ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

山菜の蕨

2017-04-30 05:45:00 | 問題
午前中、写真はいわき市小川の山で収獲したもので、即、茹で重曹を入れてあく抜きをした。

その後、少し湯通しして、鰹節醤油でお浸しで毎日頂いている。

コバノイシカグマ科のシダで、山地の日当りのよい乾燥地に群生している。世界の温帯地方に広く分布し、早春、地中の根茎からこぶし状に巻いた新葉を出し、食用でもこのこぶしを目に悪いからと食べない地方もある。8月頃まで新芽が自生し、葉を広げると土が見えないほどに群生する。

蕨湖、蕨粉、蕨糊、蕨餅・・・と沢山の蕨に関する言葉や埼玉県には地名になっている。

天井の尾瀬雪解け進む

2017-04-29 09:20:48 | エッセイ
25日の福島民報トップ記事に、尾瀬沼の写真が載っていた。

尾瀬国立公園は今年で日光国立公園から独立して10周年になると。節目のシーズンに、標高1,665mの尾瀬沼周辺では雪解けが進み、春の気配を増している。

夕暮れの幻想的な標高2356mの燧ヶ岳が沼の水面に勇姿を映している。

こんな写真を撮って、新聞社などに提供して商売ている方と飯豊山で出会ったことを思い出す。

尾瀬沼へは、群馬県大清水登山口から入山できるが、山開きは5/19と。

ブラタモリ「箱根の地獄が極楽を生んだ?」

2017-04-28 08:18:55 | エッセイ
22日滝桜撮影で、ブラタモリ録画、昨夜見ての感想である。近江さんは黒卵で訪れたが箱根は知らないと。

2015年に火山噴火灰100tの最小規模噴火を起こした箱根火山は年間2000万人が訪れる観光地を大涌谷の地獄が作った謎に迫る旅であった。

箱根火山は冠ヶ岳、台ヶ岳、金時山などの外輪山でできた大きな南北8㎞、東西11kmの4つカルデラ(直径1㎞以上をカルデラと)の集合で、明治時代には外国人が訪れるホテルが立ち並ぶ宮ノ下温泉はマグマから噴き出る食塩泉で、崖から流れ出る70度の温泉を確かめ、太閤の石風呂を見て、1日1000tの湯量が6万円前からできたという。

神山が3000年前山体崩壊で扇状地と堰き止め芦ノ湖ができたことを長尾峠から確認、芦ノ湖を船で、猪目がハート縁結びの九頭竜神社で、神になる前毒竜の正体を、また、船の魚群探知機で2100年前の流木を確かめ、地震や地滑りで出来ると説明を受けた。

土の中の神代木で作った黒と茶色模様の寄木細工の温泉場で足湯に浸かり、90度の硫黄の白濁湯はゴルフ場内の池が湧き水で、この水を大涌谷の蒸気と合わせて、温泉にして利用しているという。地獄が極楽になった温泉を確かめた旅であった。

我が家のチューリップ

2017-04-27 09:40:18 | エッセイ
チューリップとの出会いは、父が畑で育てていたから、物心がついたときからである。

毎年、秋に3~5個お店から買って植えつけているから100以上花が咲いている。花びらが落ちるまで鑑賞するので、球根が大きくならない。今年は先日の強風で赤のチューリップの花が折れてしまった。この球根は大きくなるであろう。

家の畑のまわりに4か所、前庭にも4か所、門扉のところは道路から目立つので、小学生が、「咲いた咲いたチューリップの花が、並んだ並んだ赤白黄色・・・」と歌いながら下校している。

チューリップはユリ科の球根植物、中央アジア原産で高さ30~50cmの地下鱗茎、披針型の葉で、花は赤白黄色、紫など6弁の鐘形で、オランダで改良が進められ、福井や新潟で多く栽培されている。球根を出荷する農家では、花は摘み取る。




大石邦子の「少女」

2017-04-26 08:29:20 | エッセイ
 去る3月11日、私は一日中パソコンの前に座りながら一文字も書くことができなかった。6年前の津波の映像がが蘇り、2万人余りの命を奪った地獄のような波音が聞こえていた。
 愛する家族を奪われた人々、未だに遺体の見つからない子供を探し続ける親。潜水夫の資格を取り、毎日海に潜って妻の遺体を探し続けている夫。そして、親を失った子ども達。
 あの子は小学1年生だったと思う。津波で両親を亡くし、仙台の祖父母の家に引き取られた。学校でも明るく祖父母を困らせることはなかった。
 近所に犬を飼っている家があった。その犬が死んだ。それを知った少女は、もう誰が止めてもダメだった。泣いて、泣いて、体を支えきれないほどに泣き崩れた。
 その犬の死に重ねていたのが、今まで耐えに耐えてきた。泣くことの出来なかったお母さんの死であり、お父さんの死だったのだと、私は思った。いい子であるために我慢に我慢を重ねてきた絶望的悲しみが、堰を切って溢れだしたのだと・・・。
 私はこの少女のことを思い出すたびに涙がでる。パソコンを打ちながら、今も涙をぬぐっている。私もまた、この少女に自分の無念さを重ねているのかもしれない。
 あの少女は今、どうしているだろう。中学生になっているはずである。
 今年の桜を見ただろうか。

 私も、このような文章に出会ったり、毎月の日めくり過去帳の11日の姪の名前を見ては涙する。未だにゴウという音を聞くと我が町の津波を思い出す。