じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

車中泊の旅 釜石市

2018-09-07 11:23:32 | 日記的雑談
行き当たりバッ旅・・・と、名付けたのはシェルパ斉藤氏だったか?

私はシェルパ斉藤にとても感化され、一時期ロングトレールを歩く事に熱中した物でありました・・・が、行き当たりバッ旅の言葉を借りただけでして、今回は何の脈絡も関係もありません。

でも思い出すなぁ・・・アンナプルナサーキットを初めて歩いた日の事。
シェルパ斉藤の記事から10数年後だったのでヒマラヤも開けちまっていたっけ。

その二年後、2度目のアンナプルナサーキットでは更に、僅か2年と言えない変化に出会し驚いたっけ。

シェルパ斉藤が歩いたアンナプルナサーキットは今はもう歩けない。
いや、旧道を行こうとしても人が歩かなくなった街道沿いは街が寂れて宿や飯屋が無いのである・・・その代わり、昔は埃にまみれて歩いた道をバスで行く事が出来る。

しかし、ロングトレールを歩きに来てバスに乗って嬉しい人は居ない筈・・・ネパール観光も秘境をヘビーに回る旅から軽く雰囲気を楽しむ時代に入ったと言う事なのかも。

と、言う事で・・・岩手県は釜石市の話になるんですが、私は未だナンボか栄えていたころの釜石と、その後絶望的に衰退して往く姿も知っている訳です。

時代なんですね・・・ふと思いついた言葉なんですが「生成衰滅」と。
いや、既に誰かが語っちまっているかも知れない語呂合わせなんですが、万物は生まれ、成長し、衰え、滅する訳であります。

街も同じなんですね。
何かの切っ掛けで街が生まれる訳です。
そして栄え、勢いを得て成長する。
しかし、時が移り社会の要求が変り衰退へ。
そして・・・まっ、街が滅する事は中々無いですけど、鉱山の街などは役目を終えて消えてる訳です。

釜石は鉄の街でありました・・・まっ、今でも線材などを造ってはいるそうですが製鉄の街として栄えた釜石の姿は無いのであります。


鉄の歴史館


日本初のガス灯

いや、鉄の街釜石を語ろうとすれば「鉄の歴史館」は外せないのであります。

と、偉そうに語ってますが、国道を走って来たら看板が目に入ったので立ち寄っただけでして・・・正直に言えば知りませんでした、と。

日本の近代製鉄は大島高任から始まった訳ですが、この歴史館では17分のビデオで高任の苦難と成功への道を見せてくれるのであります。

いや、ためになりました。
溶鉱炉には炭を2として1の鉄鉱石を入れて燃やすのだ、なんて事を覚えました。

で、この後関連施設で世界遺産の橋野鉄鉱山に行くんですけど、そこの高炉では、炭を8トン入れ鉄鉱石を4トン入れて炊くと2トンの鉄が撮れるのだ、なんて事も覚えて来ました。

製鉄って意外と効率が良いんですね。
まっ、歴史館の展示してあった鉄鉱石の含有量は鉄が50~60パーセントなんで当たり前と言えばそーなんですが。

で、序でに驚いたのがガス灯でありました。
てっきり文明開化の頃に銀座や日本橋辺りが最初かと思ってましたが、ナントぉ~・・・製鉄で出るガスを利用して日本初のガス灯を灯したのが釜石なんでストぉ~。



世界遺産 橋野鉄鉱山 案内所


日本最古の洋式高炉の跡

と、言う事で序でと言いますか、世界遺産と言う宣伝文句に釣られてやって来たのが「橋野鉄鉱山」であります。

いや、流石に世界遺産でありました。
鉄の歴史に対する熱い思いが迸る人なら目頭を押さえて感動する事でありましょう。

しかし、あんま私し鉄に関心の無い人は、ハッキリ言って拍子抜けしてしまうと思うのであります。

いや、遺跡としての価値は分かりませんが見た目的にはただの崩れた石組みが見られるだけでして美観的にも迫力的にも何も感じなかったと言うのが偽らざる気持ちであります。

勝手な推測でナニなんですが、津波の復興と言うのが無ければ釜石でラグビーのワールドカップ開催もどんなモンであったかと自分は思う訳です。

で、橋野鉄鉱山の世界遺産認定も日本に8カ所ある関連施設のおまけであったか? なんて言ったら怒られますかね。

いや、関連施設と言うのは、山口県は萩の「萩反射炉」で、形が残っている訳です。
で、静岡県の韮山も反射炉が現存ですし、軍艦島や熊本の三池炭坑、佐賀県の三重津海軍所跡などが一括りの世界遺産の中で地味な存在であるのは間違いないと思います。


   つづく

いや、仕事から帰って続きを書く元気が無いもんですから尻切れ蜻蛉ですんません。

おやすみなさい。

コメント
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