じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

 金閣寺と比叡山

2021-04-28 14:05:43 | 日々の雑感
いよいよ京都最後のお寺であります。
本当は大徳寺も行きたかったのですが時間の都合で延暦寺を取ったわけであります。

が、これがこの度の中でも最大の失敗なんですが、事の顛末は金閣寺の後で。

仁和寺、龍安寺、金閣寺は一本道で龍安寺からはすぐであります。

お城の大手門みたい

いや、さすが天下に名高い金閣寺でありまして、駐車場から総門に向かうところでなんとも言えない威厳に圧倒された次第であります。

良い感じの回遊路

開放感のある砂利道をずんずんと行き右手に曲がって少し行くと大概の人は息を呑むわけであります。

まずは遠目の金閣です

いや、魂消ました。
本当に金ピカなんですもの。
ベタな表現ですが目に入った瞬間は言葉も無く、正に息を呑むわけであります。

カレンダーなどの金閣はこれですか?

金閣は鹿苑寺という臨済宗のお寺でありまして銀閣の慈照寺と同じ相国寺派でありますが、金閣の持つ煌びやかさに目を奪われるからか禅寺の雰囲気は感じなかったのであります。

ついでに言うと池泉回遊式の庭も見事なんですが金閣の印象があまりに強く霞んでしまうと思うわけです。

裏から見た金閣

金閣寺のパンフレットを見ても歴史的な文化財の紹介は少なく、金閣一点張りが伺えるわけであります。

そんなわけで、有名な金閣寺を見たと言う事で満足し、次の目的地、比叡山・延暦寺へ向かった次第であります。

金閣寺から延暦寺への距離は20キロで時間は45分とナビが言うんですが、延暦寺参拝の後は滋賀県は彦根市まで下道で琵琶湖湖畔を行く予定なので道間違いや遠回りは許されないのであります。

さて、国道367号線で京都市内を抜けると道はだんだんと登りに入りそこそこ本格的な山道になってきたわけです。

そっかぁ、比叡山って山だもんなとワィンディングロードを楽しみつつ登ると料金所が現れたではありませんか。
へっ?参拝に行くのに有料道路ですかぃ? と、一瞬ケチな根性が顔を出したんですが恐らく二度と来ないであろう道なので、んじゃ行くか、と乗り込んだ次第であります。

結果から先に申し述べると京都側から登って滋賀県側に降りて1680円でありましたが、その分駐車場が無料なのが微妙な計らいであります。

やーや、ここも広いんだなぁ〜と

実は、延暦寺を訪れたのは勿論信心から、なんて事では無く自分の探求している穴太衆の石組みを探して、なのであります。

しかし、この方面に手掛かりがあると聞き込んでやって来たんですが場所は延暦寺では無く琵琶湖湖畔に近い坂本という地だったのであります。
が、まぁ、来ちまったものは仕方がないという事で参拝させていただきました。

石垣は良いんだが並ぶ看板がなぁ〜

いや、駐車場から歩き始めてすぐ石組みは見られてのですが、比叡山で修行して偉くなったお坊さんの紹介看板がずらっと並び景観的にはイマイチと自分は思うわけです。

おっ、なんかやってる!!!

で、石組みは諦め延暦寺を楽しもうと進んで行くと大講堂で紫の衣を着た僧侶が数人ごにょごにょやっているのが見えたわけです。

なんかの宗教的行事かと思い見ていたら、どこかの企業が賽銭箱を寄進してそれの除幕式のようでありました。

国宝 根本中堂は改修中

いや、テレビや雑誌で延暦寺の名前だけはとても良く知っているんですが実態は分からないで来たわけです。
で、自分はなんと無く奈良や京都の寺院を描いていたわけですが、ここはなんだか異質でありました。

まず、この寺の金看板であろう根本中堂が大規模な改修工事で面影さえつかめないのが掴み所を無くす原因と思うんですが信心があれば心の目で見えるのでありましょうか。

そーですか、これは屋根ですか、と

はっきり言いますとかなり強い商売っ気を感じる霊場であると自分は思いましたが、多分それは勘違いで信仰心の厚い人たちは有り難く参拝しているんだろうと思います。

なんと申しましょうか、比叡山といえば山を千日間歩いて修行する千日回峰行が有名と思いますが、たぶんここは修行僧の場であって物見遊山に行くべき場所ではないと思うのであります。
そんなわけで、修行の邪魔になるのでもう来ません、なんちゃって。

さて、自分とは相性の良くない延暦寺は短時間で切り上げましたがそれでも陽はそろそろ傾いているわけです。
延暦寺から彦根駅前までは67キロ、1時間30分と出ておりまして、なんとか日没前に着きそうであります。

あれです、彦根には名神高速で行けば多少は速いのですが道は琵琶湖から遠く湖は見えないのであります。
なので今回、時間は掛かっても湖畔を通るルートを冥土の土産に通りたかったのであります。

とりあえず国道161号に出て琵琶湖の西側を少し走りました。
すると琵琶湖大橋の看板が見えまして、橋マニアでもある自分はETCゲートをくぐり狂喜しつつ通行料100円の琵琶湖大橋を渡ったのでありました。

で、近江八幡市からは県道に入り、対岸の見えない琵琶湖の大きさに度肝を抜かれつつ、時折渋滞にはまりながらも彦根到着は予定ピッタシの5時半でありました。

 明日は最終日 彦根城
 そして、怒涛の760キロ一気走りの帰宅

   つづく







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京都 龍安寺

2021-04-28 12:32:05 | 日々の雑感
龍安寺と書いて りょうあんじ であります。
このお寺も教科書に載っていまして石庭と蹲(つくばい)で有名であります。

と、いうことで自分のお目当も石庭なんですが、毎度の如く下調べは無く行き当たりばったりの拝観であります。

説明は英語がメインか?

あれです、京都のお寺は何処もとんでもない敷地の広さでしたが龍安寺も然りで、なんと境内は15万坪だそうであります。

15万坪ですかぁ、あぁそーですか、権力の象徴だったんでしょうね、と反権力志向の自分は僻み根性の一つも懐きそうですが、違います。

私ゃこの度の京都の寺巡りで文化財に対する認識を改めたのであります。
以前の自分は時の権力者が権勢を誇示するのに造ったと思しき神社仏閣を嫌っていたんですが今は違います。

当時の民百姓から巻き上げた銭で建立されたのは痛い処ですが、しかし権力者が財力に物を言わせて無駄に巨大な塔や建物を造らなければ日本の文化もなかったのである、なんて事に気がついたわけであります。

鞍馬天狗が出てきそうですが

龍安寺垣

いや、石庭が夙に有名な龍安寺ですが樹の手入れや垣根にも見るべきものは多いのであります。

石庭のある方丈へ

なんと申しましょうか、仏教は好きですが特別な宗派に思い入れがあるわけでも無い自分は各宗派の違いなど全く知らないんですが、何故かピリッとしたものを感じると禅宗の寺で、大概は臨済宗なのであります。
それはたぶん臨済宗の寺のご本尊が釈迦如来であることと無関係とは思えないのでありますが、まっ、いいでしょう。

教科書通りの石庭

龍安寺は売り物が一点集中の石庭だからか大した数の参拝者でも無いのにここだけ人が多いわけです。
で、本格的なカメラを持った人は拝観者の影の入らない画角を狙い、また人がいなくなるのを待っているわけですが、自分に言わせるとあんたがそこに座り続けたら俺だって撮れないから譲らないよ、と言いたくなるんですが、そこは大人の判断でして適当なところからのパチクリで我慢した次第であります。

こっち端からの石庭

石庭には意味ありげな石が15個配されているわけですがどー眺めても配置の意味は読み解けないものでありました。



いや、この庭は不思議だと散々言われているわけで、どんな解説を読んでも解釈は謎で見たものの自由となっているのであります。

しかも、何がしたくてこの創りなんだ、というのが庭を囲う油土の壁でして、奥に向かって妙に下がって見えるわけです。
これを美というのを許せない自分は、不愉快にさせる作りである、と思った次第であります。

で、これは文字では無い禅問答であると気がついたのは石庭から目を離して常識的な庭を見た時でありました。
ああ、そーいうことか、と私ゃ笑いがこみ上げたんですが、意外と簡単な公案だと思った次第であります、なんちゃって。
いや、答えは恥ずかしいので内緒です。


鏡容池 懸崖の紅葉

池に下がる懸崖の紅葉が水に映る様は美しいの一言であります。
重く無く軽く無く透かされた紅葉から見える枝の動きの妙には言葉もありませんでした。

  と、いうことで次は「金閣寺」です。

    つづく



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 京都 仁和寺

2021-04-28 09:36:13 | 旅と感想
銀閣寺の庭に圧倒され次に向かったのが仁和寺でありました。
地図で見ると仁和寺は銀閣寺から京都市内を真西に横切る感じで行くようで有ります。

私ゃ田舎者なので都市部の道を走るのは苦手でしてやや構えて走っていたわけですが、昨日から京都市内を走り回り気づいたのことがありました。
京都の道は縦横に整然としていて嫌味が無くとても走りやすいのであります。
都市部の道で緊張するのは広い道の右折なんですが碁盤の目になっている京都は、なんなら全部左折でも簡単に行けるんであります。
と、言うことで自分の京都に対する意識は大きく変わったのであります。

銀閣寺から仁和寺までの道すがらにも聞いたことの有りそうなお寺がたくさんありましてどこも魅力的なんですが、自分の勘では残された時間は迫っていたので大所、有名どころで基本を抑えることにした次第であります。

仁和寺は広大な敷地に大きな駐車場を併設し車やバイクで行くには好都合でありました、が・・・バイクと四輪車の料金が一緒というのは気になりましたが、まっ、いいでしょう。

御殿へ

仁和寺は真言宗のお寺なんですが随所に菊の御紋があるのに驚きつつ白い砂利の山道を進みました。
で、最初に見えたのが御殿でありまして高貴なお方のお住まいだったんだろうなと、なんの知識も持たずに拝観した次第であります。

へぇ これも台杉なんだろうなと吃驚

なんと申しましょうか、植木屋の修行中(下働き?)は何かにつけ京都の話が出たわけであります。
しかし、私ゃ実物に触れたことが無いので親方の話も話半分か六掛け程度と思っていたわけですが、この度いくつかの庭を拝見して東北の田舎とは次元が違いすぎると痛感した次第で有ります。

これは歴史と権力の成した技でして見事な庭と時の権力者は一対と感じるわけで有ります。
その時代に都であった奈良や京都周辺でこの手の文化が花開いたのは必然でして、決して民度の差では無いと思いたいんですが、長い年月培われた素養の落差は如何ともし難く、田舎の植木屋見習いは唯々頭を下げるばかりでありました。

何も言うことはありません

さて、御殿を拝観しつつ諸々の説明を読むと、御殿は明治以後の再建と言うことで、そう聞いてしまうと有り難さを割り引いてしまうのが自分の悪い癖でありましょう。

五重塔が見えると無条件で撮ります

シロートに毛の生えた程度のお前が言うんじゃ無い、と叱られそうですが、寺の樹木の全てに手が入っていた銀閣寺の後だからか、少し手入れが荒い部分が見える、なんてことを思ったんですが、じゃぁお前やってみろと言われても怖くて手は出せませんが。

五重塔で見つけた彫り物

仁和寺と東寺の五重塔は高さなどは違いますが仕掛けが一緒と言いますか、江戸期の塔として形その他が似ていると思いました。
まっ、どちらも真言宗なので塔の内部の曼荼羅なども一緒らしいのでそー言うことだと思います。
ちなみに東寺と仁和寺の塔はどちらも徳川家光の建立で時も全く一緒の兄弟なのであります。

いや、気になったのは仁和寺の塔の軒下に隠れていた白い彫り物の正体でありますがネットを頼りに調べて見ましたが情報は無く行き詰まりました。

五重塔が、天気は下り坂だぞと言いました

あれです、御殿と五重塔のある中門の内側は別料金でして入場券には「御室花まつり」となっているわけであります。
しかし、名勝 御室桜と謳われた桜並木は見事な葉桜のトンネルでして、これで桜祭りの券を売るのか、と思いましたが、まっ、いいでしょう。

で、五重塔を見上げると太陽が傘を被ってまして、ああいよいよ天気は崩れるのかと思った次第であります。
それと共に気になるのが大阪や京都に出されそうな緊急事態宣言でして、そろそろ潮時かと思ったのでありました。

仁和寺には御室会館と称する宿坊があり、そこでは精進料理も供されているわけです。
ちょうど昼飯時なのでお寺さんの本格的精進料理を味わうのも一興と思い「梵」という食堂に入り、精進料理のカツカレーを食したわけであります。
いや、これが本当に大豆のカツかと疑いたくなる味でして、唐辛子の効いたカレーはとても美味いものでありました。

あれです、仁和寺の感想としては随所で見受ける販売促進の姿勢が強く少し俗っぽ過ぎるとは思いましたが、流石に世界文化遺産でありまして見て損は無いと思います、なんちゃって。

  次は龍安寺であります。

   づづく
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 京都 銀閣寺

2021-04-27 16:27:19 | 日々の雑感
東寺から徒歩で京都駅に行きバイクを駐輪場から引き出し向かうは「銀閣寺」であります。

紙の地図で確認すると本日回る予定の寺で銀閣寺だけが左京区で離れているのであります。
ならば最初にやっつけておこうという魂胆で向かったんですが、同じ道を何度も通っている感じがしたのは私の錯覚では無く昨日建仁寺に行くのに通っている道なのでありました。

閑散としていた銀閣寺への参道

一説によると観光客の入らない銀閣寺を撮るなど至難の技、と聞いていたわけですが参道に人の気配がないわけで、これもコロナかと思いつつ登って行きました。




大きくは無いが端正な総門

恐らくコロナでなければ外国人も含め大勢の観光客で混雑するであろう銀閣・慈照寺は山門まで来ても静かでありました。

入りと出の仕切りが平時の混雑を思わせる

総門と呼ばれる門をくぐった自分はまずは石積みの上の竹垣に目を見張りました。
なんと、石垣の上に丈の短い建仁寺垣が組まれているではありませんか。
これは・・・これが銀閣寺垣か、と美しさに見入るとともに、一切中を伺え無い仕掛けに驚いた次第であります。

この松不思議に見えませんか

で、中門で木戸銭を支払い一歩足を踏み入れた途端、左手に見えた松に私ゃ腰を抜かしました。

私とても植木屋の端くれ・・・いや、見習いの端くれではありますがこんな不思議な松は有り得ないと思ったわけであります。
しかし、後ろから人が来たのでどー考えても分からないまま先へ進んだ次第であります。

教科書通りの庭

いや、参りました。
自分のような半端者にはとても手の出せない緻密で精密な仕立ての庭で有ります。
全てが計算され繊細の極みとばかりに調和している様は過去のどの庭にも無いものでありました。

あれです、桜の盛りや紅葉では色に惑わされかえって見え難いかも知れない繊細さなのかと思いましたが他の時期を知らないのでなんとも、であります。

銀沙灘と向月台と銀閣 

銀閣寺を訪れる前の自分は写真の向月台を見て、なんだこりゃ、と思っていたわけです。
しかし、銀沙灘の向こうに向月代を置かずには銀閣の姿が浮かばないことを知り只々唸るばかりでありました。

なんという美意識で有りましょうか、銀閣だけを見に来るのも有りとしみじみ思った眺めであります。

足利義政のセンスに脱帽

この寺の樹木で手の入っていないものは恐らく皆無と自分は思いました。
さりげなく透かされた樹は幹や枝を自然に見せるんですがそれが絶妙なのでありまして、ここを日がな一日眺めていようかと真剣に思ったほどで有りました。

いや、回遊式になった庭園を歩くとそこかしこに手の入った跡が見られるわけで、苔や樹の根元などにも目を奪われるのであります。

さて、中門を入ってすぐ左手の五葉松ですが、どう見ても幹がひねってあるのです。
私ゃ自然木でこんなものは見たことが無くどーにも不思議で中門で入場券を売っている係りの人に尋ねてしまいました。
するとやっぱり、であります。
五葉松の元は義政公が盆栽で育てたものを地植えにしたのだそうで有ります。

いやぁ〜尋ねて良かった、であります。

  次は 仁和寺・瀧安寺・金閣寺・延暦寺

   つづく
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京都 東寺

2021-04-27 14:52:35 | 旅と感想
 4月23日 金曜日 天気晴れ

京都の朝、自分の目覚めは頭が少し重い感じで始まりました。
その理由には心当たりがあります。

昨夜ホテルの近くを散歩しようと外に出たんですが洒落た飲み屋があるでも無く無闇に歩いて迷子になるのも嫌なのでコンビニで酒とつまみを買って部屋に戻り呑んだわけであります。
が、少し度を越していたようで頭が重いのは通称二日酔いというものだと思うのであります。

さて、8時ちょうど、ヘルメットとバックと革ジャンを抱え、クーポンも駆使して一泊朝食付き3000円のホテルを出て「東寺」へ向かったわけです。

遠くからでも威厳を感じました

東寺はホテルの前の道を東へまっすぐ徒歩8分と近くでありますが、何分にも抱える荷物が重く朝から高い気温と相まって南大門に着いた時には汗だくでありました。

南大門 あっ、この門は昔見た記憶が、と

南大門の前に立った自分は、あぁここには随分前に来ているなと感じました。
その頃、抹香臭いものに興味のなかった自分は何も感ずる事なく少し境内を歩き立ち去ったわけであります。

しかし、ジジイとなった自分は何れ仏様のお世話になる年頃なわけで、ならば少しはお近づきになっておこうと参拝させて頂いた次第であります。

金堂 ずっと眺めていたかった

やはり宗派によって匂いが違うと言いますか寺の雰囲気は全く違うと思うんですが東寺はこの度回った寺社仏閣の中で一番重い空気を持っていました。

へっ、凡夫がほざくなと言われると黙るしか無いんですが東寺はどこを歩いても仏様を感じるとでも申しましょうか、まずなんであれ空気感が重いのであります。

深山幽谷さえ感じました

なんと申しましょうか、今回の京都の寺巡りの目的は庭を見る事なんですが東寺のそれは自分の小賢しい知識で語れる範疇のものでは無く次元が違うものだと思った次第であります。

いや、庭師の腕とか造りとか、そういう話の入り込めない仏性とでも申しますか、なんだか寺の石一つでも仏を感じてしまうのでありました、なんちゃって。

どーしても五重の塔を入れてしまいます

あれです、庭の手入れという視点で見たら一級品ではありますがそれほど驚くものではないのであります。
しかし、塔や御堂との調和で見ると溜息しか出ないのでありますが、惚れ込みすぎですかね?

東寺の本当の価値は建物や庭だけで無く所蔵品の数々なわけでありますが、自分は仏像オンチでしてどれもが同じに見えるので今回は遠慮した次第であります。

と、いう事で、宿から近かったという理由で訪れた東寺は私の心に深く刻まれたわけですが、我が家地方にも随分とゆかりの深い弘法様お住いの寺だったんですね。

  次は 銀閣寺 

    つづく








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