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ブラタモリ尾張名古屋は家康でもつ

2017-06-12 09:10:12 | エッセイ
ブラタモリ、名古屋市は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という戦国の英雄ゆかりの町。そして金のシャチホコ名古屋城の城下町で、信長・秀吉は、名古屋がある尾張の出身、家康は隣の三河国の出身、どうして家康が関係していたかの謎に迫る旅1回目でした。写真はyahooより。

「尾張名古屋は城でもつ」ならぬ「家康でもつ」は人口230万の名古屋の「町」と「城」は、江戸時代のはじめに、徳川家康が一からつくりあげたもので、まず名古屋城の本丸へ。高さ2メートルもある金のシャチホコのこけらを凧に乗り、盗みをしたが、大阪で足がついたとか。

天守の延べ面積は日本一で、建物は昭和20年の空襲で焼け再建された名古屋城の強さは、門の前に堀や土塁で囲んで攻めにも、守りにも強くした空間の搦手馬出(からめてうまだし)でも分かる。また、台地と低い湿地の境に土や石で盛り付けした巨大な堀に、大名が花崗岩で石垣を普請、向かい側の石垣は別の大名が砂岩で普請したように、豊臣方にも普請させた天下普請で造営されていた。

続いて城下町へ向かったタモリさん。名古屋の城下町は、城の南側に商人の町が碁盤のように1辺が100メートルの正方形の区画がずらりと並んで、魚の棚通りなど、かって尾張の中心清須の町通りの名がつけられておった。そして、東西南北全てを賑やかにして商売を盛んにする狙いがあった。その町割りの真ん中に現在タワーパーキングが4か所もあり、かっての町割りの周囲の共有地で関所のような役目もしていた。次回をお楽しみに。


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