視察2日目(7月3日)。
午前中に勝山市役所のヒアリングを終えたあと、松文産業本社に向かいました。
松文産業とは少なからぬ縁があります。
私たちが設計した鶴岡まちなかキネマは松文産業鶴岡工場移転跡地を㈱まちづくり鶴岡が購入し、そのうちの絹織物棟(織部)を映画館に保存活用したものです。その縁で、松文産業さんとは、社長様をはじめとする皆様とお付き合いさせていただき、何かとお世話になっています。
今回も、越前名物のおろしそばをご馳走になりながら、まずは女子寮(下写真)を見学させていただきました。
昭和8年(1933)に建てられた松文産業株式会社の女子寮は経済産業省の近代化産業遺産になっています。「はたや(織物屋)」のまち勝山にふさわしい産業遺産です。産業遺産のホームページ解説によるとこの時期、松文には25棟の工場があったそうです。
社長さんたちのお話を聞くと女工さんたちが生活する一つの街をそれぞれの機屋さんがつくっていたそうです。今でも松文保育園があります(今は会社の人だけではなく一般の人たちが殆どだそうです)。今でいう企業城下町というよりは、オーウェンのニューラナークやフーリエのファランステールが思い出されます。
このほか他の機屋さん(明治37年創業の木下機業)の工場跡が夢オーレという名の織物ミュージアムとなっています。
午前中の市役所ヒアリングを受けて午後は実例を見学しました(ご紹介いただいた市役所F様有難うございました)。
ところで、視察先の手配などしてくれた大学院事務室のNさんは「福井の人は何でみんなこんなに親切なのか。福井には不親切な人はいない」と断言していましたが、私も同意します。
まずは、澤田屋呉服店。やはり本当に御親切な方でおうちの中の写真も取らせていただきました。明治29年の大火直後の建築です。本町の建物は大火後直ちに一斉に建て変わったそうです。
ちなみに軒はいわゆる出桁造りです。しかし、腕木ではなく、太い登り梁(合掌)で桁を受けています。下の写真のように(これはほかの建物です)。
当然登り梁は棟まで到達していると思ったら、こんな風に継ぎ手で部材を変えています。
登り梁で内部空間を高く確保してはいるのですが、材については外部と内部でサイズを変えているのです(これは一般的な手法でしょうか)。
続いて丸屋松月堂。丸屋さんは地域の役員を長くおやりになっていて、300年の伝統を持つ左義長祭り(どんと焼き)の興隆のためにも尽力された方です。
このお宅の店先にはなぜか赤瓦(越前瓦)が。また柱の礎石は錫谷石です。北前舟で越前から庄内に運ばれた二つの物産が自然に店頭に鎮座しています。
またこのお宅はこの地方特有の外転びの柱(外壁)となっていますが、その話しは後日別の機会にします。
上の写真は上袋田区やぐら会館の太鼓やぐら。本来は祭りのたびに組み立てていたが人手不足で組み立てたまま置いておくことになった由。明治16年建立。二軒、扇垂木。入母屋。2月のお祭りの時にはレールで道路に運ばれます。勝山といえば左義長祭りだそうですが、この話も別の機会に・・・。
ところで勝山は恐竜のまちです。まちの中にも小さな恐竜がいます。
視察の2日目(7月3日)の午前中は勝山市建設部都市政策課のFさんから勝山市歴史的まち並み景観創出事業についてお話を伺いました。F様お忙しいところ有難うございました。
勝山市では「外壁を漆喰、板張りなどの伝統的工法やこれに準じたもので景観に配慮したものや、門や塀、看板なども景観に配慮し創意工夫を行っていただいたものに補助金を交付」(市のパンフレット)しています。
既に県の制度として(詳細は後で述べますが)「ふくいの伝統的民家」の制度があり、その認定を受けた建築には改修時に補助金(市の助成の半分を県が裏負担)が出ます。勝山市の場合はそれに市独自の制度をうまく組み合わせて、3地域区分×3建築区分のマトリックスに対応したきめ細かいインセンティブの体系をつくりあげています。
勝山市には景観法に基づく景観計画に定める景観形成地区が二つあります。内一つが中心部の本町通り沿線です。ここには平入りの町家が軒を連ねます(下写真)。
この沿線の伝統的民家(ふくいの伝統的民家も含まれます)は修理費の2分の1を限度に300万の補助が出ます。そこまで行かない一般の建築物は200万が限度です。
この沿線以外の旧市街地エリアでは、上記の補助金がそれぞれ200万円と150万円となり、50万円のダウンです。
旧市街地やそれ以外の市街地では、ふくいの伝統的民家以外は補助が出ません(補助額200万円)。逆に言うと「ふくいの伝統的民家」であれば景観形成地区では300万円、それ以外はどこでも200万円補助されるということです。
補助は建築だけではなく門や塀、広告なども対象となります(下写真)。
行政が伝統的民家かどうか判定し、補助金対象としたりしなかったりすることや補助額に差をつけることはなかなか難しい要素も含んでいると思います。私が普通設計している「モダン建築」は1円ももらえず、漆喰や板張りを行った住宅は補助されるということですから。
しかし、「伝統」を守っていくということが住民のコンセンサスになっているならそれも良しです。実際には市長の強いリーダーシップが発揮されたようですが結果オーライ、私も大賛成です。ヨーロッパの建築家はずっとそういう状況の中で設計活動をしてきたわけですし、むしろ私たちの「モダニズム」の質が問われるということでしょう。
7月2日から4日にかけて研究室メンバーで、越前福井を視察しました。
今日はその2。7月4日最終日、福井県庁前のホテルから、南西方向、越前町をめざしました。
まずは下の写真をご覧ください。
越前町江波。高台の小学校から撮っています。
「妻側を柱と梁で格子状とした漆喰塗りの切妻屋根の農家」というのが「福井の伝統的民家(これについてはあとのブログで説明します)」の一つの典型です。しかし、これは美しい。
江波の民家を仔細に見ることはできませんでしたが、隣接する樫津集落のM邸(福井県庁のT氏から紹介してもらいました)を紹介します。
こちらのお宅は相当手広く多角経営をされていますが、とくに家自体がほかよりも特別に大きいということではありません(下写真)。
周りのうちも似たような形式です(下写真)。
この地域の民家には共通の形式があります。これらは以前茅葺だったものが明治以降建て替えられたのですが、そのときにこういう形式が「はやった?」ものと推測されます。もともと下屋の部分は土間と馬やだったという話ですから、以前茅葺の時代の本屋から角家として飛び出た部分がこの下屋に相当すると思われます。
地元の福井工業大学や福井大学の先生方がこの「ふくいの伝統的民家」制度には深く関わっておられるとのことでしたので、民家としての系譜についての研究もあるものと思われます。