ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

一笑一若 一怒一老

2016-07-31 08:00:10 | エッセイ
私は30代でこの言葉に出会いました。以後の色紙揮毫です。

1回笑えば一つ若返り、1回怒ると一つ老ける  何気ない中国の金言ですが、自分の心身に自信や余裕のある人はめったに怒らないが、不平不満が他から刺激されて怒りが爆発する。体力があるともっと爆発し、極一部の人たちでテロや殺傷事件の形で現在表れています。

知情意の感情は、攻撃的、受動的、引きこもりなどに、自分が充たされない魂の悲鳴すなわち暴言や暴力となって表れる。しかし、快い、美しい心からは満足感で、充たされ充実した生活が営まれる。

アランの幸福論には、深い悲しみは、体の不健康から生じる。感情は一種の病気だから、病気でない限り苦悩は去る。また、悩み苦しみから不機嫌になることは、苦悩をくどくど考えるからで、病気と思って我慢しようと。すると、いつの間にか平静を保ち、正しい方法で悲しみに立ち向かうことができる。

また、アランはデカルトが、感情が全くの一精神状態でありながら、体内活動に左右されることを明らかにした。この活動に私たちは全く気付かず、ただその結果だけを経験し、それを感情の所為だと思っている。

また、悲観主義は感情からくるもの、楽観主義は意志からくるもの。気の向くまま生きている人はやがて怒り激怒する。感情は決まって悪いもの、だから幸せはすべて、意志と克己心とから生まれるのである。笑う門には福来る。

ブドウ畑で寝そべって、ワイナリーオーナー玉村豊男

2016-07-30 05:49:41 | エッセイ
今朝4/7長野での急に小雪が舞い散る農園でのインタビュートーク、エッセイスト玉村豊男氏のトークを聞いた。自分の体のために、長野へもう25年になり、70過ぎて半年と。


東京都杉並区に、画家玉村方久斗の末子として1945年生まれ、東京大学仏文科を卒業。在学中にパリ大学言語学研究所に2年間留学。通訳、翻訳業をへて、文筆業へというプロヒール。

パリ 旅の雑学ノート、料理の四面体の刊行エッセイストの地位を築く。が、体を悪くして軽井沢町で生活。その後、病を得たのを機に高校以来中断していた絵画制作を87年より再開し、長野県上田市の原画廊で初個展。カメラ嫌いだが、風景の絵のために撮影、花や植物は実物を見て描くと。

1991年長野東部町に移住し、健康のため空気のきれいなところで、桑畑であった農地を妻と開墾して野菜つくりから始めたが、ハーブや西洋野菜を栽培する農園に、500本ブドウ畑に果実酒製造免許を取得し、 ワイナリーをオープンし、観光地になったと。

毎日妻とワイン1本頂き、妻は1/3で私は2/3飲んでいると。ブドウは人生と同じ寿命、でも20年過ぎると生りが少なくなるが、老木は美味しいぶどうからワインができると。

また、犬を飼っているが、以前は5,6匹いたが、自分も年を取り面倒見る人がいなくては可哀想と、今は柴犬1匹という。

日本ワイン農業研究所を創立、ワイナリーで栽培醸造経営講座「千曲川ワインアカデミー」を開き、『田園の快楽』『田舎暮らしのできる人 できない人』『100本のボルドーワインのための100皿の料理』『今日よりよいあすはない』など著書がある。

「人間の尊厳を問うパレスチナ文学」を聞いて

2016-07-29 08:49:52 | 問題
今朝アンコール放送「人間の尊厳を問うパレスチナ文学」京大大学院岡真理教授の途中からトークを聞いた。

1960年東京生まれ、浦和第一女子高卒、東外大アラビア語科卒、カイロ大留学の岡さんは、「パレスチナ難民」問題の作家ガッサーン・カナファーニーさんの小説がきっかけで、文学の道へすすんだと。

もともと、小6の時、テルアビブ空港での乱射事件などから、パレスチナに関心を寄せてはいたという。

私も、今は、ISによる難民で、ドイツフランスで難民による事件が起き、そちらの方に関心が寄せられ、パレスチナ問題は蚊帳の外になっていた。

1948年にヨーロッパの難民問題を解決するために、国連がパレスチナを分割してそこにヨーロッパのユダヤ人の為の国を作ることを決定するが、その結果としてイスラエルができ、農民100万人が難民となる。 難民生活をしている3人が、妻子、家族を養うために産油国に入ろうとするものたちだがビザが無く密入国するが、クウェートからイラクに水を運ぶとき、国境を越えると給水タンクに隠れるが、灼熱地獄の給水タンク中で息絶えてしまうという内容のもの。

ガッサーン・カナファーニーの作品は難民キャンプに捨てられた人々が城壁の中で、最低の生活を強要され、外部との交通など一切遮断された状況を描いているが、世界はそれに耳を傾けていないと。

昨年シリアの戦争で難民が大量にヨーロッパへ、100万人単位の難民を近隣アラブ諸国は受け入れているが、あふれて今はヨーロッパが受け入れ、ようやくニュースになる。

2003年3月にイラク戦争開始、ヨルダン、イラクの国境地帯の難民キャンプで、戦闘終結後も内戦となり、優遇されていたパレスチナ人は迫害を受け、国のないパレスチナ人をヨルダンが入国を拒否した。同じ人間同士での戦いどうして?