ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

日本レコード大賞に5度目のEXILEが受賞

2013-12-31 10:45:17 | 日記
昨夜6時半から第55回日本レコード大賞(日本作曲協会主催)をみた。その前にEXILEが「I WISH FOR YOU」と、AKB48の動きの悪い曲を聞いた。比較するとやはり曽野綾子さんがいう、幼稚園の腰ふりダンスと評したそのものであった。

すぐ、他チャンネルに変え、司会たけし&上田晋也さんの「成功の遺伝子」を見た。
安倍総理は映画をあげ、珍獣ハンターのイモトはバンジージャンプに挑戦しても出来なかったことで、幻冬舎(曽野さんの人間の成熟とは・・など)社長「憂うつでなければ仕事じゃない」から、バンジージャンプや過酷な登山にも挑戦成功させている。

また、浅田真央は衣装をもらった人に、荒川静香は同じ年齢の女の子の滑りの回転のうまさから、その羽生選手は2006年トリノ五輪で唯一獲得の金メダルの荒川静香さんのイナバウアーをただ一人男子で受け継いでいる。そして、宮城仙台のスケート場が経営悪化で閉鎖、荒川静香さんの金メダル受賞インタビューで、スケート場閉鎖を口にすると、県知事が支援スケート場が再開そこの会場に少年羽生選手がいた。

いよいよ、ラストでまた、大賞にチャンネルを変えると、やはりEXILEの「EXILE PRIDE~こんな世界を愛するために~」で、初の5度目の受賞、HIRO最後のステージを飾った。司会の安住&上戸彩さんでスムーズに進行していた。本年のアクセスに感謝しよいお年を。

井深八重もナイチンゲール記章受賞

2013-12-31 10:02:08 | 日記
昨夜八重の桜総集編後半を見た。白虎隊や二本松少年隊など戊辰戦争での悲劇の歴史が分かり、日本各地に散った会津人が会津魂を心の底に抱き活躍することにみんなが感動、最期に頼母が八重に散ってもまた咲く桜だといった。

その会津藩家老西郷頼母の妹が井深八重(1897~1989)の祖母で、八重が7歳で両親が離婚、祖母や伯母たちに育てられ、13歳になり、山本覚馬、新島八重ゆかりの同志社女学校に8年間寄宿生活して、家庭的な楽しい生活を送った。

大正7(1918)年専門学部英文科卒業、21歳で大いなる希望を胸に長崎県立高等女学校の英語教師となった。しかし、その夢は一瞬にして消え、打ち沈む伯母たちの迎えで記念写真に収まり、何が何だかわからないまま静岡県の神山福生病院に隔離された。そこは日本初のライ病院であり、ここに来た訳を知りその衝撃は表現することはできないものであった。

しかし、奈落の底に突き落とされた八重の絶望を支えてくれたのが老病院長フランス人神父で、3年後の検査で誤診と分かり出所、残されたライ患者を思い、東京看護婦学校に入学、看護婦の資格取得して、神山福生病院にたった一人の正看護婦として戻ってきた。1961年赤十字国際委員会からナイチンゲール記章、1961年朝日社会福祉賞を受賞した。

八重は生涯ハンセン病患者救済のために尽くし「一粒の麦」の墓標の下に今も眠る。

日本歌手協会主催第40回歌謡祭を見て

2013-12-30 10:40:00 | 日記
昨夜八重の桜総集編をみて、続いて、50年を迎えた日本歌手協会の「歌謡祭」を見た。

素晴らしい面々で大丈夫歌えるのかと心配して見ていた。が、曽根史朗さんの「若いお巡りさん」や倍賞千恵子さんの「かあさん」のうたなど声量の衰えを感じさせない歌に感動した。

中村メイコさんが着物姿で、顔のしわが大変増えても声の張りには衰えを感じさせなかった。紅白の司会さながらの紹介で全然昔と違和感がなかった。また、端やんの歌「大利根月夜」「かえり船」も紹介され、本人の歌が聞けないのは残念であったが。

平野啓子さん司会で朝丘雪路さんの歌「島育ち」が紹介された言葉に奄美の島が返還60周年といった。27日ラジオ深夜便で、奄美からの放送で、昭和28年に米国統治からパスポートのいらない日本に返還されて60年という。その陰には、並々ならぬ返還を勝ち取る努力があったことが紹介されていた。

テレビ放送も60年ここから生まれたヒット曲、また、レコード発売85年になり、外国での録音が日本で録音されてプレスされた時の感動を話していた。歌手協会と共に昭和・平成を振り返る歌の数々が披露され感動したテレビ放映であった。
中でも、青山和子さん「愛と死を見つめて」、梓みちよさん「こんにちは赤ちゃん」の歌詞では涙を誘われた。

メディア社会のさとり男子はおやじ女子が好き

2013-12-29 09:58:28 | 日記
ソーシャルメディアによって交友関係が筒抜けになり、恋愛しやすい環境にありながら、さとり世代の7割の男性に恋人がいない。

サークルに入っても、暗黙のルールで恋仲になることを禁じている。
メディアにより男女の交流が増えると友人との交流SNSの普及で、余程好きでないとアタックせず、付き合えば口コミで疑心暗鬼から束縛され、そうした面倒から逃げるため男子会とか女子会で集まり、居心地のいい同姓コミュニティが重視される。だから出会いは増えても恋愛は減る。

SNSから女子会では情報交換が行われ行動がお互いに分かり、特に男子が委縮し草食男子と、女子が強くなり肉食女子と言われ、主導権は女子が握ってしまう。が、一方では39歳の篠原涼子が演ずる「おやじ女子」のように強い女性にさとり世代の男子は憧れる。

しかし、さとり世代の女子はバリキャリでは婚期が遅れてしまうから、結婚するなら同世代という暖かな家庭生活を夢見てい居る。今の寂しさを男子はスマホで、女子は男友達で満足し、父と一緒に歩いたり父のような人と結婚したいという。また、男子は母と二人で旅行したりと友達親子が増加、親離れができず、堅実生活と見えても自立に欠ける生活が目立ち、少子化とメディア現象からますます結婚が遠のく歪み世代と思う。

五木寛之の「歌の旅びと」福井県編を聞いて

2013-12-29 08:24:05 | 日記
昨日はユズ風呂に浸かりおわって、一年の垢落としとお風呂の掃除で疲労早寝、早起きで「歌の旅びと」を途中から聞いた。
だから、歌の紹介は2曲だけで。

五木寛之さんの「明日へのことば」の中、月末に「歌の旅びと」として放送、今回は33回福井県編で須磨佳津江アナとのトークで話が進行する。同じ時間帯で以前「こころの時代」で「わが人生の歌がたり」として、やはり須磨佳津江アナのナレーションで放送していた。角川書店「昭和の哀歌」「昭和の青春」「昭和の追憶」の世に出ているが、これの続編のような放送である。

ラジオ深夜便のイントロのテーマとして
流れゆく川のように、時代は移り、人も変わる。その後に一つの歌が残り、過ぎゆく季節の記憶を奏でる。そして五木さんはつらい時、悲しい時に、わたしは歌をうたって生きてきました。その流れゆく歌のかけらを一つずつ拾い集めているうちに自分の生涯が影絵ように浮かび上がってきた・・・・そんな人生の歌がたり・・・と。

今朝の放送で、福井県には著名人が沢山おり、はなびしあちゃこ、宇野重吉とか・・・そして、歌では水森かおりの東尋坊、五木寛之作詞、五木ひろし作曲「ふりむけば日本海」を聞いた。
また、越前や若狭は裏日本として、太平洋の表日本の陰のように思われるが、京都に近く、外国との交流が日本海が主であったり北前船など、以前の越前ガニは子供のおやつであったという、鹿児島で食べるサツマイモと同じように何とも羨ましいお話であった。