元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

これぞ「THE・バラマキ」選挙直前に、高齢者へ3万円。税金による買収

2016-04-13 21:12:10 | 日記

これぞ「THE・バラマキ」

文/幸福実現党 千葉県本部 副代表 古川裕三

例のごとく、参院選を控え、首相の支持により、補正予算で3951億円もの予算が組まれ、そのうち3600億円以上が「年金生活者等支援臨時福祉給付金」なるものに割かれ、選挙直前の6月中に、高齢者へ3万円がばらまかれるそうです

その対象は1130万人。これを「税金による買収」と呼ばずして何でしょうか。ポピュリズムそのものです。

ちなみに今回の補正予算においては、「子育て世帯臨時給付金」は廃止されますので、出生率1.8を目指している首相の政策との整合性にも疑問が残るところです。

「若者や子育て世代は忙しくて選挙にも行けないだろうから、その代り、選挙直前に高齢者に現金を配ったら、投票率も高い、律儀な高齢者の皆さんは確実に票をお返ししてくれるだろう」という魂胆でしょう。

安倍総理も、命運が尽きたのでしょうか。自民党内部からも反発が出るほど露骨なバラマキ政策を主導するしかないのですから。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「目が見えなくても、人生に光を見つけた!!」

2016-04-13 20:50:54 | 日記

http://voicee.jp/201406199901


見えることのない目

私は、生まれた時から目が見えません。

生まれつき目に障害があって、右目にわずかな光を感じるだけで、左目は何も見えません。

出産当日、私は予定より2週間も遅れて生まれてきました。泣き声をあげず、体温も低い状態でしたが、医師からは「特に問題はありません」と言われたそうです。

しかし、4カ月が過ぎた頃。同じ時期に生まれた赤ちゃんと一緒に検診を受けた時、母は私の様子がおかしいことに気づきました。

よその子が、まわりの様子を見て瞳をキョロキョロさせるのに比べて、私の視線があまりにも無反応であったからです。

総合病院を紹介されて検査を受けると、「網膜形成不全」「小眼球」と診断されました。

「胎児の時に、へその緒が首や身体に巻きついて、圧迫されていたのが原因かもしれません」

医師はそう説明しましたが、はっきりした原因は分からないようでした。

ただ、一つだけ明らかなことがありました。それは私の目が見えるようになる可能性はほとんどないということでした。

バイオリン

4歳ぐらいになると、私は自分の状況が少しずつ分かってきました。

「ねぇ、お母さん。私ってなんで見えないの?」

何度も同じような質問をする私。自分の障害について、だんだん気にするようになっていきました。

ある日、母が言いました。

「Aちゃん、音楽が好きだよね。バイオリンをやってみない?」

母に勧められて、バイオリンのレッスンを受け始めることに。自分で自由に音が出せることがうれしくて、私は夢中になりました。そのせいか、目に対する不満を口にすることも少なくなりました。

そして、小学校に入学する時──。

私の状況からすれば、当然、盲学校に入学するところでした。

「Aちゃんが、ふつうの小学校に通いたいのなら、応援するよ」

「うん。みんなと同じがいい」

母は教育委員会と交渉して、地元の小学校で学べるようにしてくれました。

私は、週に2回、小学校に通い、残りの日は自宅で訪問教育を受けることになったのです。

現実の壁

私は、視覚障害に加えて、生まれた時から股関節がはずれている病気(先天性股関節脱臼)でもありました。治療して治りましたが、その後遺症で足が弱く、運動も苦手だったのです。

バイオリンのレッスン中にも、痛みで立っているのがつらくなり、その場に座り込んでしまうことがありました。

バイオリンは立って弾く楽器であり、レッスン中は1時間近くも立っていなければなりません。

「こんなんじゃ、とても続けられない」

途中であきらめざるを得ませんでした。

小学校のほうも、週2回では授業についていくのが困難でした。

結局、5年生からは盲学校に通うことになりました。

「なんで、みんなと同じようにできないの! こんなの嫌だよ!」

私は泣きながら母に訴えました。

「Aちゃんが見えるようになるなら、すぐにでも、お母さんの目をあげてもいいのに……」

母のすすり泣く声が聞こえてきました。余計に悲しくなって、大泣きする私……。

やがて、父が言いました。

「A、目が見えなくても、耳は聞こえるじゃないか。みんなと話だってできるじゃないか。お父さん、Aにはできることがたくさんあると思う。それを一緒に探してみようよ」

いつもやさしい父──。

幼い頃、私が「水車ってなあに?」と尋ねると、何日もかけて水車の模型を作って説明してくれたこともありました。

両親の気持ちが伝わってきて、もう一度、がんばってみようと思いました。ほどなくして、私は自宅を出て、盲学校の寮に入ることになりました。

心に響く教え

盲学校は、環境も整っていて、思っていた以上に生活のしやすいところでした。そのおかげで勉強にも集中でき、順調に学年を重ねていきました。

中学2年生の時のことです。夜、宿題をしていると、ふと誰かに話しかけられたような気がしました。

(あれ、誰だろう? お母さん?)

不思議に思った私は、実家に帰った時、そのことを母に伝えました。すると、母は少し驚いた様子で言いました。

「ちょうど、その日、その時間ぐらいに、お母さん、お祈りをしていたの。その思いが、Aちゃんに届いたのかもしれないね」

母は、最近、幸福の科学に入信したこと、そして『正心法語』という経典でお祈りをしていたことを教えてくれました。

私が、幸福の科学について興味を示すと、母は「仏陀再誕」という講演会のカセットテープを貸してくれました。さっそく、私は自分の部屋で聴いてみました。

「この世において、さまざまなる出会いが、あなた方を待っているであろう。しかし、真理との出会いは最も尊いものであり、人間として生まれて現成の仏陀の声を聴くは、奇蹟以外の何ものでもないことを知らねばならない」(『悟りの極致とは何か』第3章所収)

一言一言が、直接心に響いてくるようで、激しく心を揺さぶられました。

(……仏陀って、お釈迦様のこと? 再誕って、また生まれてきているということだよね?)

びっくりしましたが、その確信に満ちた力強い言葉に、「ほんとうに違いない」と思いました。胸のあたりが熱くなりました。こんなことは生まれて初めてのことでした。

語り明かした夜

「お母さん、これってすごい!」

テープを聴き終わると、私は興奮して真っ先に母のところに行きました。

次から次へと質問をあびせる私。

母は、人間が永遠の生命を持っていることや、魂修行のために何度も生まれ変わっていることなど、幸福の科学で学んでいることを教えてくれました。

「Aちゃん、“人生は一冊の問題集”なんだって。今回のAちゃんの人生は目が見えないという厳しい状況だけど……でも、それはAちゃんの魂が、大きく成長するために、仏が与えてくれた問題集だと思う」

母の言葉にはっとしました。

「……私、何不自由なく学校に通っている人たちと比べて、ずっと不公平だと思ってた。なんで私ばっかり、こんな苦労しないといけないのって……。でも、そうじゃないんだね。……よかった」

涙があふれました。

すっかり夜がふけていましたが、私はうれしくて眠る気になれず、母と一晩中語り合いました。

進学

高校生になってから、私も幸福の科学に入信しました。テープを聴いたり、母に仏法真理の書籍を読んでもらったりして少しずつ学びを深めていきました。

ある日、母が「ヘレン・ケラーの霊言」を読んでくれました。

「私はこちらの世界へ来て、目も見えますし、耳も聞こえます。口も利けます。本来、人間は自由です。ただ、三次元のなかにおいて、あのような厳しい環境に置かれたということです。ですから、私が世の人々に言いたいのは、『環境をよくするために奔走するよりも、環境のなかでみずからを輝かす、そのような努力をしていただきたい』ということです」(『大川隆法霊言全集第14巻』第4章所収)

私よりも重いハンディを背負いながら、多くの人々に生きる勇気と希望を与えたヘレン・ケラー。

その言葉は、まるで自分の苦しみをすべて分かってくれているようで、心に深くしみわたりました。

「私も輝いてみたい。私にできることっていったい何だろう?」

高校2年の3学期──。私は自分の願いを両親に伝えました。

「私、進学したい。そして福祉について学んでみたい」

同級生は、鍼灸や按摩などの資格を取って就職する人がほとんどでしたが、私は「もっと勉強したい」という気持ちが強くあったのです。両親は賛成してくれました。

しかし、現実の受験は厳しいものでした。現役では受からず、1年間、受験指導を行っている盲学校で勉強 。翌年は何とか地元の短大に合格することができました。

「私でも、やればできるんだ!」。苦労はしましたが、私にとって受験の経験は小さな自信になりました。

手足のしびれ

短大の寮に入って、学生生活を送るには、ある程度、一人で何でもできる必要がありました。

今の自分では無理かもしれないと感じた私は、いったん短大を休学して、生活訓練や歩行訓練を受けることにしました。

訓練のおかげで、視覚障害というハンディを負いながらも、何とかふつうの学生と一緒に学ぶことができるようになりました。

しかし、無理を重ねたせいかもしれません。その頃から、時々、体調を崩すことがありました。そのうえ、以前から感じていた右の手足のしびれがひどくなっていきました。

「いったい、どうしたんだろう……」。病院で検査をすると、軽い脳性麻痺であることが分かりました。

がんばろうとはするものの、思い通りにならない現実……。

その後、短大は卒業できましたが、体調が思わしくなく、進路を決めることができませんでした。これからどうすればいいのだろうと、不安な気持ちでいっぱいになりました。

ボランティア

「Aちゃん、一緒に支部に行こうよ」

短大卒業後、特にやることもなく、家のなかにこもりがちの私を心配して、母は幸福の科学の支部に誘ってくれました。

支部に行くと、みなさん、まるで家族のように親しくしてくれました。

法話のビデオを拝聴したり、お茶を飲みながら歓談したり──みなさんと触れ合ううちに暗い気持ちが晴れていくのを感じました。

私は、頻繁に支部に顔を出すようになりました。

「私も何か手伝いましょうか? 電話番ぐらいならできますので」

「それは助かります。ありがとう」

支部で簡単なボランティアをするようになった私。

地域の方々にお配りする布教誌にチラシを挟んだりもしました。

そんな私の姿を見ていた知り合いの方が話しかけてきました。

「Aちゃんも、一緒に配らない?」

「ちゃんとできるかな……」。思いがけない誘いにびっくりしましたが、母からも勧められて、参加してみることに。

最初は緊張しましたが、母や支部の方に助けられながら、一軒一軒心を込めてポスティングをすると、とてもさわやかな気持ちになりました。

(どんな人が読んでくれるかな? 喜んでくれるといいなあ)。想像するのが楽しくて、私は、布教誌の配布が大好きになりました。

私、愛されてる

支部でのボランティアや、布教誌の配布を通して、私は自分が明るく前向きになっていくのを感じました。

「人のために何かをすることって、とても気持ちがいいなあ」

幸福の科学で、「与える愛」の大切さについて学んでいましたが、そのことが少し実感できたような気がしました。

そんなある日、母と一緒に総本山・正心館に参拝しました。

「障害に負けず、人生を輝かせたい」

そんな願いを込めて、私は「起死回生の秘法」という特別な祈願を受けることにしたのです。

祈願室に足を一歩踏み入れると、何とも言えないあたたかい光に包まれるのを感じました。

目の前に大きな仏がおられるような気がしました。

──がんばるんだよ。

そう、仏がやさしく声をかけてくれた気がして、涙が止まりませんでした。

終了後、いつになく心がとても軽くなっているのを感じました。

「仏は、いつどんな時も見守ってくださっているんだ……。私って、仏からも、家族からも、幸福の科学のみなさんからも、ほんとうにたくさん愛されてる。いまの自分が生きていられるのは、その愛のおかげだ。それなのに、進路が決まらなくて、なんで自分ばっかりこんなに苦労しないといけないのって嘆いてた。もう、そんな思いを捨てよう。自分の人生としっかり向き合ってがんばってみよう」

感謝の気持ちに満たされながら、私は心に決めました。

希望への一歩

幸福の科学の支部や精舎のおかげで、私はやる気を取り戻していきました。その結果、体調もよくなり、地元の視覚障害者協会でボランティアを始めることができました。

そこでの私の仕事は、様々な原稿を読みあげること。視覚障害者向けに音声を録音する仕事です。

「Aさんの声は、とてもはっきりしていて、聞きやすいですね」

ある時、広報担当の責任者の方が話しかけてきました。

「──私は、中途失明してから、30年近くこの仕事をしてきたけど、後を継いでくれそうな人が出てきてよかったよ」

「ありがとうございます。私、がんばります」

期待されて、うれしくなりました。

その後、内容や編集も任されるようになり、私はますますやりがいを感じるようになりました。

さらに、思いがけないことが起きました。ある大学から、「非常勤講師をしてくれないか」と依頼されたのです。

内容は、福祉を学んでいる学生に点字を教えるというもの。

(私にできるかな……でも、こんなチャンスはめったにない。やってみよう)

私は、年に7回、学生たちに点字の読み書きなど、具体的な実践について教えるようになりました。自分が苦労して学んだことや体験したことを、人のために生かせることに喜びを感じています。

自分の人生と向き合い、努力することの喜び

私は、目が見えない現実に何度も押し潰されそうになりました。

しかし、仏法真理との出会いが、自分の人生と向き合い、努力することの喜びを教えてくれたのです。

いま私は、与えられた環境のなかで、自分にできることを精一杯やっていきたいと思っています。

暗く手探り状態だった私の人生に、希望の灯をともしてくれた仏に心から感謝します。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛情表現のうまくできない母親だった私が変われた!

2016-04-13 20:37:07 | 日記

http://voicee.jp/2015032010857

反抗期に入り言うことを聞かなくなった娘

私は今から12年前に長女のEを出産しました。母子ともども健康で、子育ては順調でした。

ところが、Eが2才の頃から反抗期が始まり、育児に悩まされるようになりました。

「公園行こうか」「イヤ!」

「お洋服着がえようね」「イヤ!」

Eは、私の言うことにはなんでも反対し、全く言うことを聞いてくれません。

そのうえ私が忙しい時に限って、「遊ぼう。マーマ。遊ぼうよー」と甘えてくるのです。

ちょうど2人目の妊娠の時期。大きなお腹で台所に立つ私を、何度もEがひっぱるので、つい大声で「今忙しいって言ってるでしょ!」と叱りつけてしまいます。

次女のMが生まれてからは、もっと大変になりました。生まれたばかりのMの世話をしながら、自己主張するEと向き合わなければなりません。自然と、声を荒げることが多くなっていきました。

子育てが大変になればなるほど、体力的にもきつくなります。でもそれ以上に、私は娘との間に何か“見えない壁”を感じ、苦しくて、どうすればいいのか分かりませんでした。

この頃の私は不幸感覚でいっぱいでした。

幼少期に受けた心の傷が子育てに影響していると気付いた

Eが3才になった年、私は主人が信仰していた幸福の科学に入会しました。幸福の科学の本を何冊か読んでみて、もっと勉強すれば自分も変われるかもしれないと思ったからです。

「親子は深い縁があり、それぞれの役割を変えながら、一緒に生まれ変わって魂修行をしている」という教えをはじめ、私はさまざまな仏法真理を学んでいきました。

そしてEが5才になった時、私は総本山・日光精舎の八正道研修に参加することになりました。

研修では、両親をはじめ縁のあった方との関係を見つめながら、自分の心を反省していきます。私には物心ついてからずっと、「自分は母に愛されなかった」という思いがどうしても消えずに残っていました。

私は、3人姉弟の真ん中でした。母から何かと気にかけられる姉と、常にかわいがられる弟。それに比べて、母に関心を持たれることもなく、いつも寂しかった私……。

幼い頃のことが、次々と思い出されました。

小学校の頃、母に褒めてもらいたくて85点のテストを見せると、「なんで100点じゃないのよ」と言われて傷ついたこと。成人してからも、母にサラッと言われた「あんたのことは、あまり愛してなかったわね」という言葉――。

私は精舎の講師に「昔のことを思い返すと辛くて、母には感謝できないんです」と打ち明けました。

講師からはこんな言葉が返ってきました。

「素直に、仏に抱きしめられてごらんなさい」

その時の私は、講師の言葉の意味が分かりませんでした。しかし、戸惑いを覚えながらも、「私の心の奥にある『母に愛されなかった』という思いが、私と娘たちとの間の“見えない壁”に関係しているのではないかと気づきはじめ、少しずつでも自分の心を変えていこうと決めました。

母と同じように娘に接してしまっていた私

それからは、些細なことにも感謝するように心がけ、また「娘たちを受け入れよう」と、自分に言い聞かせていきました。努力のかいもあり、娘たちとの関係は表面的には良くなっていったかのようでした。

しかし、Eが小学校3年生になったある日のことです。

学校から帰るなり、Eは嬉しそうに言いました。

「今日のテスト、いい点だったよ!」

「100点なの?」

「ううん。70点」

「なーんだ。70点か!」

思わず口を滑らせてしまいました。まずいと思った時には、もう手遅れ。

Eはうつむいて、「もう、ママには見せない」と、部屋を出て行ってしまいました。

私はがっくりしました。自分の子どもには、私と同じ気持ちを味わせたくないのに、振り返ってみれば、私は母と全く同じように娘たちに接していたのです。

「甘えさせるとか、愛情を伝えるとか、それが大事だと分かっている。でも、どうすればいいんだろう?」

私には、母の膝に乗せてもらった記憶がありません。姉や弟のように、自分から甘えることができませんでした。だからこそ、褒めたり、かわいがったり、スキンシップしたりと、自分が母にしてほしかったことを、誰よりも娘たちにしてあげたいと願い続けてきました。

なんとかして自分を変えなければと、私なりに努力を続けていました。しかし、「母に愛されなかった」という記憶と、「実の娘たちなのに、丸ごと受け入れることができない」という感覚は、なかなか消えなかったのです。

仏の優しさに包まれて心の殻が割れた

研修から数年が経ったころ、そんな私に、転機が訪れました。幸福の科学の精舎、東北・田沢湖正心館へ参拝に行った時のことです。

扉を開けて礼拝堂に入ると、目の前には両手を大きく広げたエル・カンターレ像。

その尊い姿を目にした瞬間、「愛しているよ」と語りかけてこられるような、仏の圧倒的な光を感じました。仏の手に包まれたような優しい思いが、私の胸に広がり、私は、数年前に講師に言われた「仏に抱きしめられる」という言葉を思い出していました。

そのとき、心を覆っていたカラが”パリン”と割れたように感じました。

「こんな私を抱きしめてくださる」という実感に、思わず涙がこぼれました。

この、自分でも説明のつかない不思議な体験の中、それまでどうしても拭い去ることができなかった母へのわだかまりが、まるで氷の粒が解けるように消えていったのです。

娘たちが愛おしい!

この出来事を境に、自分でもびっくりするほど私の心は変化していきました。

母は母なりの愛し方で私を愛してくれていたんだ、と思えるようになり、葛藤が消えました。

そして、母をいたわりたいという気持ちが日ごとに強くなっていき、幼い時に誰もが抱いている「お母さん大好き!」という純粋な気持ちが、私の心の底から甦ってきたのです。

すると同時に、娘たちとの関係も変わりました。姉妹でおしゃべりしている何気ない姿を見ても「かわいいなぁ」と思えるように。「大好きだよ」と言って、ギュッと抱きしめるのも、今ではもう、普通のことになりました。

これまで叱ると頑なな態度をとっていたEが素直に謝るようになったり、私の外出中には妹と2人で洗濯物を取り込んでくれたりと、優しい心遣いを見せてくれるようになりました。

今では、2人の娘が愛おしくてなりません。娘たちと気持ちが通じ合っているのを毎日のように実感しています。

この幸福を、縁ある方にお伝えしていきたいと思います。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大川隆法「困難を乗り越えて 、人類史に偉大な一歩を築いてきた」

2016-04-13 20:24:41 | 日記

歴史上、成功した数多くの人々は、才能においては一流ではなかった人々です。

才能においては一流ではなかったけれども、忍耐を重ね、

努力・精進を忘れなかった人々が、次々と困難を乗り越えて

人類史に偉大な一歩を築いてきたのです。 

 

『智慧の法』P.40

※幸福の科学出版
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1377&utm_source=wordsJpn&utm_medium=email

※Amazon
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4863956118/hsmail-22/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「理解する」とは「愛する」こと

2016-04-13 20:17:34 | 日記

「愛」が好き。

他の宗教や思想などが説いている愛の教えは、基本的に「相手を思いやりなさい」や「相手に対して慈しみと理解を持ちなさい」といった、穏やかで暖かな気持ちのみを強調しているように思うけれど、幸福の科学の愛の教えには厳しさもあり、とても芯が強い気がする。

限りない優しさのみを愛というのではなく、知性や理性、厳しさを持ってまた愛とするところが好き。

「他人を愛する」や「他人を許す」というととても難しく、あるいは偽善的に聞こえるかもしれないけれど、相手を「理解する」ということは相手を「愛する」ことと同じだということを知り、まず理解をする努力をしようと考えるようになった。

自分の中に仏性があり、また自分の無限の可能性を信じるなら、相手にも等しくそれは存在し、相手にも無限の可能性がある。

自分に個性があるように相手に個性があり、その個性を理解し、受け入れることも愛なのだと思うと、他者を裁くことなく、愛のある人になりたいなぁと思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恨んでいた母に「お母さん、生んでくれてありがとう」と言えた!

2016-04-13 11:34:46 | 日記

お母さん、生んでくれてありがとう。

http://voicee.jp/20131107844

 

私はダメな子

 私はダメな子なのかな――。物心ついたころから私は、自分のことをそんな風に思っていました。 なぜなら、母から私自身を「否定」されるような言葉を言われ続けて育ったからです。

 「あなたはほんとにダメな子なんだから――」

 私の両親は、父は新聞社の印刷工員、母も飲食店の店員をしていて共働きでした。そのため長女の私は、小学校の低学年の時から家の掃除をしたり、夕飯したくの支度の手伝いをしたりと家事をしなければなりませんでした。

私に少しでも落ち度があると、母は私を厳しく叱り、その度に「ダメな子」呼ばわりするのです。

 父はそんな時、「言いすぎだ」と言って、私をかばってくれました。でも、父とは喧嘩が絶えなかった母は、父の言葉など聞く耳をもちません。

ある時など、ちょっとお使いが嫌だと言っただけで、突然の体罰。私には何が理由でそこまで怒っているのか分かりません。それ以後、いつ叱られるかとびくびくするようになりました。

 「なんでそんなに怒るの? 私、そんなにダメな子なの?」

恨み心を募らせて

 それでも私は、母に優しくしてほしい一心で、子どもながらにいろいろな努力をしました。お手伝いは、掃除でも料理でも、自分なりに工夫。だんだん、手早くやれるようになっていきました。

勉強の方は、通信簿が「2」ばかりでしたが、頑張った結果、高学年になると「4」や「5」をとれるようになりました。

 運動も人一倍努力。生まれつき股関節に障害がある私は、他の子のようには走れません。


 でも、毎日、夕方、家の周りを走りこむうち、マラソン大会で上位に入るようになったのです。そんな私を、母はほめてくれますが、至らないことがあれば、ものすごく叱責され、全人格を否定するようなことまで言われます。

「なんでそこまで私をひどく言うの?」。いつしか、私は母に反感を募らせていったのです。

早く家を出たい

 中学生頃まではおとなしくしていた私も、高校生になると反抗するようになりました。


 「いちいち、うるさいっ!」。そんな私に、母も怒りをぶつけてきます。私は高校を卒業し、一般企業に勤めた後、音楽教室の講師になり、子どもにピアノなどを教えるようになりました。

アパート暮らしも始め、ようやく家を出ることができたのです。

 そして24歳の時に、中学の同級生だったTさんと結婚。夫は国家公務員ですが、海外任務も定期的にあります。

結婚してすぐアメリカに行くことになりました。長男が生まれると、母は英語も話せないのに、アメリカまで来て子育てを手伝ってくれました。でも、そんな母に私は、感謝の言葉も、労いの言葉も、かけたことすらなかったのです。

私は依然として、母に心のわだかまりを持ち続けていました。

ほんとうの愛

 結婚6年目に入ったころ、夫との関係が冷え切ってしまうということがありました。

苦しんでいる私に、子ども同士が同じ保育園ということで知り合ったSさんが、幸福の科学の『太陽の法』という本を勧めてくれたのです。

予想だにしなかった本の内容に私は引き込まれました。

 「みかえりを求めることは、ほんとうの愛ではありません。

ほんとうの愛とは、与える愛です。与える愛とは、すなわち、無償の愛です」「にせものの自分の筆頭とは、他人から愛をもぎ取ることばかり考えている自分です」(『太陽の法』より)

 私は夫との関係に思いを馳せました。夫は、優秀な人なのに入省の経緯から出世コースからはずれていたことを、心の中で責め続けていたのです。

夫にも伝わっていたに違いありません。私は、自分が「奪う愛」の塊だったこと、夫の愛情や優しさも見失っていたことに気づきました。

私、仏の子だった!

 驚きはそれだけではありませんでした。

 「人間の魂は、仏からわかれてきたものであり、仏の自己表現の芸術であると、言ってよいでしょう」(『太陽の法』より)

 人間は「仏の子」であり、「魂の親である仏」を目指して無限に向上していけることが、理路整然と書かれていたのです。「私、間違ってた! 私、ダメな人間なんかじゃない!」。

私は、いつか「自分が素晴らしく変われる」という希望を胸に幸福の科学に入会したのです。

心はつながっていた!

 まず夫への反省をしました。夫の出世に執着していた自分。私は、幼いころから抱いていた劣等感を、夫の出世で埋めたかったのです。

家族のために身を粉にしている夫に、申し訳なさでいっぱいになりました。すると不思議なことが起こりました。夫が単身赴任先のイランから電話してきて、「二人で出直そう」と言ってくれたのです。

こんなにも心はつながっているのかと、驚くばかりでした。

親を選んでくる?

 さらには支部の皆さんと、総本山の精舎を巡り、研修にも参加するようになりました。精舎で瞑想していると、何ともいえないあたたかな光を心に感じ、魂が安らぎに満たされていったのです。

 「私、仏と一体なんだ。仏とつながっているんだ――」

 仏の偉大さ、教えの威力に感動していった私でしたが、一つだけ理解できないことがありました。それは、「生まれる前に親を選んでくる」という教えです。

あの母を、自分が親に選んだということに、私は納得がいきませんでした。

 ある日、支部で先輩会員と話していると、ある方が何気なく口にした、「親子関係の改善は『感謝』がキーワードよね」という言葉に心が留まりました。

そこで私は、日中、家事をしながら、母がしてくれたことを一つひとつ思い出してみることにしました。最初は、いやな記憶ばかりよみがえりました。

幼いころ、わけも分からないまま髪を引っ張られたこと、足蹴にされたこと……。でも、「お母さんも仏の子。仏を信じるなら、お母さんの仏性を信じよう」と思い、1週間、2週間とトライし続けました。

父に泣かされていた母

 すると、私が小学生の時の母の姿を思い出しました。

仕事から帰ってくると、私と妹をつかまえて、冗談を言ったリ、「ひょっとこ」みたいなおかしな顔をして、よく私たちを笑わせていた母。私は妹と二人、心から笑っていました。

そんな合間、母はよく「私にはおまえたちが宝物なんだよ」と言っていたことも思い出したのです。

 競馬にお金をつぎ込んでいた父に泣かされていた母。「家計を支えるために、つらいことがあっても私たちのために、一生懸命働いてくれてたんだ。

私につらく当たったのは、きっと夫婦仲が悪くて、さみしさのあまりだったからに違いない……」。私はさらに、母とのことを思い出していきました。

「星を授かった」

 ある日の昼下がり。居間でくつろいでいると、ふと、私の誕生について、母から聞いた話を思い出しました。「Mちゃんがお腹に宿る前、3度も流産してね。

もう子宝は授からないって諦めてたら、おまえを身ごもったんだよ」「それからは、心にいつも星が輝いているみたいな気がしてね。

だから、私は星を授かったんだ、この子は私のスターなんだ、と思ったよ」。母はおだやかな笑みを浮かべ語っていました。

 「ごめんね、Mちゃん」

 しかし、そうして生まれてきた私には、股関節に障害がありました。「おまえの足は、私のせいだよ。ごめんね」と、ことあることに言っていた母。

障害のことを医者から告げられたとき、母はどんなにショックだったことでしょうか。

 私も母親になった今では、その気持ちが痛いほど分かります。幼いころ、母は私をおんぶして病院を回りました。診察室で「先生、どうかこの子の足を治してやってください」と頼みこんでいた母の姿が思い出されました。

 また、別の光景もよみがえってきました。小学校の高学年で、運動会の応援に母が来てくれた時のこと。私は長距離走で、一番でゴールしました。

「Mちゃんが一番で戻ってきた!」母はそう言って、大粒の涙を流しながら、子どものようにはしゃいで喜んでくれました。

 その泣き顔を思い出した時、私が障害を持って生まれたことに母がどんなに負い目を感じ、どれだけ「ガンバレ、ガンバレ」と心で応援してくれていたか、心底分かりました。

厳しい母だったからこそ、私もここまで頑張ってこられたのだと――。母も私を信じてくれていたのだと今は思えます。

 どんなにつらい境遇の中でも、明るくエネルギッシュだった母。そんな母から私は、「強さ」を学び、引き継がせてもらったのかもしれません。「そうだ!私はこの母のもとで、努力の喜びを知るため、親になってもらうよう、生まれる前にお願いしてきたんだ!」

この母の子でよかった

 ほどなくして、母が遊びに来てくれた日。私は心にあふれる感謝を、ありったけの気持ちをこめて伝えました。「お母さん、私を生んでくれて、ここまで育ててくれて、本当にありがとう。

今まで全然感謝もしないで、本当にごめんね」。突然の私の言葉に、あっけにとられていた母。

やがて、ポタポタと涙をこぼしはじめました。「私は、おまえから感謝してほしくて頑張ってきたわけじゃないんだよ。でも、そう思ってくれて本当にうれしいよ」。母と抱き合い、二人とも言葉もなく涙を流し続けました。

 その日を境に、母とぶつかることはほとんどなくなりました。あれから数年。母は、孫の顔を見るのが何よりの楽しみ。二人の息子もおばあちゃんが大好きです。

孫たちと一緒に幸せそうな母の姿を見ていると、私もとても幸せな気持ちになります。この母の子として生まれることができたことを、今では誇りに思います。

 そして、こんなに素晴らしい幸福を授けてくださった仏に、心からの感謝を捧げます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

普天間基地返還合意から20年。感情論だけが強調されている

2016-04-13 07:30:25 | 日記

http://the-liberty.com/article.php?item_id=11183

沖縄にある米軍普天間基地の返還に、日米が合意してから12日で20日となった。普天間は住宅地の中にあって危険だということで返還に向けての相談がされていた。

当初は、普天間基地の機能を沖縄県内に移設することを条件に、5〜7年以内に返還するはずだったが、移設先を県外や海外にせよという沖縄県の世論に配慮し、予定通りに進んでいない。

⇒日米両政府で合意した内容がなかなか実行に移されないのは、外交上大きな問題だ。辺野古への移設工事の前提となる、仲井眞弘多・前沖縄県知事の埋め立て承認が、翁長雄志知事によって取り消されたことが原因のひとつといえる。国家の安全保障にかかわる問題が、県知事の意向で左右されることはあってはならない。


翁長知事の"暴走"は、民意によるものだというが、住宅地や学校に近い普天間基地が返還されれば、住民の不安も解消され、広大な土地が自由に使えるようになる。

さらにいえば、中国の脅威にさらされている沖縄にとって、いざという時世界最強の軍隊が近くにあることは大きな抑止力となる。


県民にとってのメリットは伝えられず、「沖縄県に負担が押し付けられている」という感情論だけが強調されている。20年たっても事態が進展しなかったのは、感情論だけを煽るメディアにも責任があるだろう。

【関連記事】
2015年9月20日付本欄 国連人権理事会で米軍基地辺野古移設反対を訴え 翁長知事は沖縄を中国領にするのか
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10180


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

G7外相会合 中国の海洋進出への懸念を表明

2016-04-13 07:26:25 | 日記

G7外相会合 中国の海洋進出への懸念を表明

先進七カ国(G7)外相会合で、「海洋安全保障に関するG7外相声明」が発表された。明確に名指しされてはいないものの、南シナ海や東シナ海で軍事拡大を続ける中国の行為を念頭に、海洋進出への懸念や反対を示した声明だ。


実際、声明発表後、中国外務省の陸報道官が「G7は世界経済の管理と協力に焦点を当てるべきで、海洋問題を騒ぎ立て、地域の対立を煽るべきではない」という「強烈な不満」を述べている。

⇒西洋諸国も、国際ルールに従わない中国の問題点が次第に分かってきたようだ。自由と民主主義といった価値観を同じくする国が集まり、中国を"けん制"した形となったが、中国の反発を見ても、一国だけで立ち向かうよりも、連携した方が大きな力となることが分かる。


日本は中国の不当な領有権主張に困惑する東南アジア諸国を代表して、中国包囲網を築くべく国際社会に働きかけていきたい。

【関連記事】
2015年10月11日付本欄 米海軍が、あえて「中国の島」近くを航行する意味
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10295


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮の軍大佐、韓国への亡命 金正恩体制の内部でおきる変化

2016-04-13 07:22:08 | 日記

北朝鮮の軍大佐、韓国への亡命  金正恩体制の内部でおきる変化
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11185

韓国政府は11日、北朝鮮の軍幹部と外交官が、昨年韓国に亡命していたことを明らかにした。(11日付産経新聞)。

亡命した軍幹部は、朝鮮人民軍の偵察総局で、韓国への工作活動を行っていた大佐。昨年7月8日に韓国に亡命したという。偵察総局は金正恩第一書記が直轄しており、北朝鮮軍の核心部署。偵察総局の大佐は一般部隊の中将に相当し、亡命した軍関係者では過去最高クラスだという。

もう一人の外交官は、アフリカに駐在していた上級外交官で、家族4人で昨年5月頃に韓国に亡命していた。

韓国政府は、海外にある北朝鮮のレストランの従業員13人が亡命したことも7日、明らかにした。従業員らは、「制裁が強まる中、北朝鮮の体制にこれ以上希望がないと思った」「韓国のテレビドラマを見て、民主主義を知った」と語っているという。


◎金正恩体制はこのまま少しずつ崩れる?

韓国政府の報道官は、「権力層に見られる異常な兆候の一つだと考える」と述べるなど、金正恩体制の中枢で、何らかの変化が起きているとの考えを示した。また、「北朝鮮への経済制裁が功を奏した」と強調している。
韓国政府の主張通り、北朝鮮の中で、金正恩第一書記への忠誠心が薄れていることは確かだろう。

15日は、金日成主席の誕生日「太陽節」。金正恩第一書記が求心力を取り戻すため、近々、北朝鮮が再び核実験を行う可能性も十分ある。


◎あくまで強気の金正恩だが

金正恩第一書記は、何を考えているのか。北朝鮮が1月6日に水爆実験を行った直後、大川隆法総裁は金正恩第一書記の守護霊を呼び出し、その考えを聞いていた。

「『もう世界を征服できる力をつけつつある』ということを、新年早々、お知らせ申し上げたということだな。だから、中国も震え上がっているんだということですよ。(中略)水爆を持ってる国にね、勝ち目はないんだということを知りなさいよ」

金正恩第一書記守護霊はあくまで強気を装ったが、権力基盤が固まっていないことをほのめかす場面もあった。権力基盤は固まったのかという問いには、次のように答えた。

「わしは韓国みたいに軟弱でねえからさ。(中略)反乱の芽が出てくることはあるだろうし、韓国や中国や日本の意を汲んで動いてるやつらだろうからさ。だから、それに対しては、ちゃんと警告を発するためにも、どんどん公開処刑するなり、おんぼろ木造船に乗せて流すなり、まあ、やらせてもらいますよ」

こうしたことをしていれば、金正恩第一書記に反発を覚える軍高官は増える一方だろう。近い将来、こうしたところから、金正恩体制は崩れていくと見られる。北朝鮮に"捕らわれている"約2300万人の国民を救うためにも、平和裏に体制崩壊していくことが必要だ。(山本泉)

【関連書籍】
幸福の科学出版 『北朝鮮・金正恩はなぜ「水爆実験」をしたのか』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1612

【関連記事】
2016年3月10日付本欄 金正恩氏「核の小型化成功」に初言及 日本は核武装も視野に入れた国防体制の強化を
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11041


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「パナマ文書」で習一族に触れない国営メディア 中国は「毎日がエイプリルフール」国家

2016-04-13 07:16:23 | 日記

「パナマ文書」で習一族に触れない国営メディア 中国は「毎日がエイプリルフール」国家
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11184

ロシアのプーチン大統領、香港の俳優ジャッキー・チェンさん、FCバルセロナのリオネル・メッシ選手——。

政治家から俳優、スポーツ選手まで、あらゆる著名人の税金逃れ疑惑を指摘したのが「パナマ文書」。その内容が流出し、世界中で話題となっている。

お隣の中国もその例に漏れない。

パナマ文書の情報の一部を報じた、報道機関「国際調査報道ジャーナリスト連合」によると、同文書には、習近平国家主席や胡耀邦元総書記など、新旧指導者たちの親族がタックス・ヘイブンにある会社に株主として名を連ねていたという。

この件について、現地中国ではどう報じられたか。

中国メディアの環球時報は、パナマ文書について、「アメリカに不利な情報は最小化されるが、プーチン氏のような欧米以外の指導者は、大きく取り上げられてしまう」と、欧米諸国を非難している。

その一方で、記事では、習氏の親族らの疑惑については一切触れられず。その後、ネット上の関連情報は削除され、SNSでも「パナマ文書」で検索しても、何も出てこないという。流出事件を受け、中国政府が報道規制や検索制限をかけているようだ。

中国では、中国共産党に都合の悪い情報は、検閲の対象になる。国内で汚職摘発に力を入れる習氏には、国民に知られたら「不都合な真実」があるのかもしれない。


◎エイプリルフールは中国の価値観と相いれない!?

この流出事件が話題になる2日前、ネット上に興味深い投稿がなされている。

国営メディアの新華社通信は1日、「4月1日は、欧米諸国ではエイプリルフールとなっているが、これは中国の文化伝統や社会主義の価値観と合わない」とのコメントをSNSの自社アカウントに投稿し、国民に「嘘をついたり、信じたり、拡散しない」よう伝えた。

まるでパナマ文書の流出事件を見越したかのような投稿だ。

もしかしたら、この記事自体がエイプリルフールのネタなのかもしれない。国民は言論の自由を奪われ、政府批判さえ満足できない状態にあることを考えれば、決して笑えない話だ。

自国のことは棚に上げ続けている中国だが、一連の発言と、国の実態は大きくかけ離れている。


◎首相が信じていない中国のGDP

まずは経済について。

李首相は11日、中国経済について、明るい兆しは見られるが、強い強風にさらされていると発言している(12日付ロイター)。ただ、実態はもっとひどいかもしれない。

内部告発サイト「ウィキリークス」によると、李克強首相は2007年、「中国のGDPは人為的につくられており、信用できない」と発言していることが明らかになっている。

代わりに信用しているのが、「電力消費量」「鉄道貨物輸送量」「銀行融資」の3つ。これらの経済指標は近年軒並み落ち込んでいることから、中国経済は「張り子の虎」である可能性が高まっている。


◎中国こそ歴史修正主義

歴史も嘘の積み重ねだ。

近年では特に「南京大虐殺はあった」「尖閣諸島は中国固有の領土」と主張し、中国は日本と対立し続けている。しかし本欄でも再三主張してきたように、南京大虐殺があったとする決定的な証拠は見つかっていない。
 
尖閣諸島についても、「魚釣島」という中国側の呼称ではなく、日本名の「尖閣群島」と記載された地図を、外務省がホームページ上に公開している。これは、毛沢東語録が付いており、言わば中国の「お墨付き」の地図。日本ではなく、中国こそまさに「歴史修正主義」と言わざるを得ない。


◎一夜にして地中に埋められた事故車両

科学技術についても同じことが言える。

2011年、温州市で高速鉄道の大規模な脱線事故が起きた際、一夜にして、大破した先頭車両が地中に埋められている。そのため事故原因や死亡者数について疑惑が出ており、安全性が疑問視された。インドネシアの高速鉄道計画を手掛けることが決まるなど、中国は安価性を売りに技術力を輸出しているが、その信頼度はまだまだ低い。
 
これらは氷山の一角にすぎないが、エイプリルフールは中国の価値観に合わないどころか、価値観そのものであることを説明するには十分な証拠だ。「毎日がエイプリルフール」状態と言っても違和感はない。

しかも中国の嘘は人々を楽しませるどころか、不幸にするものだ。中国政府は「嘘つきは泥棒の始まり」ならぬ、「嘘つきは『国家衰退』の始まり」だということを知る必要がある。(冨野勝寛)

【関連書籍】
幸福の科学出版 『李克強 次期中国首相 本心インタビュー』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=804

【関連記事】
2016年4月9日付本欄 史上最大のリーク「パナマ文書」 課税逃れのイタチごっごをなくすには
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11175

2015年11月1日付本欄 スイスの銀行が資産隠しの方法を暴露 悪いのは税を隠す方? 取る方?
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10411


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国で給料未払いデモ続発「共産党は我々の金を返せ」

2016-04-13 05:14:00 | 日記

NEWSポストセブンいま中国では、いたるところで、給料の未払いや劣悪な労働環境に抗議する労働者のデモやストライキが頻発している。

中国政府の公式統計では昨年の1月から9月までの9か月間で1万1000件以上。香港に本拠を置く、中国の労働運動の調査機関「中国労工通信(CLB)」の調査では、昨年12月1日から春節(旧正月=日本の元旦に当たる)の2月8日までの2か月間で1050件も発生している。

「中国は社会主義国で、本来は労働者が主役の国だったはずだ。その労働者が虐げられ、彼らの怒りが爆発している。今後、手が付けられないほどの大きな労働争議が起き、暴動に発展する可能性がある」とCLBの韓東方代表は不気味な予測を口にする。ジャーナリストの相馬勝氏がリポートする。

 * * *
 韓代表によると、最近の最も大きな労働争議は黒竜江省双鴨山市に本社を置く国有炭鉱「双鴨山砿業集団」の炭鉱労働者とその家族ら数万人による「給料未払いデモ」だ。

 同社は2014年から給料の未払いが続いており、社員は生活費として毎月800元(約1万4000円)ほどしか払ってもらえず、それも昨年9月から半年間はその生活費も支給されていないという。

このため、労働者側は政府部門に訴えるなど、同社が給料の支払いに応じるよう求めていた。同市では連日、給料支払いを求める労働者らのデモや集会が行われ、町は騒然とした空気に包まれていた。

 そのような折も折、黒竜江省の陸昊省長が3月6日、北京で開催中の全国人民代表大会(全人代=国会に相当)で、記者から双鴨山市での炭鉱労働者デモについて質問されると、「給料の未払いなど一銭もない」と言い放ったのだ。

 陸昊は胡錦濤元主席や李克強首相ら最高指導者を輩出した共産主義青年団のトップを経験し、2013年4月に中国で最年少の省長に就任。習近平の次の次の最高指導者に擬されている有力幹部だ。それだけに、ネット上で、この発言が流れると、労働者や家族らの怒りが爆発した。

「陸昊よ、ぬけぬけとでたらめを言うな」「共産党は我々の金を返せ」「我々は飯を食って、生きていかなければならない」などと書かれた手製の横断幕をかざし、炭鉱労働者ら数万人が3月11日から連日、市内中心部をデモした。

彼らは市政府庁舎や同社の本社前に集結し、気勢を上げ、出動した数千人の警官隊と衝突し、多数のけが人や逮捕者を出した。

 事態を重く見た中央政府は同市の鉄道やバスの駅などを閉鎖し、同市に通じる幹線道路を封鎖。大量の警官隊や武装警察部隊を動員し、市中心部を取り囲んだ。

 これと同時に、当局はデモや集会などに関する情報をネット上から削除した後、会社側と労働者を仲介し、会社側が一時的に2か月分の給料を支給することで折り合いをつけたという。

「この労働者デモは全人代開幕中に発生し、海外メディアも大きく報道しただけに、当局も武力鎮圧はできなかったのだろう」と北京の外交筋は語る。

【プロフィール】そうままさる:1956年生まれ。東京外国語大学中国語学科卒業。産経新聞外信部記者、香港支局長、米ハーバード大学でニーマン特別ジャーナリズム研究員等を経て、2010年に退社し、フリーに。『中国共産党に消された人々』、「茅沢勤」のペンネームで『習近平の正体』(いずれも小学館刊)など著書多数。近著に『習近平の「反日」作戦』(小学館


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軽減税率 国税庁、対象品目の線引きの具体的事例発表

2016-04-13 05:05:52 | 日記

フジテレビ系(FNN) 

消費税率10%への引き上げと同時に導入される軽減税率制度について、国税庁は、対象品目の線引きの具体的な事例を発表した。
軽減税率制度は、酒類と外食を除く飲食料品に適用され、税率は、8%に据え置かれる。


国税庁が発表した事例集によると、例えば、同じ水でも、飲食用として販売されるミネラルウオーターの場合は、軽減税率の適用対象になるが、水道水は、生活用水としても使われるため、適用されない。


また、飲食スペースがあるコンビニエンスストアでの商品購入は、店内での飲食か、持ち帰りかを店員が確認して、税率を判断するという。
このほか、週2回以上発行される新聞は、適用対象だが、電子版は対象外になるなど、事例によって柔軟な対応が求められるとみられる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 大川隆法「科学の未来は信仰の上に成り立つ」

2016-04-13 05:04:51 | 日記

神の粒子と呼ばれるヒッグス粒子が発見された

大川隆法総裁は未来の科学技術についても言及してきました。

2013年にはノーベル物理学賞を受賞したヒッグス粒子(素粒子に質量を与える素粒子)の発見がありました。

これは神の粒子とも呼ばれ、物質の起源にかかわる素粒子ですが、大川総裁はすでに1988年発刊の書籍『釈迦の本心』の中で、素粒子のさらに奥にある物理学、物質とエネルギーの根源的物理法則を説き、物質の起源について明らかにしていました。

「霊の世界における仏の光が、いろいろなかたちで霊体をつくり、また、霊体の中にある光子体をつくっているのだ。

地上に現れるときには、それが霊子という核をつくり、霊子がもとになって現代物理学でいう素粒子が誕生する。そして、素粒子がさらに大きな物質を構成していくのである」(1988年発刊書籍『釈迦の本心』より)

「E=mcの二乗」(エネルギー=質量×〔高速の二乗〕)ということで、物質とエネルギーは等価変換できるものであることは分かっているのですけれども、霊界の光エネルギーがこの世に物質化することができるんです。

物質として現れることができる。これが消えることもできるんです」(2000年9月26日「パワーとしてのオカルティズム」より)

現代物理学を進化させる鍵は霊界科学のなかにある

「科学の未来は、実は信仰の上に成り立つものです。そして、この信仰に基づいて、宇宙というものの本当の姿が解明されてくるのです」(2010年2月7日「信仰と未来社会」より)

「霊的文明が進んでいくところに、科学文明のフィールドが現れてくる」(2013年11月20日「アトランティス文明・ピラミッドパワーの秘密を探る」より)

現代物理学をさらに進化させる鍵は、大川総裁が指し示す霊界科学のなかにあるのです


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TPP法案成立先送りへ、参院選への影響回避

2016-04-13 04:43:31 | 日記

 政府・与党は、環太平洋経済連携協定(TPP)の承認案と関連法案について、今国会での成立を見送る方向で調整に入った。

 激しく抵抗する野党を押し切って採決に踏み切れば、夏の参院選への悪影響が避けられないと判断した。見送った場合、秋の臨時国会での成立を目指す方針だ。

 複数の政府・与党幹部が明らかにした。安倍首相はこうした意向をすでに党幹部に伝えた。法案の参院送付後、成立させられずに国会が閉会すれば廃案となるため、衆院で継続審議にする方向だ。

 承認案と関連法案は5日に衆院で審議入りしたが、野党は政府の情報開示が不十分だとして反発。

西川公也・衆院TPP特別委員長が出版予定の著書を巡っても審議が紛糾し、民進党は8日の特別委を途中退席して以降、審議を拒否している。8日に甘利明・前経済再生相を巡る現金授受問題で東京地検特捜部が関係先の捜索に入ったことも合わせ、野党はさらに政府への追及を強める構えだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「韓国が拉致」と非難=海外食堂従業員の集団亡命―北朝鮮

2016-04-13 04:40:57 | 日記

 【ソウル時事】北朝鮮の朝鮮赤十字会中央委員会報道官は12日、談話を出し、北朝鮮が中国で運営するレストランの従業員13人が韓国に亡命したことについて、「南朝鮮かいらい(韓国)の情報員による前代未聞の集団的な誘引拉致行為だ」と非難し、謝罪と送還、関与した者の引き渡しを求めた。

 朝鮮中央通信が伝えた。

 韓国政府が8日に亡命を発表してから、北朝鮮の反応は初めて。報道官は「かいらい一味がかなり前から、海外にあるわれわれの食堂を標的にして、従業員を南朝鮮に連れて行くために、いかに画策してきたかという十分な資料、証拠を持っている」と主張。「被害者家族と人民は、野蛮な拉致行為に激憤を禁じ得ず、すぐに返すよう強く求めている」と述べた。

 さらに、韓国が謝罪、送還に応じない場合は「想像できない重大な災いと懲罰措置が伴うことを肝に銘じるべきだ」と警告した。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする