ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

フキノトウ

2018-02-28 13:26:22 | エッセイ
2月に入っても、蕗の薹が全然見えない。寒い日が続いているからであるが・・・・。

それが、ここ数日の強い日差しで一気にフキノトウが顔を出した。例年なら、ぽつぽつと出るのに、なんとマー驚きである。

今晩は春の息吹に誘われて顔出したフキノトウ十数個の酢味噌和えで頂く。若い時はなんでこのような苦いものを食べるのかと不思議であったが、今その味が分かるようになった

蕗の薹は蕗の塔から来ているのであろう。早い時は12月の終わりにもう芽を出している。蕗の根茎から生え出た花茎であり、花が終わると、タンポポの花のように風にまみれて飛んでいく。「ふきのじい」とか「ふきのしゅうとめ」ともいう。

しょうがはちみつ漬け

2018-02-28 08:48:10 | エッセイ
今朝は4度と温かく、昨日は-1℃と寒い日が半月も続きました。そんな寒い日は、朝食後、体が温まるしょうがはちみつを小さじ一杯を、5,6倍に薄めて頂いているせいか、風邪もひかず過ごしています。

甘いものが得意ではないので、大分薄めて頂いています。これから、3月の始め、中頃と彼岸の寒の3回の寒さをしのぎ、赤井嶽の吹きおろしが過ぎてようやく暖かくなる「いわき」です。三坂では福寿草が見ごろと新聞に載っていました。

しょうがを皮ごとスライスしたものに、アカシア蜂蜜に漬け込んだしょうがはちみつ漬けです。しょうがの皮に含まれているポカポカ成分のジンゲロールを活かし、お湯割りで身体の芯から温まっています。

桃の節句

2018-02-27 09:19:03 | 問題
もうすぐ3月3日桃の節句が来ます。今朝もラジオから、折り紙で作ったひな人形を飾ったというキーボード演奏する83才のおばあさんのお便りが報じられていた。

正しくは上巳の節句で3月の最初の巳の日を指し、のちに3日に定まった。中国ではこの日に川で身を清める習慣が平安時代に伝わり、草木、紙や藁で作った素朴な人形に自分の厄災を移し、海や川に流してお祓いをする「流し雛」の習慣となった。 貴族階級の子女のひな遊びと流し雛から「雛祭り」が江戸時代に庶民にも伝わり、女の子のお祝いの儀式として定着した。

旧暦3月3日の頃に桃の花が咲き、桃の魔除けから雛人形を飾り、子女の厄災と美しく健やかに成長を願う行事として受け継がれた。いつの世も、親は我が娘が美しく健康で生きることを願うことに変わりはない。

津波で被災した古民家を法人が買い取ったいわき市中之作清航館でのひな祭りは2/3,4,5ですでに終わっており、3/4までアクアマリンで同じものが飾られている。

今朝未明福島県沖の地震はM=5.7と余震

2018-02-26 15:19:54 | 問題
82年前に起きた2.26事件の今朝未明1:28の地震は福島県沖で、ラジオでM5.7、40kmの深さ、いわき震度4であった。

気象庁の震源地を北緯37.5、東経141.8から、地図で調べると、浪江町請戸沖73kmの地下であった。M=5.7から、近くであれば広島の原爆以上のエネルギーであるから、当然大きな被害が出る。このクラスの地震には必ず余震がある。今朝も同じ場所で、2:37、M4.3の余震があり、いわきで震度2を観測している。

ドドーンと揺れが来たので身構えたが・・・。遠方であったため、震度4は、いわき、楢葉、双葉、相馬、田村、国見、天栄等、震度3は仙台、日立など、青森や静岡でも震度2で広範囲で揺れを感じていた。

仙台の親戚から電話で、驚いた小の孫が布団にもぐってきたと。平昌五輪終わるのを待っていたかのような地震であった。


ある母親の就活

2018-02-26 08:34:13 | 問題
その母親が一人息子を大事に育てたので、辛くないいい会社か役所にお世話して頂きたいと相田みつおさんを訪ねてきたという。我が子を楽してカッコいい生活をさせたい母親の苦労を子にせたくない一心さは分かる。

が、しかし、裏を返せば他人の子は辛く不安な仕事についてもかまわない身勝手な考えであることに気づいていない。

過保護で甘やかされた子は、我慢で見ない身勝手な行動をするから、結果フリーかニートになってしまう。

昔から「可愛い子には旅させろ」というように、若い時の苦労は人からもらってもやれという。より根気強くより逞しく人生を生き抜いていく知恵を身につけさせるのが親の愛情であり義務でもある。

平昌五輪で勝つことにばかり重点を置くと、負けたときの落胆は計り知れない。勝つ人は頂点の一人である。その他はみな負けを経験する。負ける練習、恥をさらす訓練、骨を折る経験や出会いがその人の人生を大きく変える。

自分の思い通りにならないと諦めてしまう。情けない。思い通りにならないのが人生である。花ばかり見ないで、それを支える根があるから、いい花が咲くことを忘れてはいけない。人のために役立つ本当の人生人間でありたい。