工学院大学K先生の設計スタジオで教えています。
普段は学生に1週間の成果を発表してもらいますが、時には先生方も学生の前で自分の作品や研究成果を発表し、参考にしてもらいます。先週は私の番でした。
設計課題の授業も時代を反映します。昔は、与えられた敷地=更地と考えたものですが、最近は敷地に今ある建築を前提に「保存的再生」に取り組みたいという殊勝な学生も散見されるます。そういった人に多少参考になるかと思い、まちキネについてショートレクチャーをしました。
その折今取り組んでいる木造3階「イチローヂ商店」のスライドも紹介しました。たまたま、東奔西走超ご多忙のF先生もいらっしゃたので、「イチローヂ」は昭和初期の民家で、スパンが飛んでいるわけでもないのに小屋組みがトラスで出来ているという話をしてみました。この地域にはほかにも民家のトラス構造が見受けられます。このあたりをどう考えたらよいのでしょうか、という話をスライドを見ながらしました。
早速、こういう方面に造詣の深いF先生から明治27年の庄内地震(酒田地震)との関連があるとの有益なご指摘をいただきました。
F先生のアドバイスを頂いた後、以前読んだ源先生の本『木造軸組み構法の近代化』の脚注を丁寧に再読するとF先生の次のコメントが出ていました。
震災後出された耐震化についての指導は「よく守られたらしく、今でもこの地方に行くと純伝統木造住宅なのに妻壁に斜材が入り、ちゃんとした洋式トラスになっている例をしばしば見かける」(藤森照信「佐野利器論」 所収 鈴木博之他編『シリーズ都市・建築・歴史 九 材料・生産の歴史』)。
また、源先生も、本文の中で山形のある町家の改修でトラス梁が採用された事例を紹介しています。やはり、耐震化の指針やそれに関連する調査などを丁寧に調べていけば、この地方の民家トラスのことがいろいろ分かりそうです。
これまで明治27年の庄内地震が建築学会の在来構造の耐震化の取り組みに大きな影響を与え、またこの地域の一部の建築に影響を与えたことは、源先生の『木造軸組み構法の近代化』や重要文化財「丙申堂」の小屋組みなどから分かっていました。丙申堂の台所広間は大スパンであり、地震のことを考えた小屋組み構造を採用したことが解説されています。
しかし、小径間の民家の小屋組みまで耐震指針の影響があったかどうかをどう考えてよいのか分かりませんでした。また、地震対策の議論も基本は壁、筋交い、貫き、指し鴨居などの作り方ですので、小屋組みの改良はむしろ、この地方に多い公共建築あるいは明治期からの先進的な建築文化、気風の影響としたほうがよいのかなと思っていました(例えばイチローヂと同時期の旧図書館(大正末)もそれほど大きいスパンではありませんがトラスでした)。
しかし、これからは耐震指針との関連で調べていったほうが良い結果に繋がりそうです。
ところで、地元の大工さんにヒアリングをしましたが、住宅のトラスについては見たことがないという話でした。また、地元のみならず各地で伝統構法の家作りを続ける大工さんにもイチローヂを見てもらいましたが、民家のトラスはあまり見たことがないようでした。そもそも皆さん民家とトラスの関係には興味がないようです。
これはこれでどう考えたらよいのか、いづれにしても「イチローヂ商店」とは長くお付き合いすることになりそうなので、いろいろ調べてみたいと考えています。