どこまでいっても段取りは狂う
なんだかなぁーとつぶやいて、私は頭を抱え込んでいた。
いつまでたっても進まない現場で、「来月には完成パーティーだぞ」そんな声を何度聞いた事か。
11月22日現在、まだまだ住める状態には程遠いのだった。
確かに、雨が多かった。
雨天休業が多くて遅れたと言うのは認める。
大工のエリックがバスケットボールの試合で怪我をして数日仕事が出来なかったのも認める。
壁塗り専門のブッチョクのお父さんが交通事故で入院してしばらく仕事に出られなかったのも、これも致し方ないとする。
屋根やのなんとかが「どうしたこうした」と言うに至っては、ああそう、へぇーとしか言い様が無くなってしまったがここで怒ってはいけないのだ。
私はある衝撃的な事実を数日前に知らされたばかりだった。
衝撃的事実とは、うちの現場の手間賃が安いために他に手間の高い現場があると、ここは放っておいてアルバイトに出かけているのである。
これを聞かされた時にはもう何も言う気が無くなってしまった。
最後の望みを託した言葉として「クリスマスパーティーはここの家でやりたいよね」と控えめに、弱気に言うのが精一杯だったのだ。
もう材料を買う事も無いと思って安心していた私の脳天をジェフリーの一言が直撃した。
窓を作らないといけないが、鉄の格子と網戸で安く上げようか?と聞いて来たのである。
私は、ここまで、あれ程材料にこだわってきたお前がこの後に及んでそんな事を言うのか、と怒りを隠せなかった。
場合によっては、いや、居間だけは完成と同時にエアコンを入れる予定であった。
吹き抜けの鉄格子をはめた窓など許せるはずが無かった。
私は早速アルミ屋に行ってサッシ窓の見積もりを作ってもらうと言い切った。
私を怒らせて追い込んでその気にさせようとするジェフリーの策略に引っ掛かってしまったと気付くのにさして時間は掛からなかった。
しかし、もう後の祭りだった。
今さら、この期に及んで私に退路は無いのであります。
まず、サッシ屋の若い者が現場に来て寸法を計って店に戻り、それを元に店の主人が見積もりを作ってきた。
電卓を叩きながらサッシ屋は色々と話し掛けるのだが、地元民向けのビサヤ語は聞き取れず、私は黙り込むしかなかった。
サッシ屋のおやじは20%引きを強調しているらしいのだが、もともと相場が分からないのだからどうでもよかった。
そして提示された値段は、6箇所の網戸付きの窓と、ドア3枚分の網戸の総額が57000ペソだった。
またもや手痛い出費が待っていたのだ。
またもや手痛い出費が待っていたのだ。
しかし、狂う段取りと嵩む出費もヤマ場は超したと思うのだが、一体全体総額が幾らになったのか、分からなくなっていた。
暑さのせいでぼーっとしている頭は、それを真剣に考えるのが重たい作業になってしまっている。
嗚呼、恐るべし熱帯の風。
脳みそがとろけるみなみ風でありました。
コンクリートだけの家では無かった。
作業は細かい部分の仕上げと天井の造作に移った所でたくさんの木材が登場した。
以前私は、フィリピンの家はコンクリートブロックでできていて、大工も左官屋の仕事が多いように見えると書いた。
しかし、屋根の造作を見ると、どうしてどうして、フィリピンの大工も芸が細かい事を見せつけられた。
鉄骨で組まれた屋根の骨組みにジェミリーナの木を組んで、そこに合板を張って行くのだが、合板の合わせ目もノコギリの跡をカンナで削って仕上げてから張り付けるのだった。
これがピタリとはまるのは言うまでも無いのだが、削リ代まで計算された寸法が驚きだった。
大工仕事は素人の私だから驚く事で、心得のある人には何でも無い事なのかも知れないが、とにかく私はエリックの腕前に感激した。
バスケットの試合で捻挫して休んでいたエリック
11月24日のフェスタも大きなお祭りだが、やはりメインはクリスマスと年越しだ。
しかし彼らはブタの丸焼きが喰えれば理由は何でも良いのだ。
御馳走のたくさん有るパーティーに呼ばれ、飲んで喰って唄って踊って騒いで、酔いつぶれればそれで良いのだ。
そんな彼らがはたしてクリスマスと一緒に新築祝いを済ませてしまいそうな時期に完成させるだろうか。
彼らはお祭り騒ぎが一回減ってしまう事に気付かない程間抜けでは無い。
そして、華僑の風習の真似らしい、日本のお年玉やボーナスに当るような習慣も有るようだから年越しまで仕事を引きずる気配は濃厚だが、はたしてどうなることやら。
・・・では、また。
ではまた。
(2003年 11月に書きました)
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