29日の夜9時半過ぎ、土湯温泉街から西に約1キロ離れた老舗旅館不動湯温泉白雲荘が火災に翌日30日の朝7時間後に鎮火した。
大正6年創業の山間の一軒家で、山水荘から近いが道がなく、男沼方面から入る街から4キロもある秘湯で、道が狭く消防車も小型だけで水利が悪く消火に手間取ったようだ。
宿泊客5人は無事避難、従業員4人の内一人が遺体で発見された。
高村光太郎・千恵子夫妻が昭和8年9月に宿泊、宿泊者名簿も焼け歴史の証拠が無くなり関係者から惜しむ声が聞かれた。二本松市の千恵子記念館には光太郎が不動湯温泉から東京の母親に宛てた書簡が展示されている。
白雲荘の女将は、大正時代から続く旅館の歴史を語り部として人気があり、全国からお客が集まり、寂びれた温泉地の活力源となっていただけに残念である。
大正6年創業の山間の一軒家で、山水荘から近いが道がなく、男沼方面から入る街から4キロもある秘湯で、道が狭く消防車も小型だけで水利が悪く消火に手間取ったようだ。
宿泊客5人は無事避難、従業員4人の内一人が遺体で発見された。
高村光太郎・千恵子夫妻が昭和8年9月に宿泊、宿泊者名簿も焼け歴史の証拠が無くなり関係者から惜しむ声が聞かれた。二本松市の千恵子記念館には光太郎が不動湯温泉から東京の母親に宛てた書簡が展示されている。
白雲荘の女将は、大正時代から続く旅館の歴史を語り部として人気があり、全国からお客が集まり、寂びれた温泉地の活力源となっていただけに残念である。