ブログ仙岩

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長明の辿りついた境地

2021-05-17 05:02:36 | エッセイ
我が家の庭に咲くゼラニューム、アオイ属の多年草、寒さに弱い。葉は互生し模様がある。花は赤白ピンクといろいろである。
この花も散りまた別に咲き出す。
母の日に、娘からカーネーションと夏のシャツなど頂いた。私達にも母がいた。その母にも母がいた。すべての母に感謝。
こんなことから、我妻は方丈記を思い出し気が楽になったと。
この世に生があれば必ず滅する。これは世の習いである。
また、親鸞は生きとし生きるものを頂き生かされている悪人であると。
長明は「方丈記」の冒頭に、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。
水の泡は生まれては消え、消えてはまた生まれる。存在するもの何一つとして同じ状態でいることはない。
自然も人も万物も、必ず変化して流転してゆき、朝に死に、夕に生まるるならひ、無常即ち常なるものなしという宿命である。

すると、妻はいままで怖かったけれど、いつ死んでも当たり前と思えると、気が楽になったという。

追記、参考文献は、五木寛之著「歎異抄の謎」、中野孝次著「方丈記」「徒然草」などです。


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1 コメント

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Unknown (仙岩)
2021-05-17 10:46:27
コロナ感染拡大の時、いつ感染してもおかしくない我身、負けてたまるかと無常観がただよう。
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