一昨日は四倉海岸で、昨日はいわき市アリオスや久之浜海岸の献花台に花を添える鎮魂供養の式典が開かれている。
3/9今朝明日へのことば「洋菓子で被災地に美味しい夢を」のテーマで、原町で洋菓子店を営む渡部幸史夫妻のトークを聞いた。
小高で洋菓子店を営んでいた三代目の渡部さんは、祖父は和菓子、父は和菓子に学校給食のパンを作っており、原ノ町で洋菓子の修行しての自己流で、ご飯給食の増加を機に、パンを止め洋菓子一本でお店を始めた。
しかし、震災それに原発事故で余儀なく避難、姉の原ノ町へ、そして県内に避難して東京へ1年半いて、原ノ町へ戻ってきた。いろいろ考えた末、昨年の12/5に、原ノ町の人家も少ないが「奥さんは小高で駐車場が狭くご迷惑をかけていた」から、広い300坪?にお店を構えた。
小高での卵プリンを、ひよこプリンにした。次はニワトリプリンそしてまた、ひよこプリンへとアイデアが広がる。鍋焼きを見て、鍋プリン、シュクリームでもジャンボしたり、イチゴを載せて作るだけでなく、お客様の立場に立って作っているから一日に30個のケーキはいつも完売と言う。
素晴らしい夢を与える洋菓子つくりのお話であった。
3/9今朝明日へのことば「洋菓子で被災地に美味しい夢を」のテーマで、原町で洋菓子店を営む渡部幸史夫妻のトークを聞いた。
小高で洋菓子店を営んでいた三代目の渡部さんは、祖父は和菓子、父は和菓子に学校給食のパンを作っており、原ノ町で洋菓子の修行しての自己流で、ご飯給食の増加を機に、パンを止め洋菓子一本でお店を始めた。
しかし、震災それに原発事故で余儀なく避難、姉の原ノ町へ、そして県内に避難して東京へ1年半いて、原ノ町へ戻ってきた。いろいろ考えた末、昨年の12/5に、原ノ町の人家も少ないが「奥さんは小高で駐車場が狭くご迷惑をかけていた」から、広い300坪?にお店を構えた。
小高での卵プリンを、ひよこプリンにした。次はニワトリプリンそしてまた、ひよこプリンへとアイデアが広がる。鍋焼きを見て、鍋プリン、シュクリームでもジャンボしたり、イチゴを載せて作るだけでなく、お客様の立場に立って作っているから一日に30個のケーキはいつも完売と言う。
素晴らしい夢を与える洋菓子つくりのお話であった。
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