら田舎館の田んぼアートとか、鶴田町の鶴の舞橋 の見学ですかね。

と、言う事で、青森県は五所川原市の観光名所を周った話なんですが、独断と偏見だけの感想なのでくれぐれも真に受けたり怒ったりしないで欲しいと思います。

  付録


閑散とした土産物店街と 斜陽館

いや、別館がドーのと言う事で行く気になったんですが、道々考えた結果、おれは太宰が好きじゃないんだ、と言う結論になったわけであります。

しかし、来ちまったモノは仕方が無い、と言う事で500円を支払って斜陽館に入りましたが、昔の金持ちの豪邸を観ても大した感慨も無く、なんだか自分の生家に似ているな、程度の感想しか持ちませんでした。

と、言う事で・・・津軽の旅、これにて完結であります。



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車中泊で津軽半島へ 2

2018-08-24 08:28:50 | 旅と感想

長文ですが悪しからず    

八月二十一日 火曜日 

車中泊は慣れている。
しかし道の駅では初めてだった。

過去に高速道路のパーキングで寝た事は何度もあったが快適に寝られた記憶は無い。
だから道の駅も敬遠していたのだが、近頃は道の駅が車中泊の定番となっている様子なので試してみた。

結果は、自分の予想した悪い条件が凡て出揃って安眠とはいかなかった。
その理由の最たるものは高速のパーキングと同じ大型トラックのエンジン音だ。

人間、自分で出す音は気にならないが他から入って来る音には敏感なようだ。
かく言う自分も停車して少し休む時などエンジンを掛けたままで少しも気にならない。

今日の目的地は漠然と竜飛岬。
途中の道筋が朧げに浮かんではいるがその記憶は20年以上も前のものなので宛てになるのか怪しかった。

七時半頃、取り敢えず秋田市を目指し国道7号線を北上。

金浦の辺りで日本海東北自動車道の看板が見え、地元の車と覚しき2屯ダンプや軽トラがひょいと曲がって行く。

恐らく無料区間なのだろうと思ったが入らなかった。
海岸沿の7号線を昔のように走りたかった。

しかし、走って行くうちに少し後悔した。
これがあの国道7号線かと、あまりの寂れように気持ちが暗くなる。

本庄市を過ぎて地図を見た。
秋田市内で友人を訪ねる予定が無くなったので市内を迂回する日本海東北自動車道に入ろうかと思ったのだ。
しかし岩城から先は有料になっていたので止めた。

国道7号線をひたすら北上する。

7号線は能代から内陸に入り大館経由で青森へ向かう。
101号線に乗り換え、さらに海岸線を北上。

ここからが今回の旅の本筋なのだ。
五能線と並行して走る101号線こそが北東北の日本海側の真打ちだと自分は思っている。

撮り鉄なら五能線の情景に惹かれるだろうし、叙情的風景が好きなら寂れた港やらを絡めた被写体に溢れている、筈だった。

結局自分はほとんど撮らなかった。
今の時代として見れば十分に侘しい風景なのだろうが、私の記憶の中のものとは掛け離れて見えたからだ。

理由は幾つも挙げられる。
旧い漁船が係留された小さな漁港は絵になりそうだが、港の岸壁が立派なり背景が決まらないのだ。
昔の港の防波堤は随分低く堤防越しに海が見えたが今は高いコンクリートの壁だ。
そして延々と続くテトラポットが海岸線の風景をつぶしていた。

求める風景は記憶の中なのだと知り何処へも立ち寄らずに走り続けた。

そろそろお昼時、深浦の道の駅に着いた。
別名を「かそせ いか焼き村」と言い、いか焼きが売り物の地域だ。


食道から見える風景


珍しい鮮魚が格安(かな?)


食道の品数は少ない、が


生のマグロをさばいて売る


本マグロ丼 1200円は格安と思う

道の駅には小さな食道が有った。
品書きの数は少なかったが、マグロ丼とづけ丼が目を引いた。

ここでラーメンやカレーを食べるほど愚かではない。
品書きの中で一番高い本マグロ丼1200円を食する事にした。

昨年の夏は下北半島の佐井村で有名な食堂のマグロ丼を食べた。
食べ物の評価は人それぞれなので何とも言い難いが、深浦のマグロ丼は値段と味の折り合いから「勝ち」だと思う。
マグロが新鮮なのに驚いたが、それもその筈、食道の脇でさばいた物が供されているのだ。

持ち帰れないので涙をのんだが「ウスメバル」だ。
滅多に見られない大物が一匹650円で売られていた。
真鯛や稚鰤より遥かに良い値だがメバルは手釣りだから高価なのだ。

食べたかった。

国道101号を漫然と走っていると「不老ふ死温泉」の看板が目に入った。
以前は宿泊以外での入浴は出来なかったが今は立ち寄っての入浴も可能と聞いていた。
どうしようか迷っているうちに結構走ってしまいこの案は自然消滅した。

鰺ヶ沢町を通過。
この街にはトライアスロンのレースに出るのに五年連続で来た事があった。
あの頃小学生だった娘が間もなく四十路。
昨日の事のように思えるが遠い昔の事なのだ。

101号は鯵ヶ沢から内陸に入り五所川原を経て青森市へ行く。

五所川原も二十数年訪れていなかった。
街がどうなっているのか、思い出を探して立ち寄る事にした。

これも日本海東北道の一部なのか、無料の自動車道が青森方面に伸びていたので乗ってみたが、細切れの一部開通区間でわずかな距離だった。

家を出てから初めての給油。
450キロを走り28リットルの給油で燃費は16キロとまずまずだ。

五所川原の街に入って驚いた。
自分の知っている街の面影は微塵も無いのだ。
東北の田舎の街の再開発は押し並べて似たような物になるとは思っていたが、ここまで変わるかと言う程に個性の無い街になっていた。

何処にでもある小綺麗な街並、唯それだけだった。

街中を走っていて「吉幾三コレクションミュージーアム」を見つけた。
有料の駐車場が見当たらなかったのでここに停めて街を歩く事にした。
だが無料と言うのは気が引ける。
あまり興味は無かったが駐車料金と割り切って入場した。

約一時間程五所川原の中心部で時間をつぶし国道339号線で小泊を目指した。

339号の道筋の金木町には太宰の「斜陽館」があった。
内部を修復したらしいと聞いたので立ち寄ってみたが何処が変わったのか自分には分からなかった。

五所川原に周らなければ十三湖大橋を渡れた。
339号からでも少し戻れば行けたのだが竜飛岬の夕日に間に合うように先を急いだ。
一つくらい見所を残しておかないと次ぎに来る理由が無くなってしまうし。

今回の旅の目的の一つだった小泊の港は339号線から外れて入り込まなくてはならない。
ここまでの道のりで大体読めていたので期待せずに曲がったが、案の定、車を停めずに通過した。
たぶん小泊の港や海岸線が被写体として活きるのは夏以外だと思う。
次は初冬に来てみようかと思った。


北海道は松前半島の山 と思うが


小泊崎と遠景は鯵ヶ沢から深浦の道沿い


竜飛岬 看板でしかそれを示せない私


超有名な 階段国道 339号線


結構無名な 階段村道 灯台へ続く

339号線は小泊道と名を変えると急な峠道になる。
ぐんぐん上ると眺望台に着く。
ここからは日本海の向こうにロシアが見える・・・事は無いが北海道の松前半島は間近に見える。

そしてもう一つ見られるのが名物になった猿だ。
車で通る観光客が面白がって食べ物を投げて行くのを当てにして道ばたに群れている。
車を降りて近づくと歯を剥いて威嚇し可愛げは無い。

竜飛岬に着いた頃、岬は霧に包まれ、やがて雨になり日本海と津軽海峡の境に沈む夕日は見られなかった。

竜飛は龍が飛ぶ程風が強い事からその名がついたと聞いた。
車を降り階段国道を歩いてみた。
東からの風が強く遠くには雷鳴も聞こえ最果ての地を感じるには良い演出だった。

竜飛には青函トンネルが開通したばかりの頃に来た事があった。
その時は工事関係の人も引き上げた後でとても寂れた感じを受けた。
小さな旅館が2~3軒あって太宰が泊まった旅館もあった。
たぶん自分はそこに泊まったと思うのだが宿の名前は思い出せない。

竜飛岬の先端にこんな広い敷地は無かったと記憶するのだが、立派なホテルが建っていて驚いた。
竜飛温泉となっていたのでもしやと思い訪ねると、500円で入浴可能だった。
風呂からは津軽海峡が眼下に見え、次はこのホテルに泊まって見たいと思った。

暗くなる前に今夜の宿に着きたかったので早々に竜飛を後にした。
国道280号線沿いの道の駅「たいらだて」を目指した。

昔の三厩までの道は狭い隧道が沢山あって走り難かったが今は拡張され楽だった。

それにしても私の記憶違いか、三厩までは国道399号だと思ったのだが竜飛岬から280号線となっていた。
国道も併合したり相乗りして1本の道が幾つかの看板を背負う事も多いのでそんな事なのかも知れないが。

日没との追いかけっこで急いでいた。
今別町に入り見晴らしの良い高台に出ると「キャンプ場」の看板が目に入った。
あれっ、と思っているうちに通り過ぎたのだが戻ってみた。

やはり勘は当たっていた。
広い駐車場の前に芝生のキャンプ地が岬から海に落ちるように広がっていた。

車中泊なので雨に濡れた芝は気にならない。
それよりも確認すべきはトイレだ。
どんなに景色が良くてもトイレが悪いと印象は一気に下がる。

はたして、外見は新しく無いのだが中は掃除が行き届きキレイだった。
更に嬉しかったのは、新品と覚しきウォシュレットが完備枯れていた事だ。

広い駐車場に我独り。
芝生の先には暮れ切らない津軽海峡が黒く見えていた。

街灯も明るすぎず車内を遮光しなくても寝られそうな雰囲気だった。


準備は簡単 5分で完了


夕飯はカツカレー、冷や奴、サラダ


朝飯の風景

夕食の頃には風も雨も止み外で食事が出来た。
コンビニ弁当なのでみそ汁とコーヒーのお湯を沸かすくらいしかしないのだが車内よりは外の方が気分は格段に良い。

ビールを片手にイカ釣り船の漁り火を飽く事無く眺めた。
遠く離れた船の集魚灯の明かりで自分の手元まで薄ら明るい。
どれ程の発電機を回しているのか、漁は良いのだろうか、と勝手に思って楽しんでいた。

車で寝袋に潜り込んでも船のエンジンの音は響いていた。
しかしトラックのそれとは違って気にならないから不思議だ。
低く規則正しいエンジン音は耳に心地良く眠気を誘った。

夜中にトイレに起きた時、車内に蚊が紛れ込んだ。
最初はブーンと元気な音を立てていたので困ったが、数分後には静かになった。

今回の車中泊は2泊とも前の窓を半分開けて寝たのだが網戸無しで蚊に喰われるる事は無かった。
電子香取を使っていたのだがそれの効果なのだろうか?

八月二十二日 水曜日

昨夜も安眠とはいかなかった。
夜通し断続的に降った強い雨の音で何度か目を覚まし暫く寝付けなかった。

五時頃目を覚ましたのだが寝袋の中でごろごろしていた。
六時頃、朝食の準備に取りかかり、ゆっくりコーヒーを飲みつつ後片付け。

キャンプ場には大きなゴミ箱が有った。
コンビニ弁当だけの食事なのだがゴミは結構な量が出る。
空き缶も含めて捨てて行けるのは大助かりだ。

七時二十分頃、青森市の国道7号線を目指して出発。

何時になるか分からないが何れ乗る予定の「むつ湾フェリー」の乗り場と停泊していた船を蟹田で発見。
意外と小さな船だった。

蟹田から先の帰り道には寄り道も無く、特別記する事も無く、ただ一向国道を走っただけだった。

青森市の外れの大釈迦峠から記憶を便りに県道に入り黒石市街を抜けてみた。
折角黒石市に入ったのだから「こみせ通り」の旧市街まで足を運べば良いのだが、そこは次回の為に残しておく事にした。

県道13号線で大鰐にまで行き7号線に合流。

国道7号線を南下して秋田県の鷹巣に入り国道105号線に乗り換え。

国道105号線で角館に出て大曲で国道13号線に乗り換え。

道の駅「おがち」で昼食と給油。
375キロ走って23リットル・・・リッター16.3キロ。

国道13号線で秋田県湯沢市の雄勝まで行き国道108号線に乗り換え。

宮城県大崎市岩出山で国道457号線に入り、午後四時頃、我が家着。


    まとめ

非力な軽自動車での長距離に不安があったのだが、今回の旅でそれは払拭された。

いや、高速道路を使わなかったので非力さが目立たなかったのだが、考えてみれば時速100キロは余裕で走れるのだから法定速度を守るなら過不足は無いはずなのだ。

そして、車中泊は快適だった。
軽トラの荷台にテントを張っても楽しかったが、楽だと言う事では今の車は抜きん出ている。
なんと言っても天井が高いので窮屈感が無い。
もちろん縦の寸法も十分で完全に足を伸ばして眠れた。

少し改造や工夫を加えるとすれば床面にコンパネなどを敷いてフルフラットを作ろうと思う。
それと道具類を整理整頓して収められる棚や箱の類いを設けようと思う。

我が愛車のカタログデーターの燃費は14リットル程度だったはずだが、〆て見れば平均で16キロは走ってくれた。
ターボを効かさずひたすら静かに加速し、キツい登りでは少しくらいの速度低下は気にせずアクセルは開けなかった。
それだと一般の流れから遅れたり邪魔になるのかと言うとそんな事は無かった。
大概の国道の先頭は大型トラックなのでほぼ法定速度プラス10キロが定速になっているので軽ワゴンの馬力で丁度良い塩梅のようだった。

今回の旅はバイクのツーリングとは全く違った楽しさがあった。
何時でも何処でも寝られる強み、雨風に遇っても気にせずに走り、そして寝られる安心感は旅に心の余裕が持てる。

言ってみればバイクツーリングは忍耐の上に成り立つたびだと思うが、軽ワゴンの車中泊は気持ちに気合いを込める必要も無くいつでも行ける。

今回の旅で痛切に感じたのは自動車道の発達であった。
東北の山の中でも高速に準ずる自動車道が整備され、国道を行くと自然に誘導され入ってしまう。
原付二種ではそれが出来ない。
大概は旧道の迂回路が近くにあるのだが、稀に道が分からない事もある。

こんな事を思うと原付二種のカブでの旅は重たいなぁとなって、ますます軽ワゴン車「チビ黒」の出番が多くなる予感がする・・・確信か?

余談が長くなりましたが、これにて「津軽半島の旅」はお終いです。

誤字脱字 文脈逸脱 意味不明 を乗り越え最後まで読んで頂きありがとうございました。
















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