まず、日光について語るならば・・・なんて大袈裟な話では無いんですけれども・・・「日光を見ずして結構と言うなかれ」なんて事が言われた日本でも古来からの観光地な訳であります。
で、隠し立てせずに申し述べると、私、仙台市に本籍を移すまでは栃木県民であった訳です。
なんと、生家は日光街道沿いにありまして、私が生まれた1955年頃でもまだ米軍のジープやトラックが中禅寺湖畔へ避暑に向かって走っていたと父ちゃんだか母ちゃんが語っていたのを覚えています。
まっ、私はギブミーチョコレート世代では無いので記憶の欠片も無いんですけれども、確か日光街道の杉並木で鞍馬天狗の撮影がされていて父ちゃんのバイクの背中にしがみ付いて通ったおり、倅よ此処が鞍馬天狗の撮影場所だと言われたような記憶がある訳です。
たぶん役者は嵐寛寿郎の頃であろうかと思うんですが定かではありませぬ。
と、言う事で記憶の片隅には相当昔の東照宮や中禅寺湖が浮かぶのであります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/62/a391f392da515a126e0ec4788555aa0b.jpg)
私らしく裏から入ってみました
いや、意図して裏から入った訳ではないのですが車を止めた所がソーだった訳でして、結果的に脇道から入った次第であります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/d6/1e5653956566c4e61276e04436eb16cf.jpg)
それらしい雰囲気になって来ました
後で表側を歩いたんですがそちらの風景は記憶に無かった訳です。
が、裏から行って五重塔前の広場に出る道は通った記憶があったのであります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b6/42a954b142505d96878422dd58bd3db0.jpg)
五重塔よりも小学生の多さに驚きました
いや、いやいやいや、少し前の私なら修学旅行か遠足の子供の大群を目の当たりにして踵を返した筈であります。
が、好々爺の心境に近づいた私は子供らの大群を見て微笑んじまった次第であります。
おお、沢山の子供らが日本の歴史を学んでいるな。
コレで日本の未来も安泰である、と、思いつつ、自分もその仲間に入るべく入場券売り場に行った次第であります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/4b/0fdcdfe584b0393e25aff3cae3af5726.jpg)
宝物館とのセット券は2100円でした
セットと見るとお得であると脊髄反射してしまって買ったのが東照宮と宝物館の両方のチケットでありました。
がぁ~・・・単品で買ったら、東照宮が1300円で、宝物館が800円であります。
なぁ~んにも得してないと気がついたのは随分後の事でありました。
そして、ここに宝物館の写真が一枚も無いのは内部が撮影禁止だったからでは無く、自分にはあんまし魅力的ではなかったから、でありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/46/892334e750c2aa6c231403527061aa93.jpg)
左から2番目がかの有名な三猿です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/9c/a12b8e82ca83bcb8d1a5d4ec1f57382c.jpg)
神社の雰囲気として厳かでは無かった
ナント申しましょうか、日光東照宮は殊の外「華美」であると自分は感じるのであります。
華美=過美と言ったら家康さんとそのご子息が怒りますかね?
でも、何処かに成金趣味と言いますか、なんか違うんだよなぁ~と思えてしまう私は美的感覚が狂っているのかもしれませぬが・・・ハッキリ言って嫌いです。
いや、歴史的建造物としての価値は認めますよ、もちろん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/a1/0fac61a647b62aaefeaeb4729d1f07f2.jpg)
「日暮らしの門」とも言うらしい
私が子供の頃は陽明門と言うよりも日暮らしの門と言っていた記憶があります。
それは、陽明門を見た参拝者が余の美しさに見とれてしまい気がつけば日暮れが迫っていた、なんて事が語られていたのでありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/63/862d9aeededef2ccfd71432b284f6b0b.jpg)
修復なった「陽明門」です
修復したんだそうであります。
とてもキレイと言いますか、色彩が鮮明でして、金ピカも鮮やかでありました。
でもね、歴史的建造物が持つ詫びや錆びが少しも感じられず、何処かで見た感じだよなぁ~で思い出したのが、タイヤミャンマーの金ピカ寺院でありました。
まっ、新品だったらこんな感じなんでありましょう・・・だから これでいいのだぁ~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/67/6046bf1833a18918955bacafdc7e60c7.jpg)
伊達政宗が贈った南蛮鉄の灯籠
伊達政宗らしい贈り物であります。
南蛮渡来の鉄で灯籠を作って贈ったんだと高札に書かれておりました。
いや、下の石の台座は紀州だったか別の殿様の贈り物だそうですけど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/d1/94c040605a47c32e1c16e463bc45bb88.jpg)
華美で無い色と造形が好ましかった
奥宮へ行く道でありましたか?
ナンであれ、華やかな日光東照宮の造作の中にあって自分が唯一威厳と言いますか、大袈裟に言えば日本的であるなと感じたのがこの風景でありました。
と、言う事で、ハッキリ言って権力と金が造った造形にはろくな物が無いなと言ういつもの感想が此処にもあった訳であります。
アレです・・・根が貧乏人ですから華やかすぎるものは性に合わないと言いますか、侘び寂びの無い風景は苦手なんであります。
で、隠し立てせずに申し述べると、私、仙台市に本籍を移すまでは栃木県民であった訳です。
なんと、生家は日光街道沿いにありまして、私が生まれた1955年頃でもまだ米軍のジープやトラックが中禅寺湖畔へ避暑に向かって走っていたと父ちゃんだか母ちゃんが語っていたのを覚えています。
まっ、私はギブミーチョコレート世代では無いので記憶の欠片も無いんですけれども、確か日光街道の杉並木で鞍馬天狗の撮影がされていて父ちゃんのバイクの背中にしがみ付いて通ったおり、倅よ此処が鞍馬天狗の撮影場所だと言われたような記憶がある訳です。
たぶん役者は嵐寛寿郎の頃であろうかと思うんですが定かではありませぬ。
と、言う事で記憶の片隅には相当昔の東照宮や中禅寺湖が浮かぶのであります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/62/a391f392da515a126e0ec4788555aa0b.jpg)
私らしく裏から入ってみました
いや、意図して裏から入った訳ではないのですが車を止めた所がソーだった訳でして、結果的に脇道から入った次第であります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/d6/1e5653956566c4e61276e04436eb16cf.jpg)
それらしい雰囲気になって来ました
後で表側を歩いたんですがそちらの風景は記憶に無かった訳です。
が、裏から行って五重塔前の広場に出る道は通った記憶があったのであります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b6/42a954b142505d96878422dd58bd3db0.jpg)
五重塔よりも小学生の多さに驚きました
いや、いやいやいや、少し前の私なら修学旅行か遠足の子供の大群を目の当たりにして踵を返した筈であります。
が、好々爺の心境に近づいた私は子供らの大群を見て微笑んじまった次第であります。
おお、沢山の子供らが日本の歴史を学んでいるな。
コレで日本の未来も安泰である、と、思いつつ、自分もその仲間に入るべく入場券売り場に行った次第であります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/4b/0fdcdfe584b0393e25aff3cae3af5726.jpg)
宝物館とのセット券は2100円でした
セットと見るとお得であると脊髄反射してしまって買ったのが東照宮と宝物館の両方のチケットでありました。
がぁ~・・・単品で買ったら、東照宮が1300円で、宝物館が800円であります。
なぁ~んにも得してないと気がついたのは随分後の事でありました。
そして、ここに宝物館の写真が一枚も無いのは内部が撮影禁止だったからでは無く、自分にはあんまし魅力的ではなかったから、でありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/46/892334e750c2aa6c231403527061aa93.jpg)
左から2番目がかの有名な三猿です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/9c/a12b8e82ca83bcb8d1a5d4ec1f57382c.jpg)
神社の雰囲気として厳かでは無かった
ナント申しましょうか、日光東照宮は殊の外「華美」であると自分は感じるのであります。
華美=過美と言ったら家康さんとそのご子息が怒りますかね?
でも、何処かに成金趣味と言いますか、なんか違うんだよなぁ~と思えてしまう私は美的感覚が狂っているのかもしれませぬが・・・ハッキリ言って嫌いです。
いや、歴史的建造物としての価値は認めますよ、もちろん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/a1/0fac61a647b62aaefeaeb4729d1f07f2.jpg)
「日暮らしの門」とも言うらしい
私が子供の頃は陽明門と言うよりも日暮らしの門と言っていた記憶があります。
それは、陽明門を見た参拝者が余の美しさに見とれてしまい気がつけば日暮れが迫っていた、なんて事が語られていたのでありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/63/862d9aeededef2ccfd71432b284f6b0b.jpg)
修復なった「陽明門」です
修復したんだそうであります。
とてもキレイと言いますか、色彩が鮮明でして、金ピカも鮮やかでありました。
でもね、歴史的建造物が持つ詫びや錆びが少しも感じられず、何処かで見た感じだよなぁ~で思い出したのが、タイヤミャンマーの金ピカ寺院でありました。
まっ、新品だったらこんな感じなんでありましょう・・・だから これでいいのだぁ~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/67/6046bf1833a18918955bacafdc7e60c7.jpg)
伊達政宗が贈った南蛮鉄の灯籠
伊達政宗らしい贈り物であります。
南蛮渡来の鉄で灯籠を作って贈ったんだと高札に書かれておりました。
いや、下の石の台座は紀州だったか別の殿様の贈り物だそうですけど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/d1/94c040605a47c32e1c16e463bc45bb88.jpg)
華美で無い色と造形が好ましかった
奥宮へ行く道でありましたか?
ナンであれ、華やかな日光東照宮の造作の中にあって自分が唯一威厳と言いますか、大袈裟に言えば日本的であるなと感じたのがこの風景でありました。
と、言う事で、ハッキリ言って権力と金が造った造形にはろくな物が無いなと言ういつもの感想が此処にもあった訳であります。
アレです・・・根が貧乏人ですから華やかすぎるものは性に合わないと言いますか、侘び寂びの無い風景は苦手なんであります。