我が家のマルバグミが赤い実をつけ、2,3個とって食べると渋みがありほんのり甘く、今朝も頂きました。
グミ科の常緑または落葉の低木で、我が家のグミは落葉で葉が丸みを帯びている。浜辺に多く、寒さに強い。花は春先白い小さな筒形の烏帽子のような形のもので、咲き終わると沢山地面に落下する。
前年枝の節から伸びた新梢に開花後緑色の実をつける。時がたつと黄色に、最後に写真のように赤くなる。食べると渋みと酸味、リコピンを多く含むが、種によってはタンニンを含むため、渋みが強いことがある。
他に、葉が細長いナワシログミは西日本に多く、アキグミもある。
グミ酒を作ったり、渋みから、整腸作用で生活習慣病にも役立つと。小さい時からグミとかユッサ、スグリなど渋みのある実を頂いてきた。地元の自然食が大好きである。
グミ科の常緑または落葉の低木で、我が家のグミは落葉で葉が丸みを帯びている。浜辺に多く、寒さに強い。花は春先白い小さな筒形の烏帽子のような形のもので、咲き終わると沢山地面に落下する。
前年枝の節から伸びた新梢に開花後緑色の実をつける。時がたつと黄色に、最後に写真のように赤くなる。食べると渋みと酸味、リコピンを多く含むが、種によってはタンニンを含むため、渋みが強いことがある。
他に、葉が細長いナワシログミは西日本に多く、アキグミもある。
グミ酒を作ったり、渋みから、整腸作用で生活習慣病にも役立つと。小さい時からグミとかユッサ、スグリなど渋みのある実を頂いてきた。地元の自然食が大好きである。
いわき市久之浜弁天島の鳥居の新設置、波立薬師寺の紫陽花など撮影で波立海岸に行く機会が多くなった。
25日にも出かけた。紫陽花は少し早い感じであるが、また紫陽花の前に仮設の建物が建ち、一番いい眺めの土手の紫陽花が楽しめない。
弁天島の岬の崖に行くと、北限のヤツデやツワブキ(写真で、左にトベラも見える)が自生している。
ヤツデではウコギ科の暖地の常緑低木で、葉は大型で質が厚く、八つ手の形をしており、葉柄は長い。子どもの頃、ヤツデの葉にムスビを包んで食べてはいけないと親から言われた。しかし、去痰の生薬という。すると、相馬でもヤツデは庭木としてトイレの近くに植えている。では北限とは、自生していることである。双葉や相馬で自生のヤツデは見たことがない。
勿論ツワブキも見ていない。これは、キク科の常緑多年草で、暖地の浜辺に自生している。葉は艶があり、葉柄は長く若いものは食用にする。腫物や湿疹などの薬用に利用。蕗は薄緑であるが、ツワブキは濃い緑で、葉は質が厚いの違いで形は同じである。
25日にも出かけた。紫陽花は少し早い感じであるが、また紫陽花の前に仮設の建物が建ち、一番いい眺めの土手の紫陽花が楽しめない。
弁天島の岬の崖に行くと、北限のヤツデやツワブキ(写真で、左にトベラも見える)が自生している。
ヤツデではウコギ科の暖地の常緑低木で、葉は大型で質が厚く、八つ手の形をしており、葉柄は長い。子どもの頃、ヤツデの葉にムスビを包んで食べてはいけないと親から言われた。しかし、去痰の生薬という。すると、相馬でもヤツデは庭木としてトイレの近くに植えている。では北限とは、自生していることである。双葉や相馬で自生のヤツデは見たことがない。
勿論ツワブキも見ていない。これは、キク科の常緑多年草で、暖地の浜辺に自生している。葉は艶があり、葉柄は長く若いものは食用にする。腫物や湿疹などの薬用に利用。蕗は薄緑であるが、ツワブキは濃い緑で、葉は質が厚いの違いで形は同じである。
今朝、目覚めラジオにスイッチを、倍賞千恵子「さよならはダンスの後で」を聞いて、4時台明日へのことば、八神純子「かじかんだ人の心に歌を」のトークを聞いた。
八神と言えば、アメリカ帰りの「パープルタウン」しか知らないが、名古屋八神製作所の長女に生まれながら、3才からピアノを習い、高校で素晴らしい「雨の日のひとりごと」の作詞作曲が有名になっていた。
ロスでの子育て、15年のブランクで、阪神淡路大震災が起き、何かできないかとメールしたが反応なし。私の歌は役に立たないと思ったと。しかし、2011年に東日本大震災が起き、やはりメールしても反応なしで、現地へと。
まずメールで、現地を知っているからという方の案内で、岩手では1日に5回も、カラオケバージョンで歌った。が、故郷とか童謡では反応なしが、パープルタウンになると目が輝いたと。しかし、すぐの別れで尾を引き、1日2~3回にしたと。これも、山形のプロのシェフが炊き出しをし、合わせて歌での支援でできたこと話していた。ロスから月1回の支援ですが・・・。ラジオ深夜便「さくら証書」を聞いている。
そして、司会者に、支援して一番心に残ることは、大槌町での3人の子供たちとの出会いで生まれた「枯れ木に花を咲かせましょう」を子供たちと歌ったことと、そして、3人の女の子の中に素晴らしいピアノが弾けることを知り驚き、最後に八神バージョンの歌で締めくくった。八神純子のバイタリティーに感動!
八神と言えば、アメリカ帰りの「パープルタウン」しか知らないが、名古屋八神製作所の長女に生まれながら、3才からピアノを習い、高校で素晴らしい「雨の日のひとりごと」の作詞作曲が有名になっていた。
ロスでの子育て、15年のブランクで、阪神淡路大震災が起き、何かできないかとメールしたが反応なし。私の歌は役に立たないと思ったと。しかし、2011年に東日本大震災が起き、やはりメールしても反応なしで、現地へと。
まずメールで、現地を知っているからという方の案内で、岩手では1日に5回も、カラオケバージョンで歌った。が、故郷とか童謡では反応なしが、パープルタウンになると目が輝いたと。しかし、すぐの別れで尾を引き、1日2~3回にしたと。これも、山形のプロのシェフが炊き出しをし、合わせて歌での支援でできたこと話していた。ロスから月1回の支援ですが・・・。ラジオ深夜便「さくら証書」を聞いている。
そして、司会者に、支援して一番心に残ることは、大槌町での3人の子供たちとの出会いで生まれた「枯れ木に花を咲かせましょう」を子供たちと歌ったことと、そして、3人の女の子の中に素晴らしいピアノが弾けることを知り驚き、最後に八神バージョンの歌で締めくくった。八神純子のバイタリティーに感動!
昨日25日、JR常磐線で活躍してきたステンレス製電車415系が、いわき~竜田間を最終運行、約30年の現役に幕を閉じた。
旧国鉄時代の昭和46年に鋼製車体がデビューし、順次ステンレス製に更新された。銀色に青色の帯線が入った車両は通勤通学の足を支えてきた。
原発事故で、竜田~原ノ町間が不通になっており、ふくしまアフターDCに合わせて、特別なありがとうのヘッドマークをつけ、いわき駅を11:50出発、四倉のこ線橋付近を12:01過ぎ、フアーンという警笛を鳴らして走り去っていった。最後尾はライトがついておらず、乗務員の姿が見えない同じヘッドマークを付けたバックスタイルであった。
11:50に現場に着いたとき、警笛も鳴らさずに、新車両がいわき駅方面にすーと走り去った。思わずカメラを身構えた。
帰路は、竜田午後1時8分ごろ出発、1時58分ごろいわき駅に戻ると。
旧国鉄時代の昭和46年に鋼製車体がデビューし、順次ステンレス製に更新された。銀色に青色の帯線が入った車両は通勤通学の足を支えてきた。
原発事故で、竜田~原ノ町間が不通になっており、ふくしまアフターDCに合わせて、特別なありがとうのヘッドマークをつけ、いわき駅を11:50出発、四倉のこ線橋付近を12:01過ぎ、フアーンという警笛を鳴らして走り去っていった。最後尾はライトがついておらず、乗務員の姿が見えない同じヘッドマークを付けたバックスタイルであった。
11:50に現場に着いたとき、警笛も鳴らさずに、新車両がいわき駅方面にすーと走り去った。思わずカメラを身構えた。
帰路は、竜田午後1時8分ごろ出発、1時58分ごろいわき駅に戻ると。