ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

福島県の旅ラジ12:30~55まで

2018-05-30 07:57:08 | 問題
やる起元気を引き出す90ちゃん号が今週5月28日は福島県下郷町 大内宿町並み展示館前から、本田俊介アナの司会で、大川の渓谷天然記念物塔のへつりの案内から始まって、江戸時代の面影が残る観光名所「大内宿」のかやぶき屋根の民家を老朽化から守ろうと、若い職人たちが奮闘中、故郷の伝統を守る心意気に迫る案内であった。

トタン屋根にした家を説得して11軒もの家を茅葺き屋根にした62才の長老が若いものに会長を譲り、商店などの仕事を持ちながら、昔の見て覚えろから、映像や練習場で訓練して職人になった15人の会員で、毎年4軒葺き替えをしているとか、約50年前の大内宿を会津田島でボーイスカウト県キャンポリー大会でお目にかかったころから大分お店が増えてイメージが変わったが・・・。マスバーガーなど食品も。

5月29日福島県金山町 町営温泉保養施設 せせらぎ荘前からで、炭酸温泉と炭酸水で町おこしの案内であった

炭酸温泉が、健康や美容で注目され、多くの観光客が訪れる。炭酸温泉と炭酸水で町の活性化を目指すもの。しかし、3年前に豪雨で川の水嵩が減り、温泉が出なくなり、1年かけて掘削などして温泉が出るようになり、保存会10人で、「炭酸場」で飲める炭酸水を設置、コーヒー、お茶、ご飯などに利用、赤南瓜でひめどら焼きを案内、本田アナが試食していた。

昨夜のテレビ「はまなかあいづ」では、今日の旅ラジ柳津町の赤べこの様子など放映していた。



ブラタモリ天城越え

2018-05-27 11:03:41 | 旅行
昨夜、ブラタモリ萩の放映で、忘れていた伊豆「天城越え」を見て、天城隧道に感動して載せます。

4月に「ユネスコ世界ジオパーク」として認定され、世界から注目を集める伊豆半島。首都圏からの手軽なリゾート地として、年間4500万人が訪れる超人気観光スポットです。

天城越えの今では、伊豆の南北を結ぶ人気のドライブルートとなっており、昔から、伊豆を歩く旅人たちを悩ました交通の難所で東海道三島宿から下田を結ぶ下田街道の天城連山の山越えで、江戸幕府が推奨した南伊豆の薪・炭・木材移入に利用していた。

温泉街・湯ヶ島をスタート、伊豆の踊子(映画1963)川端康成、石川さゆり「天城越え」作詞吉岡治作曲弦哲也も滞在した温泉宿白壁荘、女将の案内で、巨石露天風呂の安山岩や女風呂に利用していた200万円前海底火山でできた凝灰岩、25mの浄蓮の滝52万人の観光客、溶岩から染み出す湧き水が12~13度の定温でワサビ栽培に不毛の傾斜地に光を与えた。

標高700mあたりにある『天城越え』の歌詞に、隠れ宿、浄蓮の滝、寒天橋、天城隧道が出てくる。わさび丼を頂いたタモリさん、明治22年に東海道本線が開通、南伊豆の人たちの悲願のトンネルが南北から掘り進んだ446mの天城隧道は明治38年に完成、起点の南に凝灰岩、北には玄武岩3万5000個の石が使われ4年で完成、91才の河津の男性が8才で初めて隧道を通ったと。大正5年には路線バスも走り、よりお伊勢参りも近くなったと鈴木雄介案内人から説明を聞いて、重要文化財の隧道を歩いた。写真は北入口、アーチ型の石積みで中央の微妙な角度の鏡石で完成、yahooより。

1978年の伊豆地震で、普段でも崩れやすい凝灰岩の山道が交通遮断、45mの高低差の河津七滝ループ橋が1981年に完成、タモリさん車で体験、降りてからループ橋を見上げて感動、難所の天城峠の人類の克服の歴史をかみしめた旅であった。