ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

いわきでウニ漁試験操業開始

2015-07-31 08:37:19 | エッセイ
原発事故後、初めてとなるウニ漁の試験操業が30日、同市薄磯で行われた。

水揚げされたウニは早速、いわきの夏の味覚である「ウニの貝焼き」に加工され、地元産による加工再開を喜び、私たちも「貝焼き」を食べたいと願っている。

我妻は、相馬松川へ旅行した折、お店に貝焼きがあるからと頼むと「あさりの貝焼き」が運ばれてきたのでがっかりしたとか。

薄磯の組合員が午前7時半過ぎから潜水服を着て、塩屋崎灯台近くの漁場で約30分で11キロを採取した。

ウニの貝焼きは、県水産会館で行われ、組合員の妻らが、ウニを手早く割り、中の身を丁寧にホッキ貝にもりつけて焼いていた。放射性物質は未検出で、31日には四倉の大川魚店でお見えできるかもしれない。これから楽しみである。

白熱電球世代交代節電のLED

2015-07-30 05:55:02 | エッセイ
消えゆく白熱電灯(天声人語)より、

文明開化の明治の初め、「ランプ亡国論」なる珍説が世に流布した。ランプの輸入は貿易赤字を膨らませる。さらには在来の産業を滅ぼすと説く舶来品排斥論だった。むろん開花の奔流は止められず、西洋の利器はもてはやされ、日本の夜を明るくした。

しかし、ランプの天下は長く続かない。電灯に取って代わられる様子が、童話作家新美南吉の名作「おじいさんのランプ」に描かれている。「世の中は、電灯のの時世になった」と嘆くランプ売りが、一斉にともした売り物に石を投げ、割っていく場面をご記憶の方もおいでだろう。

以来なじみの深い白熱電球だが、ここにきて「肩たたき」が急だ。なにせ電気を食う。政府は製造と販売を控えるよう要請した。・・・・

節電のこの夏、窓を全開しての自然クーラーや省エネでタフなLEDへの移行が進みつつある。いろんな行事イベントでの照明がLEDになっている。値段は少し高いが、電力消費は2割以下、寿命は40倍と聞けば市民は納得する。会社や家で、不要な照明を消したり、エアコンを28度に設定したりの節電に努めている方もおろう。白熱電球の明りにはやさしさがにじむ、しかし、新旧交代の波に乗らねばならないときでもある。

日本国最後の帰還兵深谷義治とその家族

2015-07-29 08:47:24 | エッセイ
27日の明日へのことば「日本国最後の帰還兵深谷義治とその家族」の著者深谷敏雄・冨美子さんのトークを聞いた。

メデアを通じて戦後70年の節目に、死んでも国に汚名を着せてはならないという使命感で生き抜いた深谷義治という人がいたことを知り、戦争のスパイ・逃亡者という汚名の犠牲者であることも知った。

父義治さんは22才で、浜田歩兵隊から中国へ、憲兵試験に合格後、現地の商人姿でスパイ活動、中国人女性と結婚4人の子をもうけた。終戦後上海で任務続行の命令でも遂に1958年に逮捕、完全黙秘を貫徹、獄中病になっても治療なし、死を覚悟したが同僚から助けられ、1978年日中平和友好条約締結の特赦で、故郷島根太田市に帰国、逃亡者の汚名で恩給もなく、今年広島で99才で亡くなった。

日本語が分からない上海生まれの二男の敏雄(66)さんは父の苦難の生涯を闇に葬ってはいけないという使命感で6年前から執筆、娘孫の大学生冨美子(24)さんのアドバイスを受けて書き上げた。

敏雄さん自身も、日本語が分からない差別、工場の作業員、タクシーの運転手をする極貧の生活、父の獄中での手記を織り交ぜながらつづった家族の物語である。トークの中で、敏雄さんは父は「岸壁の母」や「安来節」など心で歌っていたと。また、冨美子さんは、執筆で、父のてにおはの助詞の使い方で、何を言いたいのか分からず苦労があったと・・・。

また、未だに、国からご苦労さんの言葉もなければ、恩給もなく、汚名を着せられたままという。こんなに日本国に忠実な人がなぜ救われないのか、広島の係も冷たいものと思う。

草野心平文学館で「新美南吉展」を見学

2015-07-28 06:09:52 | エッセイ
7/4~9/6まで光りかがやく作品として先日、草野心平文学館で「新美南吉展」を見学してきました

ごん狐をはじめとした童話を書いた児童文学者新美南吉(本名正八1913~1943)は、現在の愛知県半田市に生まれました。

中学生から投稿はじめ、東京外国語大入学後、「手袋を買いに」「デンデンムシノカナシミ」など執筆、しかし、母と同様に結核で志半ばで生涯を閉じました。

草野心平は1962年に、新美南吉の詩作品には、素朴純粋な、そして、強いヒュウマニティがあふれている。それはフルートのような、ハアプのような音楽を奏でて愛しい。彼の銅は作品の傑作もすべてこの詩精神につらぬかれて光りかがやく。と寄せた仲。

また、新美は草野心平の詩を読む。負けた。平板は表現がない。どぎつい感覚。豊富なボキャブラリ。精神力の強さ。と1940年の日記に書いている。

蛙の詩人心平との交流を示すことでは、1961年皇太子殿下、美智子妃殿下より小川戸渡分校に贈った」新美南吉童話集」全3巻の様子が写真展示してある。

文学館を出て、近くの諏訪神社後ろのメダカの故郷に、ハスの花が咲いているので撮影して帰宅しました。