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平安時代桓武平氏が信奉した北辰妙見尊は亀山天皇の御代に奥州征伐の軍功で千葉氏が赴任、下総国千葉氏が勧請相馬氏に命じ鏡仁和尚が建立したもので、実権が北條氏に移り憤慨して千葉氏の奉族を相馬に転任、その一族の四倉太膳太夫に築城させ、北辰妙見尊を守護神(県指定重文木造妙見尊立像)としたもである。例祭を毎月の八日と決めた。
そんな歴史のある北辰妙見尊堂であるが、北洋サケマスが盛んな頃のだるま市は、それはそれは参道の両側にびっしりとだるま屋が並んでいた。しかし、震災後は決まって、3件のだるま屋と成金店と5件の出店だけで寂しくなった昨日8日であった。
そんな歴史のある北辰妙見尊堂であるが、北洋サケマスが盛んな頃のだるま市は、それはそれは参道の両側にびっしりとだるま屋が並んでいた。しかし、震災後は決まって、3件のだるま屋と成金店と5件の出店だけで寂しくなった昨日8日であった。
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