ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

松山の鍋焼きうどん

2016-03-30 08:12:11 | エッセイ
今朝明日への言葉昨年12/2のアンコール「体の不自由な人のための帯を考案して」鈴木冨佐江さんのお話を聞いた。以前よりボリューム低いからか言葉がはっきりと聞き取りにくかった。2015.12.2ブログ仙岩をご参考に。

マイあさラジオ「全国食べ物うまいもの」農畜産物流通コンサルタント山本謙治さんのトークから。

普通鍋焼きうどんというと、鍋の中でぐずぐずと煮込んでアツアツのものをイメージしますが、ダシというと、鰹節と椎茸、昆布、煮干しだけといろいろあるが、母の影響からか、松山市の鍋焼きうどんは讃岐うどんより柔らかで、甘っぽい。

松山市の鍋焼きうどんの名店では、小さい一人用のアルマイト鍋に、かまぼこ、ネギ、お好みで卵などで甘辛い汁で、牛肉の甘辛煮がのって、ぐずぐず煮込まずサーと出て来る。これがたまらないという。

また、松山というところは、なんでも甘く、ラーメンも甘い。ミートソーススパゲティも甘いと。

私も、ダシにこだわる。体調に合わせて、疲れているときは、優しく昆布と鰹節で、濃い目にしたいときは昆布と煮干し、また、昆布と椎茸でと、うどん、白石温麺、そうめんで使い分けている。

勿論みそ汁や、鰯やアジのすり身の鍋では控えめに昆布だしを使う。やはり、メーンは昆布をいかに動物性のだしと組み合わせるかにかかっているから・・・。

大石邦子の「頑張れ青春」

2016-03-29 08:27:28 | エッセイ
ハイッ!みんぽう4月号エッセイスト大石邦子「頑張れ青春」で、書き出しは、こんなに少ない冬は記憶にない・・・・

それがどうしたことだろう。この原稿を書く窓の外は、まだ2月だというのに雪なく、庭の苔がさみどりに光っている。有り難い反面一抹の不気味さをも感じている。・・・・

春は旅立ちの季節、卒業、進学、就職、転勤、退職、等々。多くの別れがあり、多くの出会いが待っている。新たな人生の始まりである。

しかし、すべての人が希望通りの道を歩けるとは限らない。受験に失敗した人もあるだろう。就職がいまだ決まらない人もあるだろう。世の不条理に泣いた人もあるかもしれない。特に若い人は初めての体験で戸惑い悩むこともあるかもしれない。

でも、何があっても大丈夫で、人は生きられるように創られている。一度や二度の失敗、何も恐れることはない。失敗から学ぶこと。それは何にも勝って素晴らしい。15才や18才で人生の結論を出してはいけない・・・

私も、先の見えない遥かな歳月を生きた人間として、その時は本当に解らなかった。死ぬことばかり考えていた。・・・絶望に打ち砕かれた悲しみの一つ一つがオセロゲームの黒白が次々にひっくり返るように生きる力となっていったことを、不思議な気持ちで思い出す。

しかし、それは理屈ではなく、生きてみなければわからないこと、頑張れ青春!

四字熟語や諺などの問題解答

2016-03-28 08:18:59 | 問題
( )の中に当てはまる漢字や言葉を入れれてください。

立つ鳥(跡)を濁さず(飛び立った水鳥の後は濁らず澄んでいるように人も立ち去るときにはきれいに後始末をする)。心(頭)を滅却すれば火も(自)ずから涼し(心から雑念を払い、無念無想の境地になれば火さえ涼しく感じられる。織田勢に武田が攻め滅ぼされたとき、禅僧快川が、火をかけられた甲斐の恵林寺山門上で端坐焼死しようとした際に発した偈と伝える)。百芸は一芸の(精)しきに如かず(すべてをこなす器用な人より、一つのことに通じている人の方が役立つ)(多芸は無芸)。

親思う(子)にまさる親心(親を思う子よりも、親が子を思う心の方が一層深い)。飯(前)のたばこと死に前の(念)仏は身にならず(念仏は死後に必要なことで、生前にあげてもらっても有り難くなく、食前より食後の一服はうまいものだ)。

一(所)懸命(一か所の領地を命を懸けて守る)転じたものに一生懸命、 良妻(賢)母(夫に対して良妻、子供に対して賢明な母)、 (傍)目八目(事の当事者より、はたで見ている人の方が是非、利害、先行きなど正しく判断する)、 悪戦(苦)闘(困難な状況で苦しみながら努力する)、 高所(大)所(細部にとらわれず、大きな観点・視野・偏見・私情を捨てた広い視野)。

矢祭のさよならと函館の出会い

2016-03-27 09:50:20 | エッセイ
昨日26日は、住基で揺れた福島県最南端の矢祭町で5つの小学校で140年の歴史に幕を下ろした。

学校統合のため今年度限りの、東館、下関河内、関岡、内川、石井の5小学校である。

矢祭町は、水戸と郡山を結ぶ水郡線沿いに、石井、南石井、東館、矢祭山の4つの駅にそれぞれの集落が点在、中でも中心の東館小は明治6年創立143年の歴史を持ち、116名の児童が学んだ。創立明治9年下関川内小は349号の南に位置し、33名が学んだ。

町の中心の西にある創立明治7年関岡小は23名が学んだ。矢祭山の北山麓の創立明治8年内川小は19名が学んだ。そして、2つの駅を持つ創立明治7年石井小は町の北部に位置し、塙町の隣で、23名が学んだ。

思いで多い母校で閉校式が行われ、涙のさよならであっても、4月から統合矢祭小としてスタートします。

また、北海道では、念願の新幹線が東京と新函館北斗を結ぶ4時間2分の旅が実現した。青函トンネルでは貨物列車と行き交うたね減速するとか、空との競争もあろうと思うが、何しろ北海道から、九州まで、地上を旅することができるめでたいことである。