元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

消費増税、大賛成の黒田総裁“公約”果たされぬまま3年 息切れ「2%上昇」程遠く。経済音痴が明白

2016-04-29 19:57:35 | 日記

消費増税、大賛成の黒田総裁“公約”果たされぬまま3年 息切れ「2%上昇」程遠く。安倍さんと同じで経済がわかっていないのは明白。

SankeiBiz 日銀の黒田東彦総裁が「異次元の金融緩和」と呼ばれる大規模な金融緩和策を実施して4日で、3年が経過した。

2%の物価上昇率目標を掲げ、「2年程度の期間を念頭に、できるだけ早期に実現する」とした黒田総裁の“公約”は、果たされぬままだ。安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」の先陣を切った“黒田バズーカ”だが、日本経済が一進一退となる中、次の一手を見いだせないでいる。

 異次元緩和が始まったのは2013年4月4日。世の中に流れるお金の量を倍増させる大胆な緩和手法に、過度な円高は急速に是正された。その後も黒田日銀は約1年半おきに追加緩和を行い、デフレ脱却に腐心。黒田バズーカの効果は、失業率の低下や3年連続でのベースアップ実現にも一定の役割を果たした。

 「日銀は常に経済・金融を取り巻く環境変化を捉え、新しい手段を執りながら、中央銀行の基本的役割を果たしてきている」

 1日の日銀入行式で、黒田総裁は前例のない政策を続ける意義を説いた。

 ただ、2%の物価上昇率目標は達成が程遠く、肝心のデフレ脱却はまだ道半ばだ。2月の全国消費者物価指数は前年同月比0.0%。足を引っ張るのは消費税率8%への引き上げ後の消費の落ち込みや原油安、新興国経済の失速だ。

 デフレ経済への逆戻りを防ごうと日銀は2月、マイナス金利の導入に踏み切った。企業向けの貸し出しや住宅ローンの金利は大幅に低下したが、「地銀は預貸金収益の比率が大きく、利ざやの低下の影響は大きい」(全国地方銀行協会の寺沢辰麿会長)など、金融機関からは反発も出ている。

 それでも黒田総裁は「必要に応じて躊躇(ちゅうちょ)なく追加緩和を行う」と強気だ。だが国際的には、金融政策頼みの景気回復の限界論が共通認識になりつつある。

 マイナス金利導入後、国債利回りがマイナス圏に入り、政府が財政出動しやすくなっているという面もある。消費税再増税の延期論も出る中、財政規律が緩めば、金融政策の「出口」はさらに遠のきかねない。

 東短リサーチの加藤出(いずる)チーフエコノミストは「いくらでも国債を発行できるという妙な安心感が政府サイドに生まれ、日銀に対する追加緩和圧力は減っている」と指摘する。黒田総裁にとっては「黒田バズーカ4」への手探りと政府からの圧力低下の狭間で、悩ましい日が続きそうだ。


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大川隆法 「決断すべきとき」

2016-04-29 19:53:39 | 日記

決断すべきときに決断し、行動すべきときに行動することができない人は、

人生の多くの宝を失っているように私は思います。

 

なぜなら、あまりにも考え深すぎることで決断が遅れ、

人生の成功を逃すこともあるからです。

『幸福の原点』P.172

 

※幸福の科学出版
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=143&utm_source=wordsJpn&utm_medium=email

※Amazon
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4876883602/hsmail-22/


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被災地の「幽霊」卒論・タクシードライバーが接した幽霊「私は死んだのですか?」

2016-04-29 19:41:30 | 日記
BuzzFeed Japan タクシードライバーが接した幽霊

ある学生が書いた卒業論文が話題になっている。「呼び覚まされる霊性の震災学」(新曜社)に収録された「死者たちが通う街 タクシードライバーの幽霊現象」だ。

東北学院大の工藤優花さんが宮城県石巻市のタクシー運転手が実際にあった幽霊について聞き取り、まとめたものだ。
 津波被災地で幽霊をのせたタクシー運転手がいる。そこだけが切り取られ、「幽霊はいる」「非科学的なもので、論文とはいえない」といった声がネットにあふれた。

卒論を指導した社会学者の金菱清教授は、苦笑混じりに語る。

「幽霊をみることもよりも、幽霊現象を通して死生観、『死者』との向き合い方を考察することがこの論文の主題なのに」

金菱さんはフィールドワークを専門とする社会学者だ。

大学進学を決めた1995年に、阪神淡路大震災を経験している。その時、疑問を抱いたのは目線の位置だった。崩れ落ちる高速道路、被害があった神戸市内。強調されたのは上からの映像だ。

「伝えられる映像の多くは、上空からみる鳥瞰図目線になっていて、そこにいる人の目線が抜けている」。復興も同じだ。常に地図上の科学的なシミュレーションがベースになり、鳥瞰図から一見、合理的な計画が打ち出される。
「大事な人を亡くす、行方不明になる。それだけでなく、街そのものが変わったという喪失感がある。復興を考えるなら、現場に住む人が持っている人間観、死生観、感情から考えないといけない」

死者や喪失と人はどう向き合うのか。学生たちと東日本大震災の被災地を歩き、インタビューを重ね、調査を続けている。
幽霊現象はまさに、被災地域の死生観が象徴的に現れている事例だと考えている。
「生きている人と死者の中間に、行方不明に象徴される『あいまいな死』があります」

「当事者のあいだでも、生と死はきれいにわかれていない。遺体が見つからないため、死への実感がわかず、わりきれない思いを持っている人の気持ちとどう向き合うのか。幽霊現象から問われているのは慰霊の問題であり、置き去りにされた人々の感情の問題なのです」

「おじちゃん、ありがとう」少女はすっと姿を消した

工藤さんがタクシー運転手の体験を聞き取った石巻市では、津波などによる死者は3277人、行方不明者は428人に達している。

論文から、証言を抜粋してみる。

震災で娘を亡くしたタクシー運転手(56歳)は石巻駅周辺で客を待っていた。震災があった3月11日から数ヶ月たった初夏、ある日の深夜だった。ファー付きのコートを着た30代くらいの女性が乗車してきた。目的を尋ねると、女性はこう言った。

「南浜まで」
「あそこはもうほとんど更地ですけど構いませんか。コートは暑くないですか?」
「私は死んだのですか?」

女性は震えた声で応えた。運転手がミラーから後部座席を見たところ、誰もいなかった。

「『東日本大震災でたくさんの人が亡くなったじゃない? この世に未練がある人だっていて当然だもの。(中略)今はもう恐怖心なんてものはないね。また同じように季節外れの冬服を着た人がタクシーを待っていることがあっても乗せるし、普通のお客さんと同じ扱いをするよ』。ドライバーは微笑んで言った」

別の運転手(49歳)は小学生くらいの女の子を乗せた、と証言している。2013年の夏、時間は深夜だった。コート、マフラー、ブーツを着た少女がひとりで立っていた。不審に思いながらも「ひとりぼっちなの」と話す少女。家の場所を答えたので、そこまで連れて行き、手をとって少女を降ろした。

「おじちゃん、ありがとう」

そう話した少女は、すっと姿を消した。

運転手は「『お父さんとお母さんに会いにきたんだろうな~って思っている。私だけの秘密だよ』。その表情はどこか悲しげで、でもそれでいて、確かに嬉しそうだった」。

幽霊現象に遭遇した各タクシー会社の記録では、無賃乗車があった扱いになるという。客を確かに乗せたが、代金は支払われなかったという扱いだ。

被災地で幽霊の話を聞くのは決して、珍しいことではない。取材をするなか、私も思い返したことがある。石巻市内の居酒屋で聞いたこんな話だ。もうすぐ、震災1年を迎えようという時期だった。

この店を切り盛りする50代女性は、震災後、店を休み、炊き出しなどボランティア活動をしていた。見慣れた街の様子は一変していた。遺体を前に泣き崩れる遺族、そして行方が分からない家族を連日探す人々を何度も見たという。

「ご遺体が見つからないんだよ。あんなに悲しいことはないよ」
「だからなのかね…」。私1人になった店内で、女性は私のコップにビールを注ぎながら、こう口を開いた。
「言いにくいことだけどね、会いにくるのよ。見つけてほしって」
「誰がです?」
「亡くなった人が」
これも震災の年、ある夏の日だったという。車で津波被害が甚大だった地区を走っていたところ、コート姿の女性が立っていた。
「なんで、この季節にコート?」

驚いて通り過ぎたあと、すぐにサイドミラーで確認したが、誰も立っていなかった。
この女性も、楽しい思い出話を語るように微笑みながら話していた。

被災者は問う「人は死んだら終わりですか?」

工藤さんの調査と共通しているのは、恐怖感がないことだ。単なる怪奇現象ではなく、自分たちが出会った相手への敬意がある。

工藤さんは、タクシー運転手への聞き取りを重ねる中で、こんな経験をした。
「私が『幽霊』というと、そんな風に言うなと怒る方がいました。きっと、『幽霊』という言葉に興味本位だと思われる響きがあったからでしょう。怪奇現象とか、心霊写真とか恐怖を楽しむような言葉だと思われてしまった。『亡くなられた方』とか『(亡くなった方の)魂』というと、お話してもらえました」

運転手から、こう問われたこともある。

「きみは大事な人を亡くしたことがあるかい? 人は亡くなると、眠っているように見えるんだ。あのとき、こうすれば良かったと後悔する。亡くなっても、会いに来てくれたら嬉しいんじゃないかな」

彼らは「幽霊」の存在に理解を示し、温かい気持ちで受け入れている。そこにあるのは死者に対する畏敬の念だと工藤さんは考えている。

金菱さんは、東日本大震災を特徴づけているのは「『あいまいな死』が多いこと」であり、「地震から津波到達まで時間があったため、『もっと自分がこうしていれば、助かったのではないか』という後悔の念が強く起きること」だと指摘する。

「あいまいな死」は、生きている人にとっては、本人が死んだのかどうか明確にはわからない。「本当に私の大切な人は死んでしまったのか」と問い続け、死を受け入れられない。

そして、「あのとき、電話をしておけば…」「もっと声をかければよかった」と自分を責め続けることになる。仮に葬儀をしたとしても、その気持ちはおさまえることはない。

運転手らの言葉には「あいまいな死」とどう向き合うか、そのヒントが詰まっている。彼らは「あいまいな死者」の存在を肯定し、人々の無念さにすっと寄り添っている。

「大事なのは、幽霊現象があるかないかという問題ではない。体験した人が『死を受けいれられない』という声に寄り添い、その存在を肯定していること。中間領域を消さずに、丸ごと肯定し、死者に対して敬意を払っていることが大事だ」と金菱さんは話す。

ニュースや記録を通じ、私たちは死者や行方不明者を数字としてまとめてみてしまうことが多い。しかし、そこには一人一人の死があり、それぞれの家族や地域の感情がある。死も一様ではない。

自分たちの死生観にもとづいて、生と死をきっぱりわけることは、中間領域の存在を否定することであり、あらゆる死と向き合ってきた当事者の感情を否定することにつながってくるのではないか、と問う。

金菱さんは新刊「震災学入門」(ちくま新書)の中で、子供を亡くした被災者が、生前に子供が使っていた机に刻んだ言葉を紹介している。

「街の復興はとても大切なことです。でも沢山の人達の命がここにある事を忘れないでほしい。死んだら終わりですか?」

金菱さんは言う。

「この問いにどう応えるでしょうか?被災地の人々が多様な死者へ払っている敬意から私たちはもっと学ばないといけない。死者の思いを受け止めない慰霊は、誰の感情に寄り添っているのか。もっと被災者の視点から問われないといけないのです」


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大震災から5年、被災地で「幽霊」目撃談が絶えない。不成仏霊、あの世に行けない霊です

2016-04-29 19:40:49 | 日記

急に死んだので、自分が死んだことがわからない、または、生前にあの世が無いと思っていて、あの世に行けない霊、それともこの世に執着が強く、あの世に行けない霊です。生きているうちに、正しい真理を知ることが必要です。大川隆法の本を読めば、真理がわかります。

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J-CASTニュース 東日本大震災から間もなく5年を迎えるが、被災地の人たちは、今も「死の重み」に向かい続けている。各地で亡くなった人の幽霊を見たという目撃談も絶えない。

そうした中、東北学院大の女子学生(22)が卒論で「震災霊」現象を取り上げたことが、ネットで大きな話題になっている。

大学生が卒論で「震災霊」取り上げる

朝日新聞の2016年1月20日付記事によると、この女子学生は、所属する社会学ゼミの仲間と「震災による死」をテーマにフィールドワークを重ねた。特に、幽霊の目撃談に興味を持ち、宮城県石巻市のタクシー運転手に絞って100人以上にインタビューを試みた。

うち7人から体験談を引き出せたといい、ある50代の運転手は、震災後の初夏に不思議なことがあったと打ち明けた。季節外れのコート姿の女性客が、石巻駅近くで乗り込んだが、震災で更地になった場所に行くよう告げた。運転手が聞き返すと、女性は「私は死んだのですか」と声を震わせたといい、振り向いたときにはすでに誰も座っていなかったというのだ。

また、40代の運転手は、夏なのに厚手のコートを着た若い男性客を乗せた。行き先を聞くと、山の名前しか言わず、到着するともう姿は見えなかったという。津波で身内を亡くしたある運転手は、幽霊が出たとしても「また乗せるよ」と言っていた。

これらの乗車はメーター記録に残されているといい、「幽霊は無賃乗車扱いになり、運転手が代金を弁償する」と記事では紹介している。ゼミ生らの卒論は、「呼び覚まされる霊性の震災学」の本として新曜社から20日に出版された。

幽霊の目撃談については、震災後から被災地で相次いでいる。

朝日新聞の12年11月19日付記事によると、被災者の悩みを聞くボランティア活動をしている僧侶は、被災者からの幽霊目撃談をいくつも聞いたと明かした。勤め先の関係者を津波で亡くしたある男性からは、「車で通ると、なにか黒いものが見えて、ゾクッと寒気がする」と相談を受け、親族を同様に津波で亡くした10代の少女は、「おじさんがソファに座っている」と打ち明けたという。

13年8月23日には、NHKスペシャルも「亡き人との再会」という特集を組んだ。被災地では、「故人と再会した」「声を聞いた」「気配を感じた」といった体験を語る人が後を絶たないとし、医学界でも、こうした数多くの事例報告を受けて、専門家による調査も始まったと紹介した。番組では、被災者らの体験は、「故人に一目会いたい」「死を受け入れたくない」「自分だけ生き残って申し訳ない」といった悲しみの現れであると指摘していた。

放送後は、「NHKがオカルト的なものを扱っていいのか」とネット上で疑問の声も出たが、被災地で「震災霊」現象の体験談が多いのは事実のようだ。


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「何があっても大丈夫!」逆境をバネに

2016-04-29 19:39:04 | 日記


小学5年で自宅に引きこもり、自殺を考える日々

父と母が昔から幸福の科学の会員でした。
私も幼い頃に入会していましたが、当時は信じていませんでした。「こうあるべき」という気持ちが自分を縛っている感じがして嫌だったのです。

それでもいい子ぶって育ってきたので、何も文句を言わずにいました。しかし小学5年生の時、転校した先でのいじめもあり、突然何かがプッチンと切れて不登校になりました。

それから3、4年間ずっと自宅に引きこもり、誰もいない夜しか外出しませんでした。

だれがみても「かわいそう」と思うような姿だと思っていたので、人に見られるのが嫌だったのです。太陽も嫌いで、日が出ているときには活動することができませんでした。

毎日「どうやって死のうか」「窓から飛び降りたらどうなるんだろう」「壁に何回手をぶつけたら骨は砕けるんだろう」などとくだらないことばかり考え、リストカットをしたりもしました。

インターナショナルスクールで変われた!

そんな生活が、中学1年生が終わる頃まで続きました。

「このつらい人生がいつまでも続いたら、どうなるんだろう。
勉強もできないし、人とも話せないし、このままいったら、苦痛でしかないんじゃないか」と思いました。

だから自殺も考えていたのですが、「こんな人生嫌だ、やっぱり変わりたい」と思ったのです。でも、どうすれば変われるのかもわからずにいました。

そんな時、母に「沖縄に幸福の科学の会員さんが経営しているインターナショナルスクールがあるから、そこに行ってみる?」と言われたのです。

私は「これしかチャンスはない」と思い、その2週間後には沖縄に旅立ちました。最初は泣きながら毎日両親に電話して「私、こんな状況もう無理」と話していましたが、徐々に変わっていきました。

「自分ってこうやって話せるようになるんだ!」とか「一人でモノが買えた!」とか、一つ一つできるようになることが本当に嬉しかったです。その頃から、両親にも感謝ができるようになりました。

不登校児支援スクール「ネバー・マインド」

その後、家の事情で、また東京に戻りました。

私の変貌ぶりを見て、「あんた、そんなんだったっけ!?」と驚く周りの声に「私変われちゃったんだよね。電車も一人で乗れるよ」と笑って答えていました。

それから、母に幸福の科学の書籍『太陽の法』を薦められ、読み始めました。 初めは少し難しかったのですが、「こういうことか!」と思うところもあり、幸福の科学の支部に足を運んだりもするようになりました。

沖縄に行く前から、幸福の科学の不登校児支援スクール「ネバー・マインド」に所属はしていましたが、「私のことを受け止めきれないだろう。友達にもなってくれないだろう」と思い、行くのを拒んでいました。

しかし、その後偶然が重なり、ネバー・マインドの合宿に参加することになったのです。中学3年生の時でした。

その時、「ふつうの友達と法友(幸福の科学の仲間)はこんなに違うのか!」とびっくりして、そこから「勉強したいな」と強く思うようになりました。

「みんなは、どんなことを思っているんだろう」とか「どういうふうにしてここまで来たんだろう」という事がとても気になり、聞いたり話したりする中で、「悩んでいるのは一人じゃなくてみんな同じだけど、考え方とかが一人ひとり違うんだな」ということもわかり、自然と友達ができるようになりました。

父が植物人間に……

そんな矢先、昨年1月、私の父が突然、扁桃腺が腫れて息ができなくなり、緊急で病院に運ばれました。

針を刺して膿を出そうとしたけれどうまくいかず、ほとんど息が通らなくなっているにも関わらず、1時間も点滴をされてしまいました。

「もう復帰はできない。100%もとには戻らない」と言われ、しばらく立ち直れませんでした。

「どうして最後の夜にそっけなくしてしまったんだろう」と、とても後悔しました。その3、4時間後に父と話せなくなるなんて考えもしませんでした。

また、病院の処置次第では助かったかもしれない、と思うと悔しくて、どうしても憎む心が抜けませんでした。

それでも、担当医の方も一生懸命やってくださっているので、感謝もあります。なかなか整理がつくものではありませんが、「仕方がない。あきらめよう。受け入れる」と思った時から、またすべてが変わり始めました。

父は、最初はICUに2、3ヶ月入り、「いつ死んでもおかしくない」と言われていましたが、もう1年間も生きています。
それ自体が奇跡ですし、「もう自分で呼吸することはできない。全部機械です」と言われましたが、今は自発で全部呼吸しています。

「お父さんはこの地上に使命がある!」と強く思い、回復を心から願っています。

将来は海外で働きたい!

私は、母がずっと英語教室を経営していることもあり、昔から海外の人と交流するのが当たり前の環境で育ちました。
そのため、高校に進学するよりも「海外に行きたい!」と思うようになっていました。

「チケット代だけは稼ぐ!」とアルバイトをしながらお金を貯めていましたが、父のこともあり、しばらく海外に行こうという気持ちからは遠ざかっていました。

でも、すべてを受け入れようと思った時から、「きっと父は、『自分が倒れたとしても、目指す道を歩んで欲しい』と思うだろう」「今ここで夢を諦めてしまったら終わりだ」と思うようになり、アメリカに行くことを決意し、昨年2ヶ月半の間、アメリカでホームステイをしました。

アメリカでは、「本当にあなたはできない」と言われ続け、落ち込むことのほうが多かったのですが、「やっぱりここ(海外)の世界にいたいな」と思いました。

私は今17歳ですが、将来は、海外で働いているイメージしかありません。

人々が幸せで、笑顔で、そして、そうすることで自分も幸せになって、笑顔になれるような仕事をしたいなって思っています。それがなんの仕事か今はわかりませんが、そのイメージを目標に、頑張っていきたいと思っています。

幸福の科学の教えがなければ、今頃ボロボロだった……

私は今が本当に幸せなんです。
生きているだけで幸せってこういうことなのかな、と思います。

すごく大変なことや、嫌なこともありますが、それで自分が成長できて、その分他人のことを理解できたり、他人のことを知れたりするのなら、自分にとっては幸せなことなんだなぁって思います。

やはり、父のことがあったから、「これ(ふつうの生活)が当たり前じゃない」と気づけました。本当に感謝です。

母にも本当に感謝しています。
私のことを理解してくれていて、私の気持ちがおさまるまで全部やらせてくれるんです。いい両親です。

昔はすべてから逃げていましたが、今はもう何があっても「大丈夫、私できる。いくしかない。逃げちゃいけない」と思えます。

私は「主エル・カンターレに愛されている」ということが分かったから、両親の愛も感じられるようになりました。
「主が私を愛するように、お母さんたちは私を愛してくれているんだな」って思えたんです。

だから私もここまで生きてこれたし、今も明るく過ごせるんだと思います。多分この幸福の科学の法(教え)がなければ、今頃私はボロボロです。普通だったら耐えられないのかなって、時々思ったりします。

不登校の時の心境を振り返って

小学5年生の当時を振り返ると、引きこもりになったのは、「自分が愛されている」っていう実感がなかったからだと思います。

日本人は「好き」とか愛情を表現しないので、伝わりにくいですよね。色々と教えられても、「本当に私のこと好きで言っているの?」と思ってしまっていました。

また、私の家族は兄が一人、弟が二人の四人兄弟だったので、兄弟が多い分、一人に回すエネルギーも少なくなってしまうのもあったと思います。

私は弱音も言わずに溜め込んでいくタイプで、いじめられたことも、母親に言いませんでした。
自分の感情を押し殺して、「いいよやるよ」と言ったり、甘えたくても、「いいよ、私じゃなくて、弟たちでしょ。私はひとりでも大丈夫」と言ったり、「つらい?」と聞かれても「全然つらくない」と答えたり。

ずっと、「自分のことを最初にやっちゃいけないって」と思っていたんです。でもそんな風に、全部偽りの自分で生きていったので、積み重ねが爆発した時に不登校になり、すべてが嫌になってしまったんです。

その頃は「自分は嫌われている」と思っていたので、「むしろ嫌われるような存在になってやろう」と思い、友達が来てくれていると聞いても「帰って」と言ったりしていました。

「そういうことをすると○○になるの、わかる?」と言われるのがとても嫌でした。「分かっているからこそ嫌なんでしょ!」っていう時って、誰しもありますよね。

静かにそっと見守り、普通に扱ってくれたりとかするのがすごく嬉しかったです。

「主エル・カンターレを愛している」それだけで幸せ

今では友達に「黙ってると怖い!」とか「ニコニコしていても怖い!」といじられるんです。でも、そんなことを言われるぐらい、自分の心をオープンにできるようになったから、こんなに幸せで楽しいのかな、と思います。

今も、落ち込んだりすることもあります。
「言わなきゃよかった」とか「言われちゃった」とか。

でもその時は泣いて、叫んで、その日だけです。
次の日は「昨日悩んでいた自分はどこにいったんだろう」ってバカバカしくなっちゃうんですよね。

私は、幸福の科学の経典が大好きです。
今は『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』を手帳に書き移しながら学んでいます。そこまで要領がよくないので、興味ある経典を何度も読んで、腑に落としたいと思っています。

伝道活動はまだできていませんが、いつか「なぜあなたは幸せなの?」と言われた瞬間に、「主エル・カンターレを信じているからです」って言える人間になりたいんです。

「主の教えを信じているんです。私は主を愛しています。
主に愛されているのも、すごくわかる気がするんです。
私は主を愛しているのです。それだけです」

そう言って伝道をしたいんです。そんな自分になるには未熟なので、頑張っていこうと思っています。


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あなたは、自分がどこから来て、どこに帰るのか。今、何の目的で生きているのか、疑問はありませんか?

2016-04-29 19:37:23 | 日記

わたしは高校生の時から、なぜ生きなければいけないのか、 何の目的で、生きるのか なぜ勉強しなければいけないのか 人間はどこから生まれ どこに帰るのかが、ずっと疑問でした。

この時に、理想と現実が、かけ離れていて、自己卑下がひどく、本当に死んで全てが終わるなら死にたいと思っていました。

高校生時代は本当に自殺しようと試みたり、東北に行こうと家出をしようとしましたが、上野駅で警察官につかまったり、また胃炎から膵炎になって入院したりと散々んな時でした。

 

私は一流大学にいって、一流会社に入ることが幸せなると小学生の時から教えられてきました。 みんなそれを信じていましたが、小学生の頃より、それウソだと思っていました。

ひどい高校生活でしたが、それとは違う価値観を言っている人は必ずいる、本が必ず出てと思い、毎週、神田の大きな書店に行って、本を探しました。

 

数多くのスピリチュアルの本を読みあさりましたが自分の疑問に答える本は、一切ありませんでした。

しかし、ようやく31歳の時に疑問に答えてくれて納得できる本と出会いました。 その本に出合うには14年間もかかり、約300冊以上の本を読んでいました。

その納得できた本の名は「太陽の法」「常勝思考」(幸福の科学出版 )など、大川隆法氏の著作でした。

「自分がどこから来て、どこに帰るのか。今、何の目的で生きているのか」を簡単にズバリと教えてくれるのは、

大川先生の本以外はありません。著作は2000冊突破しました。

私と同じ疑問のある人はおすすめします。


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国連報告者 慰安婦の教科書記述削除を批判。 歴史の見直しは首相からだ!

2016-04-29 19:36:31 | 日記

 国連報告者 慰安婦の教科書記述削除を批判 歴史の見直しは首相から
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11261

国連の特別報告者を務め、米カリフォルニア大学教授でもあるデービット・ケイ氏(画像は同大学HPより)。

国連人権理事会のデービッド・ケイ氏がこのほど開いた、来日時の会見で、日本政府のメディア規制について発言したことは、本欄でも伝えた。
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11211 )

今回は、同じ会見で、慰安婦問題に触れた点について紹介したい。

ケイ氏は、日本の歴史教科書から慰安婦問題の記述が削除されつつあることを指摘し、日本政府が介入して政治圧力をかけているのではないか、などと述べた。

これは、安倍政権の歴史認識が、教科書検定の審査に影響したという見方を示したもので、ケイ氏は「政府の圧力は慰安婦のような重要問題の議論にも悪影響を及ぼしている」と指摘。「政府の介入で教科書が第二次世界大戦の犯罪の実情を扱わないことは、国民の知る権利と過去のことを把握し理解する能力に悪影響を及ぼす」などとした。(4月20日付産経新聞)

ケイ氏は、教科書から慰安婦問題の記述が削除されたことに対し、政府の介入と批判している。それは、「慰安婦は強制連行された」「性奴隷として扱われた」ということを前提にしているからだろう。

だが、そもそも、その前提が間違っている。「強制連行」「性奴隷」は、つくり上げられた嘘である。


◎悪いのは、問題を曖昧にしてきた日本政府

ただ、アメリカ人のケイ氏が誤解するのも仕方がない面もある。

昨年12月末、慰安婦問題に関する日韓合意が結ばれ、日本政府は、韓国政府が設立する元慰安婦を支援するための財団に、10億円の資金を拠出することに決めた。

当時、海外メディアも「日本政府は、女性の性奴隷化に軍が関与していたことを認めた」(The Guardian紙)、「岸田外相は記者団に対し、『日本は1993年の河野談話を始め、これまで何度も戦時中の性奴隷に関する責任を認めて謝罪して来た』と語った」(BBC Web版)など、明らかに、「日本政府が慰安婦の強制連行を認めた」と報じている。

こうした誤解を与える原因は、やはり、問題の本質を論じず、曖昧にし続けてきた日本政府にあると言っていい。たとえ、ケイ氏の指摘が、誤解に基づくものでなく、意図的だとしても、明確な反論ができない状況を、日本政府は自ら打開すべきだ。


◎やはり、「河野談話」の撤回が必要

安倍晋三首相は、昨年8月の「安倍談話」で、事実上、慰安婦の強制連行を認めた「河野談話」、侵略戦争であることを認めた「村山談話」を踏襲し、戦後の自虐史観を引き継いだ。

こんな状態のままでは、ケイ氏が、間違った情報を国連人権理事会に報告しても、日本側は反論できない。

結局、首相が公の場で、明確に「そんな事実はなかった」「河野談話を撤回する」と表明しない限り、この問題は永遠に批判され続けるだろう。歴史の見直しは、まず首相からだ。(貴)

【関連記事】
2015年12月29日付本欄 歴史を20年後退させた慰安婦問題の日韓合意 安倍首相は真実の前に謙虚であれ
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10703

2016年2月17日付本欄 日本が国連で「慰安婦強制連行説」否定 政府に先んじて主張した釈氏ら保守系の人々
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10922

2016年3月7日付本欄・慰安婦問題が終わらない理由はここに 国連の実態を幸福実現党の釈量子氏が報告
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11029


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人間の幸福、不幸は「波長同通」の法則で決まる!その人自身の思いが重要

2016-04-29 19:35:45 | 日記

毎日、テレビのニュースを見ていると必ずと言っていいほど殺人事件が報道されている。その中で理由がよくわからない殺人があります。

なぜ、逮捕されて自分が破滅する殺人を犯してしまうのか、たいへん愚かに見え、理解できませんが、これは「波長同通の法則」によるものです。

犯人は逮捕後に「よく覚えていない」とよく言います。

そんなこと、あるわけない。全て覚えているはず。犯人がウソを言っている。と誰もが思います。

しかし、犯人が言っていることは本当です。犯行時の記憶がほとんど無いのです。

これは、本人が何かに操られていたことを示しています。

ある人に強い殺意をいだくと、その見えない何かを「波長同通」「類は友を呼ぶ」で呼んでしまい、とりつかれてしまいます。

すると、その思いを増幅させられ、さらに強い殺意となり、最初は思いだけだったのに、エスカレートして、実行しようと思うようになります。

その実行しようという思いがだんだんとさらに強くなり、実行したら、破滅して人生がめちゃくちゃになってしまうなど、自分の将来の事を推測する冷静さが無くなってしまい、殺人のことしか思わなくなり、ついには実行してしまいます。

この頃になると、自分で考え、判断しているつもりが、とりついた何かに完全にコントロールされています。つまり「ボディジャック」状態です。

しかし、逮捕されると、その何かがいなくなり、我にかえると実行してた時のことはよく覚えていない、となります。

この見えなく何か、というと日本人は死んだら終わりと考えている人が大半なので、信じないかもしれませんが、悪霊です。

この悪霊に憑依(ボディ・ジャック)されるとその人間が強く思っている欲望、憎しみ、怒りが助長され、その思いがどんどん大きくなり、実際に事件を起こして、破滅させられます。

悪霊に憑依されると必ず不幸になります。悪霊は地獄にいますので、人間を自分と同じように地獄に引きずり込みたいのです。自分と同じように破滅させ、不幸にしたいのです。

この心理は、我々、人間も心のどこかにあるものです。

ニュースを見ていると、苦労してなった公務員、学校の先生、警官などが、盗撮などのような事をして逮捕され、子供がいるのに職を失う愚かな事件が多くありますが、これらも悪霊にボディ・ジャックされたと思います。

このように仕事ができ、周囲から立派な人間と思われている人でも、ちょとした性的な悪い思いをいだき始めると、その悪い思いに同通した悪霊がとりついてきて、やがて事件を起こして逮捕され、破滅させられます。性的なこと以外でも、殺人事件、横領、なども全く同じです。

つい魔がさしてバカなことをしてしまった」という言葉をよく聞きますが、悪霊の憑依のことです。

気をつけないと、誰にでも起こることです。

これを防ぐには悪霊と波長同通してしまう思いをいだかないことです。

人間なので悪い思いを持つこともありますが、危ないと思い、それ以上は思わない、ストップすることです。

逆に、人の為になろう、世の中を良くしようなど、良い思いを出し続けていれば、天国にいる良い霊・が応援してくれるようになります。

すると良い事が起きたり、奇跡を体験したり幸福になります。

悪魔や地獄霊が憑依している人間光の天使がインスピレーションを与えている人間

では不幸、幸福が大きく分かれてしまいます。

つまり、幸福、不幸はその人自身の思いによって決まるのです。







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大川隆法「日本は世界のリーダーになることを放棄しているのではないか」

2016-04-29 19:35:22 | 日記

「阪神・淡路大震災辺りから始まって、東日本大震災、熊本と来ていますが、

どうやら日本の20年から25年の経済停滞は、天上界から見て、

良しとされていない。


この国はもう一段、力強く発展して、

世界のリーダーになるべき立場にあるのに、

それを放棄しているのではないかということに対して、

不満がおありになるんじゃないかなと、私は思います」



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大川隆法「創造の芽、発展の芽を見つけよう」 

2016-04-29 19:33:12 | 日記

みなさんが持っている悩みのなかには、

解決がつかないものも、おそらくあるでしょうが、

実は、そのなかに無限の発展の可能性が宿されているのです。


失敗の多い人生を悔やむ必要はありません。

失敗のなかには、次の創造の芽、発展の芽が、必ず隠されているものです。



『幸福の法』P.54

※幸福の科学出版
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M309637&c=10209&d=203d

※Amazon
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M309638&c=10209&d=203d


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大川隆法「魂なかに、ある時は安らぎを、ある時は進化を求める」・・・・・・「ユートピア創造論」⑤

2016-04-29 19:31:55 | 日記

こうしたユートピア世界、個人としても幸福で、

社会全体しても幸福という世界を創造するための原動力を何に求めるべきでしょうか。


個人が幸福になりたいと思う理由の一つとして「魂のうずき」があります。

つまり、魂自信のなかに、ある時は安らぎを求め、ある時は進化を求める要素があるのです。

人間の魂は、はるか昔の記憶をかすかにもっているのです。


かつて、宇宙を作った根本仏(こんぽんぶつ)の生命体から、

個性を持つものとして分かれてきたときの記憶をーー。」


それは、何億年前、、何十億年前という、はるか昔の記憶です。

続くーー 

大川隆法「ユートピア創造論」より抜粋

大川隆法・幸福には、「私的幸福」と「公的幸福」がある。「ユートピア創造論」①

 http://blog.goo.ne.jp/1079sasa/e/7902b165466b933101b51695c0657f10 

大川隆法「消極的な幸福」と「動的な幸福」とは・「ユートピア創造論」②

http://blog.goo.ne.jp/1079sasa/e/1ed29f9ad3540be17d3b62e2ddb0144b

大川隆法「私的幸福」と「公的幸福」との関係とは・・・・・・「ユートピア創造論」③

http://blog.goo.ne.jp/1079sasa/e/f4d2237c58d8c30cfcd4af1bcdfcc055

大川隆法「私的幸福」と「公的幸福」を両立させる・・・・・・「ユートピア創造論」④

http://blog.goo.ne.jp/1079sasa/e/8530ed8c0142e63efac78dac2b1c344e








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マイナンバーカード、システム不具合で申請の3割しか配布されず

2016-04-29 16:32:47 | 日記

マイナンバーカード、システム不具合で申請の3割しか配布されず
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11268


(1) マイナンバーカード、システム不具合で申請の3割しか配布されず

システムに不具合が発生し、マイナンバーカードの配布が大幅に遅れていた。このシステムを運営する「地方公共団体情報システム機構」が不具合の原因を特定し、対応を終えたことを、28日付産経新聞が報じている。

政府は3月までに、1千万枚のマイナンバーカードを作成・配布する予定だった。実際、申請者も約1千万人いたが、今月25日までに申請者の元に届いたのは、約331万枚にとどまっている。

⇒そもそも、マイナンバーを導入する必要はない。行政にとって便利になるかもしれないが、それによって国家公務員を減らせる、予算が削減できる訳でもなさそうで、逆に、企業も政府もマイナンバーを導入するための費用や維持費がかさむ一方だ。

また、マイナンバーの導入によって、国民のあらゆる個人情報が把握されることになる。たどり着く先は、「大きな政府」、全体主義国家だ。マイナンバーの廃止がベストだが、仮にそれができなくても、これ以上、適用範囲を広めさせないために、国民が声を上げ続けることが重要だ。

【関連記事】
2016年5月号 ずっと監視されている!? 棺おけの中まで税金を取りに来るマイナンバー
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11108


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北朝鮮で36年ぶりの党大会

2016-04-29 16:30:46 | 日記

北朝鮮で36年ぶりの党大会

北朝鮮の朝鮮中央通信は27日、5月6日に朝鮮労働党大会が開かれることを報じた。党大会が開かれるのは、金日成主席政権以来、36年ぶり。

その狙いは、「金正恩政権の確立」を、内外に誇示することにある。各国は、国威発揚のため、金正恩氏が党大会に合わせて、核実験やミサイル発射を行うことを警戒している。

また、北朝鮮で2001年まで専属料理人を務めていた日本人男性が、4月中旬から下旬にかけて4年ぶりに北朝鮮を訪問し、金正恩第一書記に面会した。

その際、金氏は「戦争をするつもりはない。外交でアメリカに近づくと核の放棄などの無理難題を押しつけてくるが、我々は絶対に折れない。だからミサイルを発射している」と主張したという(4月27日付NHKニュースウェブ)。

⇒金氏はあくまで強気だ。今後も、ミサイル発射や核実験を進めていくだろう。「常軌を逸している」北朝鮮に対し、アメリカを中心とする主要国は、経済制裁にとどまらず、海上封鎖などを含めた軍事的な制裁を行うべきだ。

日本も、北朝鮮からミサイルや核兵器を撃ち込まれてからでは遅い。自国を守るために、核装備を検討しなければならない時期が来ている。この夏の参院選では、「本気で国を守る気概」を持つ政治家の声に耳を傾けたい。

【関連記事】
2016年4月26日付本欄 北朝鮮、SLBMの発射に成功 日本を守るのは誰か?
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11264


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日銀、マイナス金利を維持

2016-04-29 07:32:51 | 日記

 日銀、マイナス金利を維持

日本銀行は28日、金融政策決定会合で、2月に導入したマイナス金利政策を維持することを決定した。

だが、マイナス金利政策に対して、銀行からの反発は強い。コンコルディア・フィナンシャルグループの寺沢辰麿社長は、マイナス金利政策の影響で、業務純益が約9%減ると指摘した(28日付産経新聞)。

また、企業側も、新規資金を調達することは難しいようだ。3月中旬に行った東京商工リサーチのアンケートによると、現在より低金利で融資の打診を受けても、「調達しない」と答えたのが約47%(3222社)、「調達する」と答えたのが約22%(1484社)、「検討中」が約32%(2164社)だった。

⇒マイナス金利政策を実施しても、個人や民間企業がお金を借りて、それを投資などに使ってもらわなければ意味がない。今、日本経済が低迷している元凶は、消費増税と規制。

消費税の減税を行い、企業の経済活動を妨げる規制を緩和することの方が、景気回復に有効だ。

【関連記事】
2016年4月号 マイナス金利で生活は良くなる? - ニュースのミカタ 1
http://the-liberty.com/article.php?pageId=1&item_id=10978


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STAP細胞、「つくることに成功した」と若山教授が発言…共同研究者も「見た」と証言

2016-04-29 07:30:01 | 日記

Business Journal 

一連のSTAP細胞論文問題をめぐり2014年12月に理化学研究所を退職した小保方晴子氏がその体験を綴った手記『あの日』(講談社)が1月に出版され、STAP細胞は再び世間の注目を浴びることとなった。そして先月、小保方氏がSTAP細胞のプロトコル(作製手順)をHP上で公開し、STAP細胞は科学的議論の場に戻った。

 果たしてSTAP細胞は存在するのか、しないのか――。判断材料が少ないこともあり、その議論は尽きない。理研がSTAP細胞論文の不正を調査した「桂不正調査委員会」の調査報告書は、科学者の中でも細胞工学の専門家ではないと、どういう経緯で不正があり、STAP幹細胞とされていたものがES細胞だったと結論付けられたのか理解できない内容だ。

 調査報告書は「調査には限界がある」と最終的な判断を曖昧にしている。「STAP幹細胞だとされたものを解析すると、それはES細胞に由来していた」とし、「STAP細胞の実験成果物は誰かがES細胞を故意に混入した疑いがあるが誰が混入したか特定できない」という「懐疑論」に終始している。理研はこの不正調査に総額8360万円をかけており、そのうち弁護士への相談費用が2820万円で、検証実験の1740万円より上回っている。 

●「STAP細胞を3回見た」

 STAP細胞論文にはこの研究にかかわった科学者14人の名前が記載されており、そのうち小保方氏を含めた8人が主な実験や論文の執筆を担当している。論文には筆頭著者として小保方氏の名前があり、元理研CDB(旧発生・再生科学総合研究センター)副センター長の笹井芳樹氏、山梨大学教授の若山照彦氏、東京女子医大教授の大和雅之氏、元CDBで現在は熊本大学教授の丹羽仁史氏らが名前を連ねている。

 なかでも丹羽氏は2014年4月1日から行われたSTAP細胞を再現させる検証実験の責任者を務めており、理研が開催した同7日の記者会見でSTAP細胞実験の疑義について記者から「STAP細胞になるまでの実験を逐一見たか」という質問に対して「STAP細胞を3回見た」と答えている。以下がその会見の内容である。

記者「STAP細胞ができていく様子をご覧になったと応答されていたと思うが、(中略)STAP細胞になるまでの一連の経過というのを、たとえば小保方博士の横で実験を逐一くまなくご覧になっていたわけではなくて、あくまでビデオでつくられていく過程を検証したのみに過ぎないのか」

丹羽「ライブイメージを見た時点では、その部分です。その後、小保方さん自身がリンパ球採取からSTAP細胞までの一連の流れというのは、もちろん自分の目で確認しています」

記者「それは何回くらいか」

丹羽「何回ありましたかね、3回とかでしょうか。(論文への)プロトコル・エクスチェンジ を書くにあたって逐一手順を確認する必要がありましたので、そういう作業を行いました」

 さらに丹羽氏はこの会見で、STAP細胞がES細胞混入の結果なのかという質問に対し、「その仮説が真である確率は低いという位置付け。専門家からすると、そんな簡単な話ではない」と答えている。

 この会見のメディアの取り扱いについてマスコミ誤報検証・報道被害救済サイト「GOHOO」が「ES細胞混入説に反論する研究者の証言を毎日新聞は伝えない」として批判している。

 STAP細胞問題をまとめたノンフィクション『捏造の科学者』(文藝春秋)の著者でもある須田桃子記者は14年4月14日付毎日新聞朝刊で、丹羽氏の「小保方氏の横でSTAP細胞を3回見た」「ES細胞である確率は低い」とした回答を伝えず、「丹羽仁史プロジェクトリーダーが検証実験の実質責任者に就いた。だが、丹羽氏自らが作製に成功したことがないことを認めるなど、科学的証明がどこまでできるのか不透明だ」と解説。検証実験よりも残されたSTAP幹細胞の分析を優先しろ、と力説している。須田記者が、中身を調べることで真相のすべてがわかる、と最終結果を予見した解説をしているのは興味深い限りだ。

 このように「STAP細胞はES細胞ではない」とする科学者の証言は一部のメディアや識者によって巧妙に切り取られ、真相を知る手がかりには「目隠し」がかけられていたのがSTAP細胞問題の実態だ。こうして目隠しを外すと、「STAP細胞はES細胞だった」とする理研の結論はにわかに受け入れがたくなり、「STAP細胞問題は何も決着していないのではないか」という疑問が浮かぶ。

 さらに論文共著者のひとりで14年8月6日に亡くなった笹井氏も、14年4月16日の会見で「STAP現象を前提にしないと容易に説明できないデータがある」としてES細胞混入説を否定している。 

●論文の最終的責任者は誰か

 実はSTAP細胞論文は2種類あり、2つの論文が英科学誌「ネイチャー」に掲載された。ひとつは「アーティクル」で、これはSTAP細胞の作製方法を紹介したもの。これが小保方氏の実験担当部分だ。もうひとつは「レター」で、これはSTAP幹細胞の能力を証明したもの。これは若山氏が担当した実験部分だ。

 STAP細胞実験は実験パートが分かれており、小保方氏が若山氏の指導に下でマウスの細胞を刺激してSTAP細胞をつくり、若山博士がそれを改変して増殖能力を持たせた「幹細胞」にして、STAP細胞がさまざまな身体の器官に分化する万能性があることを証明した。いわば、STAP細胞実験は若山氏が小保方氏を指導しながら一緒に行われたのだ。そしてその努力の結晶が、「アーティクル」と「レター」だった。

 実は小保方氏は、この2つの論文の最終的な責任者ではない。小保方氏はSTAP細胞論文の「筆頭著者」で、論文にもっとも貢献したものが最初に名前を記載され「筆頭著者」になるが、最終的な責任者は共著者最後のラスト・オーサーになる。「アーティクル」のラスト・オーサーは米ハーバード大学病院「Brigham and Women's Hospital」の麻酔医を務めるチャールズ・バカンティ教授で、「レター」の責任者は若山氏だ。

 小保方氏の代理人である三木秀夫弁護士も、「レター論文は若山照彦・山梨大教授が責任著者で、若山教授がすべて実験し、その指導のもとで小保方氏がつくったものだ」と責任の所在を明らかにしている。

●若山氏「STAP細胞をつくった」

 若山氏はSTAP細胞実験について、アメリカの幹細胞生物学者、Dr.Knoepflerのインタビューに応じ、以下のとおり「STAP細胞をつくった」と話している。

「私が理研を去る前、私は脾臓からSTAP細胞をつくることに成功しました。でも一度だけです。その時は小保方博士がよく指導してくれました。海外の研究者がSTAP細胞の成功をメールで知らせてくれています。だから、私は一年以内に誰かがSTAP細胞の作製を発表するだろうと信じています」

 つまり「STAP細胞はあります、誰かがきっとつくります」と宣言していたのだ。

 若山氏は小保方氏がつくったSTAP細胞からSTAP幹細胞を多数作製したことも認め、実験が適正だという認識を持っていたようだ。以下は同インタビューでの若山氏の発言である。

「私はSTAPからSTAP幹細胞を複数回樹立しました。混入がそのたびに起こるなんてことは考えづらいです。さらに、私はSTAP幹細胞を129B6GFPマウスから樹立しました。その当時、我々はその系統のES細胞を持っていませんでした。私がSTAP幹細胞の樹立に成功した時、大元のSTAP細胞はOct4-GFPをよく発現していました」

「この状況ではSTAP幹細胞の樹立は胚盤胞からES細胞を樹立するより簡単なんです。さらに、包括的なmRNA発現データもSTAP幹細胞がES細胞でないことを示唆しています」

「私はそれぞれのステップを小保方博士に監督してもらった上で、100%自分の手で再現しました。ほぼ同様に、私の博士課程の学生もSTAP幹細胞の樹立に成功しています。これらの実験の初期段階では、我々はES細胞やiPS細胞を同時に培養していません。あとになって、対照群として時にES細胞を同時に培養していました」 

 ちなみに若山氏は14年4月14日付けの朝日新聞朝刊で、「STAP細胞株」を「少なくとも43株つくった」とその実験成果の数を答えている。しかしその2年後、「週刊新潮」(新潮社/16年4月14日号で、小保方氏の手記やHPについて「一切関わりを持たないようにしております」とSTAP細胞問題とはあくまでも「無関係」だとする姿勢を貫いている。

●一様にSTAP細胞の存在を認める発言

 小保方氏はSTAP細胞のプロトコルを公開したHP「STAP HOPE PAGE」で「STAPのアイデアは博士によって考案されたが、バカンティ博士、およびSTAP論文のためのすべての実用的な実験は、日本の理研CDBのDr.若山の研究室で行なわれ、予備的な研究が行なわれたハーバード大学にてバカンティ博士の研究室で生まれました」とSTAP細胞の実験結果は若山研究室の産物だったことを明かしている。

 小保方氏は14年4月9日の記者会見において「STAP細胞はあります」と主張し、それは一貫して変わっていない。その一方、周囲の研究者たちはSTAP細胞への認識が同一人物とは思われないほど激変している。STAP細胞の実験、その論文にかかわった科学者たちは問題発覚直後、「STAP細胞はES細胞ではない」と口を揃えてSTAPの存在を肯定していた。これは紛れもない事実だ。

 もし、STAP細胞が存在しないとすると、彼らは小保方氏に騙されて実験結果を誤認させられていたことになるが、「STAP細胞を3回見た」と証言した丹羽氏はES細胞研究25年のキャリアを持つ。小保方氏はSTAP細胞実験当時、博士になりたての科学者としては新人だった。STAP細胞事件を「すべて小保方氏が計略し、ねつ造した結果である」とする結論は、荒唐無稽で根拠が脆弱な「陰謀論」だ。

 改めてこうして関係者たちの言質を羅列すると、道理に合わず、まさに怪誕不経(かいたんふけい)だ。STAP細胞問題の混乱したのは小保方氏からではなく、科学者がなんらかの真相を隠蔽したり、サイエンスジャーナリストが事実を歪曲して伝えていることから発生している。つまり、理研が「STAP細胞はES細胞だった」と発表した「裏」には発表されていない事実が潜んでいる可能性が高いのだ。

 イギリスの偉大な文学者でノーベル文学賞を授与されたジョージ・バーナード・ショー(1950年11月2日没)はこんな格言を残している。

「When a thing is funny, search it carefully for a hidden truth.(何かがおかしい時は、真実が隠れていないか気をつけろ)」

 小保方氏はHP上で、ついにSTAP細胞の存在を明らかにした。次回はそれについて解説したい。
(文=上田眞実/ジャーナリスト)


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