関門海峡はなぜ関門?ブラタモリ、関門海峡は最も狭い部分の幅はわずか700mそれにも関わらず、行き交う船は実に1日500隻!世界の名だたる海峡ジブラルタル200艘、マラッカ350艘、圧倒的ににぎわう日本の海上交通の大動脈。下関と門司から一文字ずつとった「関門海峡」。潮の流れも20㎞と速い難所で2つの導灯で安全運航ができ、タモリ林田さんが乗船して体験した。また、大型船が通れないために浚渫作業が行われている。
豊臣秀吉も苦しめた通称「死の瀬」の両岸の高い山はもともと一つ山でマグマの熱で生まれたホルンフェルスで出来たところに、細長く分布した花崗岩が風化・浸食されて海峡が出来た。
下関はふぐの町でもあり、唐戸市営市場の反映、海峡の守り神亀山八幡宮に、北前船、西回り船が通る交通の要所で、積み荷や人を調べる関所があり、廻船でにぎわう町に発展して江戸時代から、明治になって下関海峡と呼ばれていたと。
ブラタモリ2回目は、門司側から関門海峡を見る。大正6年の旧大阪商船門司支店のレトロな建物から、近くにある筑豊炭田から出た石炭の積み出し港の門司港駅、モダンな洋風建築を見て、このレトロな町の駅で見つけた「盛り上がり」は実は一日に53往復24,000人の利用者と、貨車輸送船が航行した連絡船の着く港と直接この地下道で連絡していた。
もう連絡船の運航も限界にきて、昭和11年に着工された世界初の海底トンネル「関門トンネル」に、タモリさんは点検用車両に乗って初潜入!トンネル最深部で見た80年前の苦労は両側から卵型の手掘りで進行、途中一部軟弱な真砂でシールド工法でそのまま残る丸いトンネル、機材の運搬や地盤調査に掘った豆トンネルは上下2本の海底トンネルの排水溝として活躍、8年間の苦労の末昭和19年にようやく開通した。全長下り3614m、上り3605m、1140mが海底から20m下。このトンネル掘削技術が、青函トンネル海底から100mした53.85㎞(海底23.3㎞)、イギリスとフランスの海底トンネルに生かされている。その他に国道2号トンネル、新幹線トンネルの3本がある。見える関門橋も。日本最長関越トンネル11,055m、2015年山手トンネル18,200mに追い越されたが。昨夜録画みて、日本技術に乾杯!