出光美術館閉館で、友が東京行きの話しから、私もお別れしたかったので「私も連れてって」
私は以前、1940出光興産として改組設立した所に2年ほど勤め、通勤バス事故で車いす生活になったが、
懐かしさが甦り、美術館は東京駅の近く丸の内ビル帝国劇場の4Fから上が本社で、
美術作品は、創業者1885年生まれの出光佐三さんが集めたもので、一つ一つが出光さんに見えてくる。
会津の一事務員である闘病の私を見舞いに来たのも、出光さんは「社員は家族」と言っていたからで、
呼び名も社長でなく「店主」で、初めて訪ねたのは昭和48年(1973)で応接室の棚に花瓶が飾れていた。
花瓶には桃の彫刻が施され見とれていると、店主は良いだろうと無造作に私の車椅子の膝に載せた。私は花瓶を抱きしめるように撫でた。
後日、その花瓶を美術館で見たが、陶芸界初の文化勲章受章者・板谷波山の作品と分かり、国の重要文化財であった。
何度目か伺った時、店主は抹茶を点ててくださり、頂いている時、店主が悪戯っぽく、それはね「命乞い」の茶碗というのだよ。
波山さんと出光さんは交流が深く、奥さんから「出光さん、助けてください」と電話が入った。
行ってみると、波山さんが、窯から出したばかりの作品を次々と割っている。完璧なものしかこの世に残さない主義。
家計は苦しく、6人の子供に食べるもの着るものもまともに与えられずの当時の生活だった。
その中で、危機一髪、割らずに済んだ茶碗の一つが、この抹茶碗で、これも今回の美術展に並んでいた。
私は深く頭を垂れ、手を合わせ別れを告げた。ハイ!みんぽう11月号より。
いい出会いといい美術作品の思い出である。私仙岩がいつも抹茶を頂いている京都で買った茶碗です。