腎臓がんの告知
「親父、これは、がんやで」
医師の息子からそう告げられたのは6月末のこと。初めて行った人間ドックで、腎臓に異常が見つかったのです。
「そんなばかな……」
目の前が真っ暗になりました。
学生時代からスポーツ好きで、社会人になってからも野球にラグビー、ゴルフなど、仕事に遊びに全力投球だった私。健康優良児が自分の代名詞だと思うほど、健康と体力には自信がありました。
(どうして自分が! 仕事のこと、家庭のこと、妻のこと……まだまだやり残していることがたくさんあるのに!)
憤りと絶望感、さらに突きつけられた死の恐怖。ショックと混乱で、私は、一緒にいた妻に「ゴメンな……」とつぶやくのが精一杯でした。
薄れてゆく恐怖感
病院からの帰り道、私の足は、以前から学んでいた幸福の科学の支部に向かっていました。信頼を寄せている支部長に話を聞いてもらいたいと思ったのです。
がんであることを打ち明けると、支部長は親身になって聞いてくれました。
「Kさん。人間は、生まれてくる時に、自分の使命を決めてくるといいます。今回の病気は、もしかすると、それを考えてみるチャンスなんじゃないでしょうか」
思わずハッとしました。人生に目的と使命があることは仏法真理で学んでいました。しかし、自分の使命について考えたことはありませんでした。
私は、仏の前で心を見つめたいと思い、御本尊の前に座りました。
(自分は何を約束してきたのだろうか……。俺の人生、このままでいいのか――)
しばらく考えていると、がんを告知されて千々に乱れていた心が、だんだんと落ち着いてくるのを感じました。まるで仏に抱きかかえられているような安心感が心に広がり、涙がとめどもなくあふれてきました。すると不思議なことですが、がんや死に対する恐怖心が薄れていったのです。
それから、支部長の勧めで東京正心館の「強力病気平癒祈願」を受けました。
告知から2週間後、私は、穏やかな気持ちで手術にのぞみました。腎臓を片方摘出し、手術は成功。7月下旬に退院して、月末には夫婦二人で、東京正心館にお礼の参拝に伺いました。術後、間もないので、まだゆっくり、ゆっくりとしか動かせない足。しかし、その一歩、一歩を踏み出せることが喜びでした。
見えてきた心の間違い
体調が落ち着いてくると、これまでの人生を振り返ってみました。 予防医学やバイオテクノロジーの研究に必要な試薬や機器等を扱う会社の営業マンとしてがむしゃらに働き、他人に弱みを見せないようにしてきました。
同期よりも早く成果をあげ、営業本部や生産本部を統括するようになると、さらに仕事において完璧を求め、同僚や部下にも厳しい要求をしてきました。
書籍『復活の法』を読んだときには驚きました。がんのもとになる病念は、他人に対する怒りなどの攻撃的な感情や自己処罰の観念にあると書いてあります。まるで自分のために用意された言葉だと感じました。
さらに、自己処罰の観念が強いと、自分を不幸にするだけでなく、他の人も巻き込むことになると書かれていました。
「俺は自分だけでなく、周りの人をも苦しめる生き方をしてきたのか――」
自分のために生きるのはやめよう
書籍『超・絶対健康法』の中で、大川隆法先生はこうおっしゃっていました。
「病気は、反省と感謝を教える修行の場でもあります」
大川隆法先生の言葉が胸にガツンときました。反省と感謝は、自分に最も足りないものでした。
会社の同僚をはじめ、いろいろな方に育まれて今の自分があるのに、会社を支えているのは自分の力だと過信し、感謝することもなく、なんと傲慢に生きてきたことか――。
(仏に助けられた命だ。自分のために生きるのはやめよう。周りの方々へお返しがしたい)
がんになって、初めて素直な自分になれた気がしました。
それから経営幹部として厳しい目は持ちつつも、さまざまな意見を受け入れる心の余裕や寛容さが出てきました。これまでの個々の能力による実績重視のスタイルから、学習会などで成功のノウハウを共有させ、チームワークの強い組織を目指すスタイルに改善しています。
人生の意味を見つけて
現在、定期的に検診を受けていますが、今のところ、がん再発の心配はありません。
がんをきっかけに、私は考え方や物の見方が大きく変わりました。
世の中の役に立つ人間となり、会社を発展させ、豊かさを通して、社会に貢献していくという使命に目覚めることができました。仏や支部長、幸福の科学の仲間や多くの同僚・友人たちに、本当に感謝しています。
いま与えられている仕事を通じて、多くの方に幸福を広げていけるよう、これからもお返しの人生を歩んでいきたいと思います。