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Lec3:ときの中で考えるー奥行きのある風景―
(1)時間の中で成熟する風景
①時を経た建築をまちの中で生かしいくこと
拡大成長の時代は、既存のものを壊してはつくり続ける時代でした。建築も常に新品のぴかぴかな状態が求められ、まちの風景も常に変化し続けていました。それは民間だけでなく、行政も同じです。古くなった既存校舎を解体して、民間に貸し出し、20年間で収益を上げ再び更地にして返してもらうというように、建築に利潤を生みだすことだけを求め続けていたのです。そこに人びとは、まちの歴史や物語を読み取ることはできません。
成熟の時代においては、建築やまち並みも人々の営みが時間をかけて作ってきた風景の一部として確かな実在感を持ち、確かな時を刻み続けていることが実感できるようでありたいと思います。まちや地域の歴史にしっかり根を張った、あるいは人々の暮らす時間の流れに確かな錨を下ろしている建物の作り出す雰囲気が、町の風景に深みと広がりを与えるのだと思います。風景のひだ、奥行き感といってもよいでしょう。
歴史的建築はそのまちが何を生業としていたのか、だれが暮らしていたのか、そこで何が起こったのか等々、様々なことを私たちに語り掛けてくれます。歴史的建築を介してさらに様々な物語が生まれていく。建築は人々の記憶を媒体するものであり歴史を体現するものとなります。人々はそういった風景にアイデンティティの手掛かりを得るであろうし、帰属感を抱き、それがまちに対する愛着にもつながるでしょう。
そのためには、当然ですが、建築は長く使われ、そこで時間を刻むということが必要です。小泉隆(2017)は「次から次へと新しい建築が生まれては消費されてしまう現代」にあって、彼の専門領域である北欧建築を例としながら「良い建築」について端的に語っています。「土地の風土や歴史との連続性を保ちながら、長い時間愛され、使い続けられながら、日常において豊かさや美しさ、そして悦びを与えている建築」、そういったものが良い建築だと言い切っています。
建築・都市デザインに携わる私たちがまず取り組むべきことは、今ある建築とりわけ歴史的建築をできるだけ壊すことなく、必要な手を加えて再生し、人々に使ってもらえるようにしていくこととなります。本章では、長く地域の中にあり希少価値を持つような建築だけでなく、数十年の時を地域の人とともに過ごしてきたある意味では普通の建築も含めて「歴史的建築」と総称し、その保全活用の意義や、方法について考えていきます。
②まちづくりにおける意義
歴史的建築を残して活用していくことには、人々の心象風景を含む地域風景の継承ということに加えて、技法工法など建築文化の伝承、SDG‘sの観点など様々な意義があります。またまちづくりとしても、リノベーションまちづくりに見られるように、地方都市中心部の再生手法として位置付けられています。ここでは、歴史的建築の活用がまちづくり手法としても新しい意義を持つことを少し違う視点から指摘したいと思います。
都市計画に多層性、多様性をあたえること
既存の都市計画は、都市全体の将来像を描き、その方向に向けて、全体的な観点から各部分の在り方を制御しようとします。
しかし、歴史的建築の再生活用の事例は、ある意味では突然ある場所で発生します。どこで起こるのかあらかじめ想定しておくことは大変困難です。空き家は相続などで突然発生します。
鶴岡まちなかキネマと日和山小幡楼はどちらも、既存の都市計画に整合するものではありませんでした。前者は用途地域と、木造の映画館ということで既存の都市計画(及び建築基準法)の想定するものではありませんでした。また後者は防火の規定にそもそも大規模な木造建築が不整合でした。
しかし、両者とも計画当局の理解を得て、地域の人々に歓迎される建物として再生しています。どちらも市場原理の下では、使われなくなっている歴史的建築物です。残すためにはイノベーション(知恵)と一定のお金が必要でした。前者の場合には、映画館の復活というアイデアと、社会的企業による取り組みが推進力となりました。後者の場合には、役所と民間が立場を超えて地域のために協働しました。両者ともに単なる営利だけにとどまらない社会的な意義があったので、協力・協働の輪が広がりました。
すなわち、都市計画とは無関係に生まれる歴史的建築は、新しい市民型の組織や、民と官の新しい関係が新しいエネルギーを生み出す場所として位置付けられます。拡大成長の時代には、都市全体を俯瞰する従来型の都市計画が力を発揮しましたが、これからは、このような部分を確かなものにして結果的に全体に至るという発想が必要になると思います。ある意味アドホックに発生する歴史的建築は、既存都市計画とはちがうまちの作り方を提示しているともいえます。
これらの例は従来の都市計画を否定するというよりは、補完するものと考えたほうが良いでしょう。図に示すようにこれまでの単層的なまちづくりに、新しい層を加えることで、より多様なまちづくりの体系が生まれるように思います。民間と行政の役割にも新しい関係性が生まれないといけないと思います。
歴史的建築はまちなか文化的コモンズの可能性
自由に訪れることができ、人と出会い、あるいは一人で自分らしく時間を過ごせる場所は、ひとびとが自分たちのまちに親しみや帰属感をえるための拠り所となるものです。それは散歩道であったり、カフェであったり、ホールのような建築空間であったりします。グローバルに情報・モノ・人が動く時代です。人々は、自分のまちや地域にしっかりと根差し、心豊かに暮らすことを求めています。拠り所となる共有空間をまちなかコモンズと呼びます。
まちなかコモンズでまちの歴史や文化にふれられるならば、人々は先人がどのようにまちをつくってきたのかを知り、誇りを抱いたり、より確かな帰属意識を持つことになるでしょう。またそのような場所は、観光客や訪問者にとっても魅力的で忘れられない場所になります。訪問者からの評価は、自分たちのまちのアイデンティティを明確なものにしていくことにつながるでしょう。これをまちなか文化的コモンズと呼びたいと思います。
後に紹介する日和山小幡楼や鶴岡まちなかキネマのような歴史的建築は上記のような場所になる優れた潜在力を持っています。歴史的建築の潜在力を開放し、人々に長く親しまれる場所に生まれ変わらせることが、歴史的建築を再生活用するもう一つの意義だろうと思います。
(2)使い続けることの困難さについて
①社会経済的条件
建築は目的を達成するための道具という側面、道具性と容器のようにいろんな中身に対応できる器性の両方を備えています。したがって役割を終えて利用されていない建物の用途を変えて再利用する、或いは改修して新たな価値(用途、空間)を生み出させるようにすることは技術的にはそんなにむつかしいことではありません。
歴史的建築を長く使い続けていくには、別の観点からの難しさがあります。歴史的建築は低層で、低容積というものがほとんどです。建てることを許されている床面積を使い切っていないため、権利が十分行使されていないととらえられます。また多くの場合は、木造であり、耐火性能や耐震性が鉄筋コンクリート造などに比べて低い場合が多いと言えます。日本の都市においては都市の高度利用と不燃化そして耐震化というのが都市改造の大きな目標でした。その点からは、「安全で、かつ土地を高度に利用したほうが良い」という声に抵抗できなかったのが現実です。また法律や各種助成制度も、除却と建て替えを前提にして組み立てられています。残していく場合には、建築基準法や消防法上に適合させるだけでも大変な労力を要することになります。
上の状況は改善されつつありますし、SDG‘sや環境的な視点から、建築を長く使っていくことの意義もひろく認識されつつありますが、除却して建て替えたほうが、コスト的にも合理的な選択だと考えられる状態は、まだ続いています。
②日本人の心性
また、「精神的なもの、文化的なものを伝えていけばよいので、建築物そのものを苦労して残さなくてもよい。伊勢神宮のように建て直して、目に見えない大切なものを伝えていくのが日本式ではないか」という声もよく聞きます。また、都市に住む人も数代前は農村に暮らしており、心のふるさとは自然に囲われた田舎にあり、都市の住居はあくまでも仮寓あるいは仮設だという考えもあります。
庄内の大学にいると、鶴岡でもまた酒田でもまちを構成する建築そのものよりも遠くに見える月山や鳥海山を眺める、あるいは見守られているということが重要だと考えている人が多いことに気付きます。まちなみについて語ろうとすると、そんなことより、月山や鳥海山との関係のほうが大切だと語る方に多く出会いました。長く庄内に関わり、私たちの暮らしを見守ってくれるかのような雄大な自然を知るようになると、その気持ちもよく分かります。
十数年前になりますが、庄内をロケ地とした「おくりびと」という映画がありました。東京での生活で夢破れたチェリストの主人公が、故郷に帰ってきて、心を癒すという映画です。私に印象深いのは、主人公鳥海山を背景に、川の土手でチェロを弾くシーンです。主人公の心のふるさとは川であり鳥海山という自然なのだという設定でした。
同じようなテーマの映画に「ニューシネマパラダイス」(イタリア・フランス合作)があります。故郷を出て成功を収めたものの、心の空虚さを感じている主人公の映画監督を迎えるのは、子供のころ通った映画館の建物であり、それが面する広場です。今も変わらない、人々の営みが作り上げたまちの環境(Built Environment)です。
日本人には、自分たちの創り上げた建築や道路などの人工物よりも、山や丘などの地形や植物などの自然物を尊ぶ習慣があるのは確かのようです。次項で例に挙げたジャンカルロデカルロですが、彼が活躍したウルビノにはジャンカルロデカルロ通りというのがあります。日本では道、通りに名前を付けて顕彰するということはあまりありません。道やとおりという人工物は永続的なものではないという思いがあるからではないでしょうか。王のお墓であるピラミッドと古墳を比べてみるとわかります。毎年芽生える若草のような穢れのない新しいものを尊ぶという習俗もあると思います。
以上みてきたような、日本人の心性は尊重されるべき文化だと考えることもできます。また、風景という視点から見ると、少なくとも高度成長の時代までは、建築を短期でつくり替えたとしても、それほど大きな変化につながっていなかったということがあります。それは、まちの中の建築は、地場の大工さんが伝統的な手法でつくっていたので、仮住まいを立て直したとしても、同じような材料と構法で、今までとそれほど変わらない規模でつくられていたということです。通りのスケール感や、狭い路地の風景もそのまま踏襲されていたのです。個々の家が新陳代謝を繰り返していても、風景としてはそれほど大きく変わることはなかったのではないでしょうか。
ところが、これまでに延べてきたように、1960年代頃から家は商品となり、新しい家は前とは違う姿で消費者の前に登場します。また土地は投機の対象となっているので、以前とは規模も違うまちが出現します。建物が建て替わるということはまちの風景も一変するということにつながるようになったのです。
すでに都市「化」の時代は終わり、何代も前から都市的な環境に住む人たちも増えています。自分たちの、暮らしの環境がいつまでも仮設的、刹那的なものであっては、そこに安心して帰属しようという心も育たないのではないでしょうか。日本人の嗜好は尊重されないといけませんが、自分たちの身近な環境を仮住まいではなく、貧しいものにしないというのが、私たちが取り組むべきことであろうと思います。
(4)何を残し何を変えるのか、建築の価値とは
なぜ残して活用するのか、どういう意義があるのかということともに、ここではどう残し活用するのかということを考えてみたいと思います。その時には何を歴史的建築の価値と考えるのかが問題となります。このテーマについては、文化財建築を対象にすでに多くの議論がつくされていますが、国宝などではない、まちの風景の中の大事な建物を改修して使い続けていこうとする場合に、どのように考えるべきなのか、少し整理してみます。
①3つの価値
歴史・文化的価値
ここまで、歴史・文化的価値については多くを語ってきました。繰り返しになりますが、建築はつくられるときにもその時代の技術、社会、経済の状況を反映しています。また地域の中で時を経ることによりいろいろな出来事が起こり、物語の舞台となったり、人々の記憶の場面の一部となります。さらに希少価値があるときには、いわゆる文化財として保護の対象となります。建築のもつ、歴史・文化的価値は小さくありません。
役に立つという社規経済的価値
「壊して建て替えた方が価値が上がる」という考えから、歴史的建築が壊されてしまうことは、日常的に体験することです。しかし、歴史的建築のもっている雰囲気を活かして利用したほうが、経済的価値を生むという考えもあります。古い酒蔵を利用した飲食店などは最近多く目にします。
個人、企業あるいは行政がお金をかけて改修して維持管理するのも第一義的には、この社会経済的な価値があるからです。住まいであれ、商売であれ、展示であれ何らかの役割を歴史的建築が担うことを前提にしていることは言うまでもありません。
空間的価値、構築物としての価値
茶器を考えるとわかりますが、器はものそれ自体の価値を持ちます。建築も用途を超えて構築物としての建築それ自体の目的のために存在するのではないかと思うことがあります。
鶴岡に丙申堂という大きなお屋敷建築があります。明治中期の建築です。豪商の風間家はここを仕事の場としても、また居住の場としても使ってきました。普通は美術館として素晴らしい、あるいはコンサートホールとして秀逸だというような評価がありますが、この建築の場合用途がなんであるのかということにはあまり興味がわきません。用途を超えた実在感、あるいは構築物としての確かさを持ちます。用途を超えて、空間に人間の求める秩序を与えているもの、私たちの存在の証という感を覚えます。
長谷川敬氏は日本の伝統的な木造建築について「・・まず、木の性質を最大限生かす合理的な架構をする。その空間を人がうまく利用する」という考え方を紹介しています(長谷川敬2001)。自然に生育していた木の本性を矯めることなく、人間のスケール感覚、秩序感覚の世界を構築するというのが建築の初源だということでしょう。用に先行する建築空間があるということです。丙申堂を見るとその感覚が納得できます。
私事になりますが、学生時代の恩師である大谷幸夫先生は「建築は雄々しいもの、言い訳などしない」というようなことを、おっしゃっていました。謎のような言葉ですが、丙申堂のようにずっと静かに立ち続けて、人々の日陰を、生活の場を、生業の空間を提供し続ける姿・・・そこに大谷先生の言葉を重ねてしまいます。
建築という構築物は、人々や建築家の観念が形をとった造形物です。その中には、強く訴えてくる造形も当然あるのです。数か月前に、旧香川県立体育館の取り壊しが、県から発表されました。私は丹下健三先生のこの作品の持つ構築的な力強さは、体育館としての用を超えていると思います。それを感じる市民から多くの存続署名が出ています。行政にもそのあたりを感じ取ることができる方がいらっしゃればと願うのは私だけではないと思います。
②価値があるから残すのではない
大谷幸夫先生の言葉
前項で、歴史的建築物の価値について考えました。「価値があるから残し活用する」のが基本にあることは間違いありません。しかし、それだけではないということも確認しておきたいと思います。
再び大谷幸夫先生の登場です。先生は「建築は価値があるから残すのではない。残っていることに価値があるんだ」とおっしゃっていました。社会で広く価値が認められている建物はほおっておいても大事に保存されると思われます。先生は、まずは一見価値がないと思われる建物でも、長く地域にあるものは、そのことに価値を見出さないといけないということを私たちに伝えようとしたのだと思います。「普通の建物」でも長くそこにあるということで、人々の思い出や、記憶を伝えているのです。掘っ建て小屋のようなものでも、長く残っているものに、きちんとした敬意を払うきっかけをくれた言葉です。ただこれは、前項の価値の分類からいうと、歴史文化的価値になります。
時を止めてはいけない
大谷先生の言葉はさらに深い意味を持っています。大谷先生の言葉は、私たち、建築の設計を専門とするものに向けた言葉です。私は次のように考えるようになりました。
私たちは、今ある姿に手を加えて、新しい価値を付け加えていこうとします。価値は常に変わるものですし、歴史的建築は、たとえ世間から価値がないと思われるような「凡庸な」建築であったとしても、私たちがうまく手を加えることでさらに良くなっていくポテンシャルを持っていると考えるべきだと思うのです。
すなわち、価値を固定化して考えてはいけない、あるいは建築の価値を一時点で判断するのではなく、長く受け継がれていく中で、どんどん価値の質を変えていくものだという理解が必要なのです。言葉を変えると現代という観念で建築のもっている時間を切断してしまってはいけない。時間の流れの中に私たちの保存再生の活動も位置づけないといけないということではないでしょうか。
私たちを取り巻く環境は常に変化し続けています。その変化の中に私たちはいて、その変化のベクトルを常により良き方向に少しでも向けようとしているということです。一つの建築に対して、現代という一時点で切断した価値づけを行うことは必要なことではありますが、私たち設計者は、自分たちがなしうることも含め、長い時間の流れの中で、建築を位置づけ、考えていくという姿勢も求められているのではないでしょうか。
➂オリジナルの尊重、オ―センティシティ
以上のような視点を大切にしたいと考えますが、一方には建築は絵画や彫刻と同じようにつくられた時点におけるオリジナルなものに価値があるという考え方があります。オーセンティシティに重きを置く考え方です。
典型的なのが文化財ですが、つくられた時期あるいはある特定の時期における姿に価値があり、その状態をできるだけ保持しようとします。したがって耐震補強や、バリアフリー対応、使い勝手上の改変等を行う場合には、「オリジナル」と「後補」をはっきり分けられるようにするのが基本です。昨年の日本建築学会作品賞を受賞した、富岡製糸工場もこの考えに基づいて補強や展示施設としての後補がなされています。すべて取り外すことが可能ですし、見た目にも既存建築と別物として作られています。美しい鉄骨造建築ですが、既存の繭置き場の建物とは独立した作品として評価されたのだと思います。
オリジナルやある時期での価値にこだわることはモダニズム建築でも同様です。モダニズム建築の場合は、作家性に力点が置かれますが、その作家/建築家がつくった時の姿に復元することに意義が見いだされます。例えばミースのファンズワース邸やバルセロナパビリオンなどの復元が例となります。
歴史家の加藤耕一によると(加藤2017)文化財とモダニズム建築はオリジナルにこだわることで、同一の土俵にいます。新築は創造的ですが、改修は2次的創作という見方を共有しています。
④時とともに加わる新しい価値、時の中の一つの行為としてのリノベーション
しかし、近代以前はどうだったでしょうか。加藤耕一が指摘するように、後期ルネサンスのミケランジェロのサンピエトロのドームは彼の作品ですが新築ではありません。先人の作品へ手を加えた改修です。歴史的建築にその時々の人間として手を加えて、次代に継承していく。一つの時点に完成があると考えるのではなく、建築も時とともに生きていくものだという考え方です。「オリジナル」と「後補」が分けられているのではありません。作家側から見ると歴史の一コマに参画するという意識、人生は短いけれど、建築を長く伝えていくということでしょう。
この考え方に立てば、スカルパがカステルベッキオでやったこともよく理解できます。どこからどこまでがスカルパの手になるのかよくわからないところもたくさんあります。
先に見た富岡製糸場とは大きく異なります。優れた建築家が、今あるものとの対話をしながら、必要なものを付け加え、また少しずつ手を加えていく。それによって現代に対応できるし、また空間としての魅力が時間の中に加わる。魅力的にあり続けるということです。 もちろんスカルパは自由気ままに腕を振るったわけではなく、例えば階段一つを取ってしても、元のものをきちんと尊重したうえでその時点での自分のオリジナルを加えているのです。新旧一体で一つの作品です。
ジャンカルロデカルロもそうした新しい作品をたくさん生み出しています。ウルビノの旧市街への入り口にあるサンツィオ劇場など、元の建物と分離して考えることができません。
ほかの事例をみます。ストラスブール駅はどうでしょうか。ジャンマリーデュティヨールJean-Marie Duthilleul (2007)です。私は元の建物と加えられたアーケードが相まって全く新しい一つの作品になっていると思います。
ノーマンフォスターや、より若いデビッドチッパーフィールドやトマスヘザウィックの作品も既存建築と合わせることで新しい第三の価値を生み出しています。
以上のように見てくると富岡製糸所の方法とはだいぶ違っています。富岡製糸工場にあったのは美しい自立したS造の構造物です。既存文化財建築とはあくまで別の存在です。しかし、スカルパなどの作品は相当入念に見ない限り、元の建築と後補をはっきりと分けることはできません。またヘザウィックなどは分けることは可能ですが、すでに付加したものがないとこの建物の魅力が半減するという印象があります。この違いは、富岡製糸場が国宝であり価値が高く、スカルパが手掛けたカステルベッキオなどの事例が、文化的価値が低いということではないと思います。歴史や創造性に対する考え方に2つあるということです。歴史的建築に向き合う時には、オリジナルの価値に敬意を払うことは当然ですが、付け加えたものも含めて新しく価値を生み出していく、新しい創造を行うという意識も大切にしたいと考えています。私の考える保存再生は、決して時を止めることにあるのではないのです。
高谷時彦 建築・都市デザイン
Tokihiko Takatani architecture/urban design
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