我が家の庭に咲くゼラニューム、アオイ属の多年草、寒さに弱い。葉は互生し模様がある。花は赤白ピンクといろいろである。
この花も散りまた別に咲き出す。
母の日に、娘からカーネーションと夏のシャツなど頂いた。私達にも母がいた。その母にも母がいた。すべての母に感謝。
こんなことから、我妻は方丈記を思い出し気が楽になったと。
この世に生があれば必ず滅する。これは世の習いである。
また、親鸞は生きとし生きるものを頂き生かされている悪人であると。
長明は「方丈記」の冒頭に、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。
水の泡は生まれては消え、消えてはまた生まれる。存在するもの何一つとして同じ状態でいることはない。
自然も人も万物も、必ず変化して流転してゆき、朝に死に、夕に生まるるならひ、無常即ち常なるものなしという宿命である。
すると、妻はいままで怖かったけれど、いつ死んでも当たり前と思えると、気が楽になったという。
追記、参考文献は、五木寛之著「歎異抄の謎」、中野孝次著「方丈記」「徒然草」などです。
この花も散りまた別に咲き出す。
母の日に、娘からカーネーションと夏のシャツなど頂いた。私達にも母がいた。その母にも母がいた。すべての母に感謝。
こんなことから、我妻は方丈記を思い出し気が楽になったと。
この世に生があれば必ず滅する。これは世の習いである。
また、親鸞は生きとし生きるものを頂き生かされている悪人であると。
長明は「方丈記」の冒頭に、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。
水の泡は生まれては消え、消えてはまた生まれる。存在するもの何一つとして同じ状態でいることはない。
自然も人も万物も、必ず変化して流転してゆき、朝に死に、夕に生まるるならひ、無常即ち常なるものなしという宿命である。
すると、妻はいままで怖かったけれど、いつ死んでも当たり前と思えると、気が楽になったという。
追記、参考文献は、五木寛之著「歎異抄の謎」、中野孝次著「方丈記」「徒然草」などです。